1981年
投手は右上手の小池にすべてを託す。体もあり、スナップが効いて威力十分。時折、高目に浮く欠点がなくなれば、そう打ち込まれなくなる。
長工・小池は力で抑えようとするのだが、スナップが効かず単調。かわそうとするカーブも切れが悪い。
1981年
投手は右上手の小池にすべてを託す。体もあり、スナップが効いて威力十分。時折、高目に浮く欠点がなくなれば、そう打ち込まれなくなる。
長工・小池は力で抑えようとするのだが、スナップが効かず単調。かわそうとするカーブも切れが悪い。
1975年
エース黒沢は180㌢の長身から投げおろす速球に威力がある。カーブに甘さがみられるのと、スタミナが心配だが、曽根監督は「投げ込みも十分で安定してきた」と信頼している。
黒沢は長身から投げおろす速球を武器に酒北打線をほんろう。9四球を与えながらも16三振を記録。
1978年
総合力では上位にランクされる。カギをにぎるのは北野だ。練習試合では40試合以上に登板、防御率は1・37と安定感がある。178㌢から投げおろす重いストレートを決めダマに、二種類のカーブにも鋭さを増した。制球力もよく、広瀬部長も「北野がつぶれたら上位進出は無理」と、全幅の信頼を寄せる。
1978年
エース稲葉はオーバースローの本格派。速球と落ちるボールが武器。これまで、スタミナ不足で後半つかまるケースがあったが、走り込みで球威、スタミナとも増し心配はなくなった。 粟野は右腕の稲葉を中心にまとまっている。内角へのカーブと速球を武器にしている。
1987年
チームは、四番の長谷川の投打にわたる出来いかんが上位進出のカギとなる。最近ストレートの速さに加え、球に重みが増し、カーブとのコンビネーションさえうまくいけば、と好投が期待されている。
1981年
「自分で納得のできるピッチングだった」と胸を張った。走者を許したのは一回の内野安打だけ1本だけ。奪三振が七回をのぞく毎回で計16。それにしても試合開始早々の内野安打は惜しかった。遊撃の失策にしてもいいような当たり。「僕もエラーと思った」そうすればノーヒット・ノーランだった。「でも、いい。これまでで最高のできだったから」東奥義塾の打線については「怖くなかった。五回1点を先取した時は、あとは絶対抑える自信があったので1点だけで十分だった」なかなかの強気。内外角にビシッとストレートを決める投球は強気の性格そのままだ。右投げ、右打ち、179㌢、73㌔。
1986年
「六回の3点が効いたね」と近鉄・岡本監督。五回までは、ロッテ先発・水谷に6安打3点。近鉄打線は九日以来、8日間で2試合しかゲームを消化していないせいか、勢いがつかない。「水谷には、ほんとに手こずっていたんだ」と岡本監督。ところが、六回、ロッテが動いて、水谷から田子へスイッチ。すかさず、デービスが外側のフォークをバックスクリーンに直撃し、村上も同じ外側のフォークを左翼中段に2点本塁打。あっという間に試合を決定づけた。一方、ロッテ・稲尾監督は、田子の起用を「雨でグランドがぬれて足場が悪くなった。水谷もよく投げていたが、調子の良い田子に修羅場を踏ませ、その投球を見たかった」と語った。五回まで、ロッテは毎回安打の8安打。拙攻で3点しか取れずに、もたつき出してはいたが、まだまだ試合の行方は決まっていなかった。これまで、11勝9敗1分けと勝ち越している稲尾監督の冒険が、裏目に出た。
1982年
大阪市東住吉区 ドラフト6位、契約金2000万。55年夏の甲子園大会に出場。エース小山(近鉄)をしのぐほどのピッチングをして注目された。サウスポーだけに、早く一人前に仕上げたいひとり。プレート度胸もよく、将来が楽しみなひとりといえよう。
1983年
ドラフト外、契約金300万、速球に威力があり、1年生の時からエース。10月に行なわれた新人テストに合格した。備前スカウトは大野のようになって欲しいと期待。
1981年
昭和33年5月21日 左投左打 182㌢、76㌔
ドラフト外、契約金1500万。中央では無名だが、左腕からのクセ球を武器に大学通算15勝をマーク。
1982年
マスクの良さでは、森脇に負けないくらい。さぞや女子高生にモテモテだったかと思うと「ハテ、そんなことなかった。別に気にしてもいませんでしたから」とサラリ。ノレンに腕押し…つかみどころのないところがあるが、負けん気は人一倍。昨年県予選で松代高宮坂と対等に投げ合った。「ブルペンで捕手のミットにちゃんと投げ込むことが第一目標。人前でガムシャラにやるのは嫌いで、こっそり技を磨く。とにかく試合で投げたい」
1979年
硬式のボールを握りたい一念から、巨人のテストを受け合格したのが伊藤元喜投手(20)である。昨年十月、加藤スカウトから電話で「テスト合格」を知らされて、彼の野球人生は大きく変わった。冷暖房設備のメーカーの日本電装で軟式野球をやっていたがもともと愛媛伊予農高では硬式の投手だった。夢がかなって巨人の一員となった彼は「体のふしぶしが痛い。今が最高につらい時です。でも、なんとかみんなについてやっています」と、緊張したキャンプ生活を送っている。プロとアマの力の差が開く一方の現在、果たしてテスト生がプロでやっているのか。岩本二軍監督は「いい球を投げていますよ。今年の新人投手と球の威力という点では、少しも見劣りしない」と、伊藤の将来性を買っている。巨人には、テストで入団して大成した大友投手の例がある。1㍍81と体格にめぐまれた右の本格派。「時間がかかるかもしれないが、必ず一軍で投げてみせます」。雑草の強さを持つ投手だ。
1980年
昭和36年10月12日 福島県会津若松市 右投右打 180㌢ 76㌔
ドラフト外、契約金1000万。本格派投手だが未知数。ファームで登板できるかどうか。