1971年
大洋が選択会議で第一位に指名した深谷商・竹内広明投手(18)=1㍍75、77㌔、右投右打=の入団が二十一日決まった。同日午後三時、平山スカウト部長、湊谷スカウトは群馬県群馬県多野郡新町の実家に同投手をたずね、父親・忠さん(42)母親和子さん(42)深谷商・赤坂監督らと話し合った結果、快諾を得た。同投手は日本石油に就職が内定しているが、同社の了解をとりしだい大洋と契約する。契約金は規定額の最高一千万円、年棒百八十万円とみられる。
まるで友人の家をたずねるような気軽さがスカウトにあった。大洋に指名されたとたんバンザイし胴上げまでされて、素直に喜びをあらわすルーキー。「お待ちしておりました」と両親が居間に招き入れた。一昨年が一位の荒川、昨年が二位の佐藤(現早大)と二年つづけてソデにされた大洋が、やっとめぐり合った和気あいあいの話し合い。「ぼくの気持ちはすぐにでもはいりたい」と竹内は早くも意思表示。父親の忠さんも「大洋に指名されて、みんなで喜んでいます」と、もう契約を終わったような喜びだった。一応、竹内の就職が内定していた日石にスジを通すということで入団発表は持ち越されたが、もう竹内は大洋ナインの一員としての抱負が口を出る。「体力だけはつけようと、毎日走っているんです」学校から帰ると、すぐ近くの鳥川ぞいに5㌔のマラソンと柔軟体操、ダッシュと、プロ選手としての第一歩をもうしるしている。北関東出身の本格派、その投げおろすスピードは堀内二世といわれているが、竹内は一日も早く平松二世になりたいと目を輝かせている。「ピッチングはもちろん、あの性格が大好きなんです。日石の人に聞いても、だれに聞いても、悪口をいう人はいません。ぼくも、だれからも好かれる大投手になりたいんです」夏の甲子園大会で顔をしかめ歯を食いしばって投げた。あの悲壮感はもうない。深谷商・赤坂監督の「第一位に指名されたのだから、恥しくない成績を残してほしい。なによりもコントロールを身につけるんだ」という激励に、大きく力強くうなずいた。お父さんは第一回国体陸上の群馬県代表選手、お兄さんは日大野球部の三年生、弟は来年、深谷商の野球部にはいる。スポーツ店を経営するスポーツ一家の代表選手。うわ背を心配した平山スカウト部長が、手をみせてもらい。話を聞くうちにだんだん笑顔が多くなった。「百㍍や野球のスパイクで12秒8で走る。バネがあるんだな。手の大きさも平松そっくりだ。ムードもあるし、楽しみな選手ですよ」女学生からのファンレターは、赤坂監督のもとでストップしているが、その数は数えきれないほどあるそうだ。「竹内にはスターのムードがある」とスカウト連中でささやかれたことしの選択会議。竹内の夢は大きい。「平松さんが入団した年に巨人に完封勝ちした。ぼくもああなりたい。一日も早く一軍のマウンドを踏んで、王さんや長島さんと勝負してみたいですね」居間の壁に誠と書かれた川上監督直筆の色紙があった。高校野球で大阪にいったとき、宿舎竹屋のご主人からもらったそうだが、その誠の色紙の前で竹内の打倒巨人の夢がひろがっていく。
平山スカウト部長「きょうはあいさつと大洋というチームの紹介に終わった。条件面は中部オーナーと相談して次回の交渉のとき提示します。竹内君は大洋に指名され大変喜んでいた。だから入団の堅い話というより、もう大洋の一員としての打ちとけた話し合いだった」
竹内投手「自分の気持ちはすぐにでもはいりたい。だれにも負けないようからだを鍛えて、一日も早く尊敬する平松さんに近づきたい。毎日5㌔ほどのランニングをして体力づくりに励んでいます。大洋の練習がきついといわれているので、なんとか追いつくためにも、これからもずっとランニングだけはつづけていきたい」
父親・忠さん「前から監督さんとこどもにプロ球団はまかせてあった。一番好きなところへはいれたので、みんなで喜んでいる。なんとか一日も早く一軍で投げられる投手になってほしい」
大洋が選択会議で第一位に指名した深谷商・竹内広明投手(18)=1㍍75、77㌔、右投右打=の入団が二十一日決まった。同日午後三時、平山スカウト部長、湊谷スカウトは群馬県群馬県多野郡新町の実家に同投手をたずね、父親・忠さん(42)母親和子さん(42)深谷商・赤坂監督らと話し合った結果、快諾を得た。同投手は日本石油に就職が内定しているが、同社の了解をとりしだい大洋と契約する。契約金は規定額の最高一千万円、年棒百八十万円とみられる。
まるで友人の家をたずねるような気軽さがスカウトにあった。大洋に指名されたとたんバンザイし胴上げまでされて、素直に喜びをあらわすルーキー。「お待ちしておりました」と両親が居間に招き入れた。一昨年が一位の荒川、昨年が二位の佐藤(現早大)と二年つづけてソデにされた大洋が、やっとめぐり合った和気あいあいの話し合い。「ぼくの気持ちはすぐにでもはいりたい」と竹内は早くも意思表示。父親の忠さんも「大洋に指名されて、みんなで喜んでいます」と、もう契約を終わったような喜びだった。一応、竹内の就職が内定していた日石にスジを通すということで入団発表は持ち越されたが、もう竹内は大洋ナインの一員としての抱負が口を出る。「体力だけはつけようと、毎日走っているんです」学校から帰ると、すぐ近くの鳥川ぞいに5㌔のマラソンと柔軟体操、ダッシュと、プロ選手としての第一歩をもうしるしている。北関東出身の本格派、その投げおろすスピードは堀内二世といわれているが、竹内は一日も早く平松二世になりたいと目を輝かせている。「ピッチングはもちろん、あの性格が大好きなんです。日石の人に聞いても、だれに聞いても、悪口をいう人はいません。ぼくも、だれからも好かれる大投手になりたいんです」夏の甲子園大会で顔をしかめ歯を食いしばって投げた。あの悲壮感はもうない。深谷商・赤坂監督の「第一位に指名されたのだから、恥しくない成績を残してほしい。なによりもコントロールを身につけるんだ」という激励に、大きく力強くうなずいた。お父さんは第一回国体陸上の群馬県代表選手、お兄さんは日大野球部の三年生、弟は来年、深谷商の野球部にはいる。スポーツ店を経営するスポーツ一家の代表選手。うわ背を心配した平山スカウト部長が、手をみせてもらい。話を聞くうちにだんだん笑顔が多くなった。「百㍍や野球のスパイクで12秒8で走る。バネがあるんだな。手の大きさも平松そっくりだ。ムードもあるし、楽しみな選手ですよ」女学生からのファンレターは、赤坂監督のもとでストップしているが、その数は数えきれないほどあるそうだ。「竹内にはスターのムードがある」とスカウト連中でささやかれたことしの選択会議。竹内の夢は大きい。「平松さんが入団した年に巨人に完封勝ちした。ぼくもああなりたい。一日も早く一軍のマウンドを踏んで、王さんや長島さんと勝負してみたいですね」居間の壁に誠と書かれた川上監督直筆の色紙があった。高校野球で大阪にいったとき、宿舎竹屋のご主人からもらったそうだが、その誠の色紙の前で竹内の打倒巨人の夢がひろがっていく。
平山スカウト部長「きょうはあいさつと大洋というチームの紹介に終わった。条件面は中部オーナーと相談して次回の交渉のとき提示します。竹内君は大洋に指名され大変喜んでいた。だから入団の堅い話というより、もう大洋の一員としての打ちとけた話し合いだった」
竹内投手「自分の気持ちはすぐにでもはいりたい。だれにも負けないようからだを鍛えて、一日も早く尊敬する平松さんに近づきたい。毎日5㌔ほどのランニングをして体力づくりに励んでいます。大洋の練習がきついといわれているので、なんとか追いつくためにも、これからもずっとランニングだけはつづけていきたい」
父親・忠さん「前から監督さんとこどもにプロ球団はまかせてあった。一番好きなところへはいれたので、みんなで喜んでいる。なんとか一日も早く一軍で投げられる投手になってほしい」
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