1990年
フォークなど多彩な変化球を持つ。日本大学野球に二年連続出場。
1992年
主戦進藤は右上手でカーブが決め球だが、後半乱れる。
1999年
埼玉の鴻巣高出身。常磐大を経てNTT東北に入社。98年の日本選手権で活躍して注目された。高校2年生のときに遠投110㍍の強肩が買われ、三塁手から投手に転向。常磐大2年の秋にオーバースローからスリークォーターに変えて、大きく成長した。オーバースローからスリークォーターに転向して成功したのは、同じ埼玉県出身の斎藤雅。巨人入りしてモデルチェンジした。進藤も144㌔の速球に切れのいいスライダーで、右打者には自信満々だ。斎藤のフォームを研究した進藤が、師匠に接して成長する。
2002年
大阪桐蔭高では、3年春の大阪府大会で7回参考ながら無安打無失点を達成。140キロ台中盤のストレートを投げる大型の本格派左腕で、00年もドラフト候補に挙がった。持ち球はカーブと切れ味鋭いスライダーで、速さよりキレで勝負するタイプ。まだ粗削りだが、今後の成長が楽しみな選手だ。
1969年
一ノ関投手は左腕の本格派。制球力をやや欠きながらも、重い速球には威力がある。
アトムズ球団から指名された五城目高一ノ関投手の父親、金一さん(47)の話「指名されたことはきょう夕方、知った。本人はいろいろ悩んでいるようで、親としては本人の意思にまかせている。学校の関係者と相談してみる。いまは全く白紙だ」
1990年
一軍入りが期待されていた杉本だが、開幕はファーム。それも、中継ぎからスタートした。5月12日に2勝目をあげて先発ローテーション入りし、一軍へのチャンスをつかむかと期待していたが、慣れない東京での生活で疲れが出たのか、3勝目は3か月後の8月14日の大洋戦だった。昨年はウエスタン・リーグの最多勝(9勝)だったが、広島首脳陣の評価は「ファームでは通用しても上で使うには、すべての面で物足りない」と厳しいものだった。カープのピッチングスタッフは強力だったが、5年間チャンスらしいチャンスもなかった。今年は大野、川口、津田らが揃ってファーム落ちを経験し、先発のやりくりに四苦八苦しているのを見れば、皮肉なものである。ところで、木樽二軍監督は「杉本は繊細だが、ピッチングは攻撃的な面がある。ウチにないタイプの投手だ」と評す。杉本にとっては広島の投手王国にいたことが、今では大きな財産になっているのかもしれない。武器は187㌢の長身から投げ下ろす剛速球である。145㌔の直球に加え、大きくぬいたカーブ、スライダーにもう一つ、自分で考案したオリジナルボールがある。SFFファイアーミラクルクロスボールだ。杉本自身、コントロールに自信がないのでフォークはほとんど投げない。そのフォークの代わりとなるのがこのボールで、SFFとフォークの中間の変化をみせるが、試合で投げるのは多くて5球くらい、あくまで見せ球である。これだけの球種を持ちながらファームに甘んじていたのは、課題のっコントロールだ。昔は突然ストライクが入らなくなり、四球で自滅していくといったパターンが多かった。さすがに最近はストライクが取れるようになったが、まだ微妙なコントロールは持っていない。狙った場所にボールが行き始めれば、一軍で二ケタ勝利も夢ではない。そのためには、上体に頼った投球をしないことだ。下半身を使わないからスタミナも消耗するし、集中力も失う。体も前に突っ込むと悪循環である。そしてもう一つ、どんなときでも、たとえ練習でも低めに投げる癖をつけてしまえば、投球はかなり楽になるはずだ。今年のロッテは一、二軍の入れ替えが激しい。杉本が「敗戦処理でもいいから一軍へ入って、中継ぎと出来れば先発が最終目標です。パ・リーグはパワーのある打者が多いし、特にオリックスは左の打者が多いので手ごわそうですね」と話す横顔は、もうパ・リーグ、ロッテオリオンズの杉本だ。杉本にとっては、チャンスを与えてもらったトレード。このトレードを生かしてもらいたい。
1992年
プロ二度目の先発となった7月8日のロッテ戦で、なんとプロ初勝利を完封の離れ業。「やっと、社会人時代のピッチングが出来ましたよ」と足利は最高の笑顔を見せた。そして「やっぱり、先発がいいですね。この次からローテーションに入れるように頑張ります」と続けた。開幕から足利は中継ぎが主な仕事で、毎試合ベンチ入りしていた。そんな足利だけに、完封勝利を飾った後、「先発の方が楽ですよ」と思わず本音も出た。足利のいう「楽」とは肉体的、スケジュール的な楽さではもちろん、ない。「中継ぎで投げる時は勝っている時も負けている時も、もう1点もやれない、というせっぱ詰まった状況ばかり。でも、先発だったら6、7回を2、3点に抑えればいい、といった余裕を持てますからね」(足利)この足利の特徴はアンダースロー特有の打者の手もとで浮き上がるストレートとシンカー、緩急2種類のカーブで打たせて取るピッチング。その辺の事情を一番心得ている権藤投手コーチも「大した決め球を持っているわけじゃないから、足利はどちらかといえば先発タイプ」と先発・足利を強調する。しかし、悲しいかな。足利には実績がない。7月8日の初勝利後の登板が4回途中KOでまたまた、足利は中継ぎに降格してしまったのだ。後半4試合は中継ぎ、その間足利は「いつかは先発の頭数が足りなくなる。必ずチャンスが来る」と、その日を待ち続けた。「いつも、先発ピッチャーはいいなあ」という羨望の眼差しで先発組を見つめながら…。その一方で、足利は先発・足利をアピールすることも忘れていなかった。後半戦初の先発となった西武遠征。足利は試合前の50㍍走で、すべて6秒台をマークした。このハッスル走が権藤投手コーチの目に止まったのだ。「足利は、次のロッテ戦で先発が足りないのを知ってたんですよ、それに、自分がロッテに相性がいいことも分かってますからね」(権藤コーチ)巧みな演技?で8月15日のロッテ戦の先発を勝ち取った足利はまたも、完封勝ち。「今日は足利の勇気のあるピッチングがすべて」と田淵監督を喜ばせた。だが、「前科」があるだけに指揮官も足利を百パーセント信頼はしていない。「足利は次が大事。この次負ければ、ローテーションにきっちり入れるよ。それに、ロッテ以外のチームにも通用するかも問題だな」(田淵監督)同世代の若田部や村田が先発ローテーションで投げているのが、足利の励みや刺激になっている。足利の「一人二役」はチームが望んでいることではない。足利の先発としての独り立ちは、首脳陣の待ち望んでいることなのである。
1995年
小石沢(盛岡大付)の速球は目を引く。180㌢、76㌔で、肩幅の広い体格。強気の性格も投手向きだ。球が高めに浮く癖がなければ、攻略に手こずるだろう。
主戦小石沢は140キロ前後の速球と切れのいいカーブ、スライダーを持っている。岩手大会は5試合39回投げて失点2、奪三振45。
小石沢はカーブを決め球に被安打1、10奪三振。
1999年
ナックルボールと打者のタイミングをはずす絶妙な間(ま)。ドライチの素質がついに開花した。今季は先発ローテーション定着をめざしジャンプの年。
1992年
契約金4500万。九州ノンプロ球界屈指の本格派の定評あり。140㌔以上は出るストレートに加え、シンカーを有効的に使う。打者に真っ向から挑んていくピッチングは小気味よい。ちょっとした細工を使えば、もっと幅が出てくる楽しみな新人だ。
1990年
ドラフト1位佐々木主浩投手がオープン戦3試合に登板し、6イニング無失点の力投。開幕一軍を手中に収めたが、もうひとり、逸材ぶりをアピールしたのが、2位指名の東瀬耕太郎投手だ。こちらの方は、3月28日のイースタン教育リーグ(対巨人戦)に先発。これがプロ入り初登板だったが、そんなハンデはみじんも感じさせない投球で、4回を3安打無失点に抑えた。「適度な荒れ球で、打者も打ちづらそうだった」と中塚政幸二軍監督は合格点。もっとも、東瀬本人は「つい大学野球を思い出しちゃったもんで‥」と、試合中に外野の方を向いて「ツーアウト~」と声をかける初々しさも披露した。一、二軍と舞台は違うが、頼もしいルーキー・コンビ、今後が楽しみだ。
ルーキー東瀬がうれしいプロ初勝利をあげた。これまで味方の援護がなく惜しいところで白星を逃してきた。ようやく5度目の先発で味方が一回に5点のプレゼント、6回を2失点に抑えて待望の白星だ。「調子はよくなかったけれど、5点もとってくれたので落ち着いて投げられた」安田信託銀行に就職が内定していたものの、エリートサラリーマンを捨ててプロの世界に飛び込んだ。「今年は一軍で投げられると思っていなかったので…」と喜びに声が震えた。加茂川から渡されたウイニングボールを握りしめた東瀬は「まだ勉強することがたくさんある。まずスピードをもっと 速くしたい」と意欲十分だった。
地味だといわれ続けた大洋ナインにも、威勢のいい若者が登場した。ルーキー・東瀬耕太郎投手のこと。真っすぐでグイグイ押し、向こうっ気の強い投球を披露する。威勢のよさは、野球に取り組む姿勢でもいえる。「自分が大学(明大)4年のとき、下級生の投手との投げ合いになると絶対負けられないって力み返ったもんでした。いってみれば今の自分は負けてもともとの下級生の立場ですからね。思い切ってやるだけです」と実に潔い。プロ入りしても自らのことを「自分」と呼ぶ、最近では珍しいくらいの硬派。須藤監督も「何とか(先発で)使えるメドが立ったね」と、合格印を押している。来季、新浦が抑えに回る構想もあり、東瀬は野村に続く先発左腕の役割を担いそう。「自分も来年が勝負だと思ってます」と、すでに来季に照準を合わせている。
1997年
8回2死から代打・山口を4球で仕留めて、大洋(現横浜)時代の90年の10月10日以来、2492年ぶりのプロ2勝目。「えっ、ぼくじゃないでしょう。佐々岡の方が長いイニング投げてるのに…」
2000年
横手の左腕から速球を投げ込む。「球の威力は、まだまだあるし、中継ぎとして十分通用する」と梨田監督も惚れるほど。ワンポイントなど貴重な左の中継ぎに期待も大きく、出番は多くありそうだ。広島、中日などを経て、近鉄が5球団目。この世界結果が全てという厳しさは身を持って体験済み。「来年の事は考えない。ここが野球人生最後のつもりで、恩返しをしたい」と全力投球。
1991年
創立70周年を迎えた四日市工の悲願が174㌢の左腕にかかっている。決して恵まれた上背とはいえないが、140㌔近いストレートを主体に強気のピッチングでこの春、チームを初めて県大会優勝に導いた。打者の手元で伸びるため、見た目以上に相手打者は手を焼く。天性ともいえる「手首の強さ」が速球を生み出している。創部以来初めて県の№1になって東海大会へ。その初戦、中京から11奪三振。失った1点は内野手のまずいプレーによるもの。切れのいいスライダーなど変化球もさえて、完ぺきに近い内容で名門を牛耳った。ネット裏に詰めかけたプロのスカウトも熱心に見守っていた。「練習試合もなかなかやってもらえない相手」と意気込んでいた尾崎監督を手放しで喜ばせた。準決勝の東海大工戦は同点にした9回の1イニングだけ。満を持して、結晶の愛工大名電戦に臨んだ。夏への弾みをつけるために「東海大会優勝」は格好のジャンピング・ボードだったが、名電には逆転負け。5回まではピシャリと封じ込んで2対0とリードしながら、6回に連続長短打を浴びてから悪い面が出てしまった。四死球を挟んで計4連打。内野手のまずいプレーも手伝って、一挙に6点を失った。昨秋の県大会の決勝リーグで三重に0対2で敗れたあと、悔しさから急性胃炎になったほど強気な性格。球場から病院に担ぎ込まれたという逸話がある。しかし、翌日はケロリとマウンドに立って、木本を3安打完封してしまうあたりは並ではない。このところ常に上位に顔を出す四日市工。87年、88年と2年続けて夏の大会決勝で涙を飲み、89年は準決勝で敗れたもの、昨年も決勝まで進んで、同じ四日市市のライバル校、海星に屈した。「背番号10」ながら先発した井手元だったが、5回で降板。センバツにつながる秋季東海大会も初戦で浜松工に4対5で惜敗。甲子園に手の届くところまで進みながら、あと一歩の壁が崩れないでいる。昨夏はエースではなかったものの、秋は主戦のマウンドで悔しさを味わった。そのことで精神的にも大きく成長した。「何もいわなくても、ウエートトレーニングなどに取り組んでいる。自己管理ができるようになった」と尾崎監督。その言葉を裏付けるように、昨夏は66㌔だった体重が4㌔アップした。精神的な成長が肉体にもいい影響を与えている。尾崎監督が「それでもまだ気負うところがある」と話すように、東海大会の決勝戦でチラリののぞかせた強気の虫‥一番の気がかりといえば気がかりだ。しかし、最上級生になり「間合いの取り方もうまくなったし、ピンチでもプラス志向のできる選手」と信頼は厚い。四日市市・大池中から「尾崎監督の四日市工にあこがれて」入学。水が合ったのかメキメキ力をつけていった。「中京に勝ったのは大きな自信になった」と胸を張る。決勝の敗戦については「もともと左打者が苦手なんです。名電のいい左バッター(深谷、鈴木ら)と対戦できて勉強になりました」やや上体に頼っているため、下半身をうまく使えるフォームに改造して夏に臨む。「最初は井手元におんぶしていたチームが少しずつ脱皮しつつある」と尾崎監督。とはいえ、四日市工の球速は井手元の左腕が握っている。
1998年
横手投げから繰り出されるクセ球で、貴重な左の中継ぎとして期待されながら故障に泣かされた昨季。一昨年の登板数46試合から昨年はわずか15試合と大きく期待を裏切る結果となった。左の強打者がクリーンアップにずらりと並ぶセリーグ各球団のオーダーを見れば、今季も対左のワンポイントとして、小早川にかかる期待は大きい。
1988年
昨年からマウンド経験のある右本格派太田が一段と成長。ストレートの威力が増し、課題の変化球に制球力がついたことで投球の幅が広がった。四ー五月の練習試合では尽誠、志度商、神港学園の強豪相手に好投、自信を深めた。
松商は4-4の同点で迎えた九回裏、二者が凡退、延長戦かと思われた。しかし、この日2安打の佐々木が帝京・太田の五球目をライナーで左翼席へ運び試合を決めた。太田のヒザ元を突く直球と緩いカーブに手を焼きながらも三回、四球と長短打で2点、六回は四球と犠打、安打で1点、七回も2安打と盗塁を絡め1点とチャンスを確実に生かし、リードを奪っていたのが生きた。
近鉄の河西チーフスカウトは二十九日、ドラフト3位指名した田口茂樹投手(18)=京都・西城陽高、180㌢、75㌔、左投げ左打ち=と、同6位指名の太田暁投手(17)=愛媛・帝京第五、180㌢、68㌔、右投げ左打ち=の自宅(いずれも京都府内)を訪ね入団交渉、具体的な条件提示をした結果、ともに合意に達したため、両投手の入団が決まった。左の本格派で140㌔級の速球が魅力の田口は、契約金三千五百万円、年棒四百万円。右腕からキレのある速球を武器に、今夏の愛媛県大会でベスト8進出の原動力となった太田は、契約金二千二百万円、年棒三百八十万円。(金額はいずれも推定)