中野の夜は、遠かった

2001年04月11日 | 家族

日曜日(4/8)5時前、図書館から帰る車の中で、
ケータイがなった。
車を運転中にはケータイをとらないようにしているが、
女房からの電話かなと思うとそうもいかなく、
赤信号で停まったときに、携帯電話をとった。
「今どこにいんの」
「図書館からの帰りの車ん中」
「ごめん、こっち来るとき、瞬間接着剤持ってきて」
「なんで」
「フラメンコの靴の底が剥がれたの」
「どこにあんの」
「電子レンジの棚の下の引き出しの中、
昨日買ってきたのがあるはずだから。
受付に渡しといて。開演前に大丈夫?」
「分かった。持ってくよ」
我が家の電子レンジは、
昔使っていたパソコンラックにのっている。
プリンターをのせる場所には、
コーヒーメーカーとトースターがある。

家に帰って、引き出しを探す。
瞬間接着剤はあったが、古そうだった。
他のを探したがない、5時を過ぎてたので諦めた。
新所沢発5時23分の電車だった。
6時30分開演に間に合うかな、と不安になった。
6時15分に中野駅に到着。
ゼロホールへ向かって必死に早歩き。
人混みをかき分けて、受付の女性に話すと、
楽屋に行ってくれ、といわれた。
外に出て探したが、楽屋が分からない。
ケータイを取り出し電話する。
「今、受付に渡そうとしたら、直接持っていって、
といわれたんだけど、楽屋が分かんない」
といった。6時20分。
結局、ホールの中に入り、渡せた。
しかし、ケータイが鳴る。
「これ古いやつで使えないよ」
と女房が泣き出しそうな声でいう。
ああ…、昔、逆なことがあったな、と思った。

結婚した頃、職場の人たちが祝いのパーティを
開いてくれた。
そのとき、お礼にケーナを吹こうと思い、
女房に持ってくるようにいっておいた。
いざそのときがきて、女房にケーナを出してくれ、
というと、それは、篠笛だった。
あんときは、腹がたったな。
でも、同棲したばっかりだもの、
ケーナも篠笛も分かんないよな。

女房のフラメンコは、うまくなりました。
ほんと、オセージではなくさまになっていた。
始めた頃は自信がなく、ただフラメンコの振りをまねしてる、
という感じだった。
あのうまさの陰に、おれの苦労がある。
練習の日、おれは息子のメシの心配をし、洗濯をし、
乾いた物を取り込んでたたみ、台所の食器を洗う。
これは残業をして家に帰ってからのことだ。

晴れやかに、すまして踊ってる女房を見ていて、
おれは、胸が熱くなった。
涙なんていうやつも出てきやがった。
いやな会社を我慢してきた彼女。
昔のことも想った。
双子の息子たちが小さかった頃、
ギャーギャーいって世話してたあいつ。
おれが転職するたびに、
「こんどの会社、いいとこだといいね」
といってた女房。
「私、これだーってものがないんだ」
といい続けてやっと見つけたフラメンコ。
若い子たちに混じって、謙虚に踊ってる43歳のおばさん。
デジカメで撮るには遠すぎる座席で、
おれは、女房の姿を追い続けた。

写真の一番左が女房です。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする