プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

バンサイド

2017-10-21 19:14:53 | 日記
1964年

バンサイドが投げ、安藤がよく打った、この試合のバンサイドはチェンジアップでカーブを有効に使いながら六回まで南海打線を寄せつけなかった。七回森下に本塁打されてちょっとおかしくなったが、阪神の苦しいローテーションのなかで好投、貴重な勝利に結びつけた。バンサイドは「先発は試合前にいわれた。しかしいつでも登板出来るコンディションだけは整えていた。きょうは速球とカーブがよかった。森下に本塁打されたのはスクリューボール。南海打線では広瀬、野村、ハドリ、ローガンをマークした」という。
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日下正勝

2017-10-21 18:50:39 | 日記
1975年

華やかなプロ野球から、ことしも四十五人のコーチ、選手が静かに身を引いた。しかし、就職先も決まらないまま年を越すベテラン選手など、不況の風は失業者にひときわ冷たい。大洋の日下正勝さん(31)もその一人。妻と長男(四つ)長女(一つ)の四人家族。「今季は一度も一軍にあがることができなかった。あと一年やっても先が見えている」と退団を申し出たのが十一月末。球団も別に引き止めなかった。三十六年、東北高二年のときに夏の甲子園に出場。巧打を買われて卒業と同時に大洋に入団。三年間は守備、代走で数試合に出ただけ。四年目に代打として初めて打席に立った。この年は11打数で3安打。「これから」と思った矢先、太り過ぎて足に肉離れ。それからはケガとの闘いだった。一軍を行ったり来たりし、十三年間のプロ生活で残した戦績は435打数94安打、本塁打は2本。しかし、再就職のアテは何もなかった。とりあえずアルバイトニュースで見つけた築地の卸商に、一時間五百円で雇われた。午前六時から正午まで、野菜を積んだ荷車を運ぶ。「野球をやっていたときには考えれないつらい生活だ。でも野球をのぞいたら力仕事しか残らない」と別に落胆している様子はない。「実力があればあるだけの金をとれる」球界とはいえ、いわば一文無しで放りだされた彼の口から、うらみがましい声は最後まで聞かれなかった。西田(中日)宮崎(阪神)鬼頭、森中(大洋)伊藤、三浦(太平洋)東条、土屋(ロッテ)大塚(南海)らも整理された三十代組だ。森中はテレビ解説者。三浦はスカウトへとこれまでの経験を生かすが、あとは商店、スナック経営と野球とは全く別の人生を歩く。若手では野球人生とすっかり縁を切って(アマチュア選手として再登録は不能)大学進学を目指すのが目立つ。尾藤(20)=阪神、今増(19)=阪急、恒村(20)西村(21)=巨人=らで、来年の受験を控え辞書と首っぴきだ。また第二のジャンボ尾崎を目ざして氏家(中日)中村(巨人)阪口(太平洋)らがゴルファーに転身、特訓中だ。東条(ロッテ)竹口(日本ハム)らが他球団のテストを希望しているが、残りの約十五人は未定といった状況になっている。
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ニューカム

2017-10-21 18:14:53 | 日記
1962年

ことし最後の公式戦だけあって中日のサービスは満点。ニュークの先発を前もって発表、外野席を無料開放したためスタンドは一万五千の入り。巨漢ニュークの豪快なピッチングにファンは大喜びだった。四回を投げてバトンを水谷に渡したニュークは「一年も投手をやらなかったのでコントロールに苦しんだ。カーブばかり投げたが高かったり低かったりで非常にまずいピッチングだった。佐々木吉に打たれたのは速球だが、一番いいコースにはいってしまった」と語っていた。ニュークはドビーと連れだって十三日帰国の予定。

中日は最終戦のサービスとして元大リーグの名投手ニューク(ドン・ニューカム)を先発させた。四回投げて六十六球。スリークォーターからの投球は一見重そうに見えるが、スピードは思ったほどない。二回、二つの四球と金光安打の二死満塁で佐々木吉に第一球内角高目を左翼線へきれいにうたれて二失点。ニュークは「一年間マウンドを踏んでいないので」と両手を広げ肩をすぼめていた。
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大庭清

2017-10-21 17:58:13 | 日記
1962年

71 大庭清 投手 右投右打 180cm、74kg、昭18年5月14日
佐世保北ー西鉄(37年) 合宿

第二の稲尾発掘の一環として、西鉄が地元から獲得した新人。当分は二軍での練習が主になるだろう。元高橋ユニオンズの投手だった兄宏氏にプロ入りを反対されたが、強引に西鉄入りした意地がある。
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藪上敏夫

2017-10-21 17:51:05 | 日記
1969年(高校時代)

向陽は右の本格派藪上投手を中心とする守りのチーム。

チームの浮沈をになう右腕・藪上は順調に仕上がっている。重い速球、鋭いシュートはいつでも試合OKのかまえ。難をいえば外角球のコントロールがややあまい。1㍍78、75㌔、スタミナも十分、外角低目に持前の剛球を決めることができればオニに金棒だ。

大会第一球を投じるのは三重の上西か、向陽の藪上か。ともに右腕本格派の速球投手。開幕をかざるにふさわしい。藪上が重い剛球を駆使すれば、上西のスピードは藪上のそれをしのぐ。二人とも簡単に打ちくずせる投手ではない。だが開会式直後の試合は、実力以外の要素が作用するもの。どちらが早く重苦しいふんいきから解き放たれるかで、序盤戦の展開が違ってこよう。
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藪上敏夫

2017-10-21 17:40:25 | 日記
1970年

ローテーション入りが期待される南海の新人藪上(新日鉄広畑)が先発して四回を無安打に押える好投をした。一回武上を3球三振に打ちとるなど、ストレート、スライダーを内外角に投げ分ける配球は新人離れしている。

南海の新人藪上(新日鉄広畑)が三度目の先発で8イニング投げた。五回二死後、菱川、江島にカウント1-2から高めのスライダーを連続本塁打されたほかは、二塁を踏ませなかった。迫力はないが、コントロールがいいので、安定している。カーブが低めに決まるようになれば、先発要員にはいれよう。

南海のルーキー藪上(新日鉄広畑)がよく投げた。六日の広島戦についで二度目の登板だったが、外角へのカーブを決めだまに四回まで投げてノーヒットに押えた。あまりスピードはなかったが、ピッチングがうまく、度胸があるのでもう少し投球に幅が出てくると使えそうだ。

南海の新人藪上(新日鉄広畑)の株がまた上がった。オープン戦二度目の登板で4イニングをノーヒットのピッチング。きわどいタマをボールと判定されて、何度か不服そうな顔をしたが、「きょうのアンパイア(岡田主審)は判定がからい。でも、どちらにでもとれるタマだから・・・」と審判に遠慮?するあたり、いかにも新人らしい。
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笹原恵通郎

2017-10-15 09:35:08 | 日記
1953年

東映フライヤーズではこのほど次の二選手と契約した。

大生相互銀行 笹原恵通郎一塁手(22)
桐生高 毒島(ぶすしま)彰一投手(19)

笹原は高崎高出身、昨年桐生織物から入社し、二年つづけて後楽園の全国大会に出場、五番打者として活躍した。左投左打。

毒島は桐生高のエースでその速曲球は県下随一。打力もいい。右投右打。
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坪井猛

2017-10-15 09:12:57 | 日記
1961年

広島ではこのほど名古屋電気工業高の坪井猛投手(17)=1㍍73、64㌔、右投右打=の獲得に成功した。同投手は春の愛知県大会で、中京商から10三振を奪っている。夏の県予選では四回戦で敗退しているが、外角速球と、カーブが武器。
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村上俊義

2017-10-10 22:17:47 | 日記
フォーム・・・オーバースローか? (権藤がオーバースローの為) 球種・・・ストレート、カーブ、シュート

1964年

東映の権藤に似たタイプ。カーブが武器。昨年まではファイト不足で失敗した。

1965年

阪神から移籍。ウエスタンで11勝をマーク。スピードは申し分ない。制球力がつけば一軍入り。
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荻原隆 勝利日

2017-10-09 12:36:33 | 日記

大洋時代

1950年5月26日 
1951年6月3日 
   7月21日
   7月24日
   7月29日
   8月29日
   9月20日
松竹時代
1952年5月13日
洋松時代
1953年9月13日
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牧田政彦

2017-10-09 07:55:42 | 日記
1957年

阪急ブレーブスは二十五日、伊那北高の牧田政彦投手(17)と契約した。同投手は在学中、約二十試合に登板して一試合平均10個の三振を奪っている。
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牧田政彦

2017-10-09 07:50:50 | 日記
現役時代は身長182センチ、86キロ。左腕から投げ下ろす速球は、プロで一番速い球を投げる男と言われ、名球会入りした400勝投手・金田正一をもうならせた。、生まれつき肩はめっぽう強く、両翼90メートルのフェンスを軽々越える。ストレート、カーブ、シュート。中でもややスライドするストレートの威力は高校生離れしていた。
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辻原幸雄

2017-10-08 21:50:04 | 日記
1967年 高校時代

毎年、優勝候補の一つに数えられるチーム。県下一の好投手辻原(三年生)も、ことしが最後、ファイトを燃やしている。ただ辻原投手が大事なとき動揺していまう。するとチーム全体、野手もボーンヘッドを繰り返すという精神面の弱さがみられる。

辻原投手も速球とカーブで枕崎打線を3安打の散発に押え、二塁を許したランナーは外野失による一人だけ。全くあぶなげない勝ちっぷり。枕崎はこれではどうしようもなかった。毎回得点試合は今大会初めて。

川内ー玉竜

これも川内・辻原、玉竜・前という、鹿県ではトップクラスの投手を持つチームの激突。川内は出水を接戦のすえ破り、玉竜は出水工を簡単にくだしての準決勝進出で、疲労度を考えると辻原に不利。だが、ていねいに速球とカーブのコンビネーションを考えて投げれば、前に劣らないはず。
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木原義隆

2017-10-07 17:36:03 | 日記
1971年

「とうとう勝てないままだった。いいところまでいきながらつまずいてしまう。勝利から長い間遠ざかっているため、どうしてもあせって失敗する。後半戦になったら何とか・・・」今季前半戦を終わった夜、名古屋で木原がクチビルをかみしめながら話していた。とにかく木原は白星を忘れて久しかった。四十三年に近鉄から大洋に移り、昨年広島のユニホームを着たが、この三年間は白星ゼロ。その木原が後半戦の大事なスタートに先発して、大洋を3安打の完封。なにしろ完投は四十一年九月十五日に、藤井寺の阪急戦で記録して以来五年ぶり。完封はプロ入り七年まで、何とこの夜が初めてである。「直球、シュート、カーブの三種類のタマしかないが、きょうは全部がよかった。いつもリードしていながら打ち込まれるが、きょうは0-0のスコアのつもりで、最後まで慎重に投げ抜いたのがよかったと思う。先日(十三日)の中日戦でメッタ打ちされて、さんざんお説教をされたこともあるし、このまま引っ込んでは男がすたると思ってがん張った。最後はやはり堅くなったが、やっといけた」流れる汗もぬぐわず、初完封の弁はつきない。今季は前半戦の故障も木原にとって痛手だった。開幕後間もない、四月二十一日の対大洋5回戦(川崎)で重松の打球を右手の中指に当てて、約二ヶ月戦列を離れている。「もう野球生活も終わりかと思った。だが指が曲がったらカーブのキレがよくなったから!」とも話しているように、カムバック後はカーブの威力が増大したもは見のがせない強み。このときも先発は白石の予定だったが、上京の飛行機が遅れたため、横浜に住んでいる木原の登板に変更されたもの。「よく投げた。いつも前半を好投しながら、後半にはいったとたん投球のテンポが速くなって失敗を重ねていた。きょうは一球一球を丁寧に投げたのが、シャットアウトにつながった」これは根
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荻原隆

2017-10-07 17:07:19 | 日記
1954年

最優秀投手 荻原隆(ジュニア・ロビンス)防御率1・20
熊谷高校から25年春、大洋ホエールズに入団、27年松竹に移り肩をこわしていた。
シュート投手。5尺5寸、15貫、23歳、右投右打
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