プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

松尾裕二

2017-09-24 21:28:56 | 日記
1977年

今年2年目。これからプロのふんい気らしさが出てくる選手。体格申し分なし。

1978年

二軍の成長株といわれる。けれども、昨年ウエスタンで5連敗。勝つ味を早く覚えないと、ことしも苦しい年になりかねない。
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山本和樹

2017-09-24 21:26:12 | 日記

生年月日:1958年10月5日生

1977年

数少ないことしの新人投手。野球の質の高い和歌山では有名だった。将来を期待される選手。

1978年

ドラフト外入団の2年生。荒れ球だが、スピード豊かで将来性十分。手足が大きくピッチャーとしての先天的素質に恵まれているのが強身だ。

1979年

荒れタマだが、スピードはある。将来性じゅうぶん。
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生田裕之

2017-09-24 21:21:55 | 日記
1977年

カーブはやや甘いが、スピードはかなりある。体がやわらかいだけに将来が楽しみ。

1978年

ドラフト2位で期待された入団も今年で2年目。今ひと頑張りほしい。
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柴田民夫

2017-09-24 20:21:28 | 日記
1977年

昨年の都市対抗では日立の補強選手として出場した。サイドスローでカーブ、スライダー、シュートのコンビネーションがよく、中継ぎ投手として有望。
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浜名敏幸

2017-09-24 20:15:33 | 日記
1977年

次代を背負う大型選手のひとり、今季はファームでみっちり腕をみがく。

1978年

下手投に変身して1年。昨年はファームで負け越しはしたが、年々成長している投手だ。特長を生かしてリリーフ役に徹するか。

1979年

下手投げに転向したが、まだなれないのか。
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安田尚弘

2017-09-24 19:59:42 | 日記
1977年

高校では控え投手だったが、骨太でがっちりした江夏ばりの体つき。ストレート主体の荒けずりな投球、左腕ということもあって、将来に期待。性格的にはおとなしい。
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三村雅彦

2017-09-24 19:42:36 | 日記
1977年

高校時代はロッテの菊村と同期生。菊村が先発で、彼がリリーフ役だったが、投手成績は三村が上。球威、コントロールにいま一つ。

1978年

大きなカーブを持っているが、コントロールが不安定。
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中山孝一

2017-09-24 17:57:34 | 日記
1975年

天衣無縫な性格が災いしてせっかくよいものを持ちながら発揮できなかったが結婚生活を境にして人柄がすっかり変ってきたことは大きいプラスだ。4年間1勝つづきだったが一気に昨シーズン8勝して帳尻を合わせてしまった。成長株№1といわれるだけに首脳部の期待によく応えた。スピードでは球団№1だ。これだけの才能を持ちながら足ぶみした原因はコントロールの不安定であったがコントロールもよくなりあとは打者とのかけ引。インターバルなど頭脳的な要素を会得すれば10勝はおろか15勝はタイコ判がおせる。もう27歳、そういつまでも若くない。ここらでいっちょやらなきゃ、孝ちゃん!
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ストーン

2017-09-24 10:52:18 | 日記
1964年

大洋・三原監督、別所ヘッド・コーチは三日午後一時から多摩川球場で、元オリオールズ、ディーン・ストーン投手のピッチングをみた。同投手はシート・バッティングに二イニングずつ二度投げたが、最初の登板では5長短打され2四球を出してさんざん。二度目は、一安打に押えた。しかし別所コーチは「まだからだができていない。スピードはありそうだが、シュートなどの変化球があのくらいではだめだ。スタミナの点でも問題がありそうだ」また三原監督は「きょうは、わざと小さな打者を立てて、ストライク・ゾーンをためしたんだが、やはりどうもね。もう少し時間をやって、じっくりみることにします」といい、一週間以内にもう一度同投手のピッチングをみることになった。

大洋・三原監督、別所ヘッド・コーチは六日午後多摩川球場で元オリオールズのディーン・ストーン投手の二度目のテストをした。同投手は浜中、麻生、松久保らを相手に四イニング投げて被安打四。カーブをうまく使い分けて得点させなかったが、大洋は契約金などとも見合わせ、さらに検討したうえで採否を決める。

大洋は十日大リーグ元オリオールズのディーン・ストーン投手(34)=左投左打=の入団をきめた。同日正午、東京・銀座西の同球団事務所で森代表と契約金その他の条件を話し合い、決定した。これまでに大洋は多摩川グラウンドで二度テストを行ったが三原監督、別所ヘッド・コーチともに三十四歳という年齢と変化球に威力がないので、採用に二の足をふんでいた。しかし、弱体の投手陣を心配する中部オーナーの強いすすめで、球団の出す条件をOKすればとることになっていた。

三原監督「ある程度の目安がたったのでとることに決めた。10勝ぐらいはなんとかできそうだし、また絶対にしてもらわなければ困る。まだからだが十分できていないというから、一週間ぐらいしたら登板のチャンスを与えてみようと思っている」

ストーン投手「まだサインはしていないが、話はまとまった。いまヒゲをそったばかりのようにすっきりした気分だ」
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松尾勝彦

2017-09-20 18:21:57 | 日記
1962年

チームの中心は松尾ー道上のバッテリー。松尾は速球を武器とする正統派で、かなりの威力を持っており、道上と二人でいま配球を研究中。

尼崎産は神戸商の好投手松尾の速球と大きなカーブに悩まされ、前半無安打だった。

神戸商松尾は速球と大きなカーブをビシビシきめ五回まで西脇打線を三人ずつで片づけた。
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永井進

2017-09-20 18:20:26 | 日記
1965年

阪急の永井が育英高で戸梶(阪神)とバッテリーを組んでからことしですでに7年目。投手から打者へ転向、苦難の道を歩みつづけてきた永井は、「ことしが最後の勝負だ」という。山口、大熊ら若手の台頭に脅かされるうえ、今度は大リーガー、ウォールズの入団。せっかくのバルボンの移籍でチャンスをつかみかけたと思ったのに、内野陣はまた激しい競争の場となってしまった。永井がことしにかける気持ちも痛いほどわかるような気がする。永井は、中田や石井晶、岡村らといっしょに阪急のトップを切ってトレーニングを始めた。自主トレーニング開始は二十日の予定。それまで待っていたら遅れるばかりだと考えたからだ西宮の甲(かぶと)山のふもとから神社の石段を一気に駆け上がり、それから仁川ピクニック・センターまでランニング、永井はいつもグループの先頭に立ってがん張っている。
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石原碩夫

2017-09-20 18:19:31 | 日記
1965年

「月並みだけど、ただ一生懸命にやるだけだヨ」3-3トレードで、巨人入りした石原(前東映)は、こういってトレーニングに余念がない。多摩川ではじまった自主トレーニングには、二十五日から吉田勝、安藤と一緒に参加。グリーンのトレーニング・シャツを着て、走りまくっている。ここ二、三年の石原はまったく忘れられた存在だった。巨人入りが決まって「石原はまだいたのか」と、ファンに再認識されたものの、異色のアンダースローと期待された当時の面影は、ここしばらくの間、全然見られなかった。一昨年、イースタンでは7勝2敗と、いまはエース的存在にまでなっている嵯峨(3勝8敗)をはるかにしのいだ勝ち星を残したが、公式戦では10試合に出て2敗。シーズン・オフには「野球を断念する」と、いや気がさしたのか、さっさと郷里(岡山)へ帰ってしまった。しかし、安藤元の不調から下手投げ投手が不足し、昨年水原監督の要請で復帰、期待されたものの、昨年も12試合で1敗と、いぜんとして足踏みをつづけている。「直球はまずまずとしても、カーブが甘い。クセがない」というのが、石原に対する大方の評価。しかし、巨人には下手投げがいないという利点がある。石原が再起するには絶好のチャンス到来というわけ。「心機一転してがん張る」という石原だが、三十七年の阪急戦(10月6日)以来、勝星から遠ざかっている石原の右腕が、巨人という重くのしかかってくる負担をはねのけて、どこまで彼の左腕が通用するかが注目される。
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山本康夫

2017-09-20 07:59:42 | 日記
1959年 箕島高校時代

山本はインドロと速球を武器にして、連投も十分耐えられるタフな体力の持ち主。ただ立ち上りにコントロールが悪いことがあり、打たれると、むきになって逆に連続ヒットをこうむる不安がある。最近は、いろいろな球のコンビネーションも考えるようになってきた。
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山中巽

2017-09-19 23:30:38 | 日記
1962年

前評判の悪かった山中(中日=中京商)の方が上背(1㍍83)を利し真っ向から投げおろす重いタマとスライダーで門岡をリードしている。いまからフォーク・ボールなどの変化球を多用しているのと、走者が出るとコントロールが悪くなるのが気がかりだが、本番でのデビューは門岡よりコントロールがよく投球術にひいでているが、なにぶんにも球威不足であまり多くは望めまい。
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織田光正

2017-09-19 23:21:14 | 日記
1959年 観音寺一高時代

織田は本格派投手のいない県下では随一の正統派投手。最近はアウドロに制球力がつきシンカーにも自信を増した。ただ決め球のドロップのキレがいまひとつ心もとないが、キレさえ増せば持ち前の豪球に一そう威力を加えることになろう。
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