1964年
塩津は33年大毎に入ってきたとき「これはスラッガ-になるぜ」と別当監督を喜ばせたものである。それから六年、キャンプのたびにことしのホープには必ず名前を連ねるのだが、いつも一シーズン70打数までいったことがない現実、そこに塩津のウィーク・ポイントが出ているような気がする。つまりキャンプの王様、バッティングはぞくにいう観兵式で実戦的でないのだ。気も弱い。
1986年
「久びさに鹿児島から大物打者登場?」と話題になった塩津義雄外野手だ。長距離打者育成では定評のある別当監督が惚れこんで、キャンプでのフリーバッティングを見ていると壮観だった。だが、いざ実戦になるとモロい。またキャンプの季節がくると強打をもって鳴る大毎オリオンズの主力打者、山内や榎本や葛城といった面々でさえ「あいつには負けるよ」という豪打をみせる。今度こそ…とみていると、実戦ではまたも練習のようにはいかない。256試合出場374打数84安打、7ホーマー、打率・225で終わった。
塩津は33年大毎に入ってきたとき「これはスラッガ-になるぜ」と別当監督を喜ばせたものである。それから六年、キャンプのたびにことしのホープには必ず名前を連ねるのだが、いつも一シーズン70打数までいったことがない現実、そこに塩津のウィーク・ポイントが出ているような気がする。つまりキャンプの王様、バッティングはぞくにいう観兵式で実戦的でないのだ。気も弱い。
1986年
「久びさに鹿児島から大物打者登場?」と話題になった塩津義雄外野手だ。長距離打者育成では定評のある別当監督が惚れこんで、キャンプでのフリーバッティングを見ていると壮観だった。だが、いざ実戦になるとモロい。またキャンプの季節がくると強打をもって鳴る大毎オリオンズの主力打者、山内や榎本や葛城といった面々でさえ「あいつには負けるよ」という豪打をみせる。今度こそ…とみていると、実戦ではまたも練習のようにはいかない。256試合出場374打数84安打、7ホーマー、打率・225で終わった。