うるさいナビゲーター

2001年04月21日 | 家族

女房が、25日で退社する。
それで、会社に置いてある自転車を取りに、
車で出かけた。
本社にいたときには、駅と会社との往復に使っていた。
昨年の秋に営業所に移ってからは、
昼休みちょっと出かけるときのために置いていた。
久しぶりに東京まで車で行った。
所沢から東村山を抜けて、新青梅街道に出る。
女房が10時過ぎまで寝ていたので、
家を出るのが遅かった。
おれとしては、もっと早く家を出たかった。

カーラジオでは、永六輔と大橋巨泉が話していた。
大橋巨泉は、目の手術のこといっていた。
彼は、母親が手術すれば治ったのに、
しなかったために死んだことを後悔して、
自分は、手術は進んでするようにしている、
といっていた。
その気持ちおれも同じだ。
おれは、胆石があると40歳のとき人間ドックで知って、
すぐ切った。
まわりの人はびっくりしていた。
「なにも痛くないのに、
 すぐ手術をすることはないんじゃないか」
といわれた。

新青梅街道に出て、
助手席でうつらうつらしていた女房を起こす。
久しぶりに東京に出たので、
ナビゲーターになってもらうためだ。
しかし、このナビゲーターが地図を見ながら小うるさい。
「もうすぐ、目白通りに出るから左に曲がって」
「そこそこ、その先よ。そんな細い道に曲がってどうすんの」
「あれ? この道じゃないみたい。
 大丈夫、道はつながってるんだから」
「ほらッ、気をつけて。前の車停まろうとしてたよ」

石神井公園駅前あたりにきて、
がぜん女房は勢いづく。
「ここからは、毎日バスで通ってるから地図はいらないわ」
「バスに乗ってるときと視線の高さが違うから、
 街の景色がちがうなァ」
「だめだめ、信号が赤だってここで停まったら、
 いつになっても先に行けないよ。その先で待つのよ」

おれは、女房が毎日この道路をバスで行くとき、
どんな想いでいたかな、と思った。
会社を辞めたい、という気持ちでずーっといたのだ。
でも、亭主の収入を考えたら辞められない。
こころを締め付けられる想いがした。。
そんなこと考えると、うるさいナビゲーターに、
何もいわずに従っていた。

女房の会社に着いた。
15、6台の配送トラックが停まっていた。
彼女の会社は、そば屋さんなどに食材を売っている。
雨の中、女房は車から出て、自転車を取りに行った。
傘を差して待っていると、
会社の裏のほうから、自転車を押して女房が来た。
自転車の前カゴには、
フラメンコを昼休みに練習するんだと持っていった
ゴムマットとベニヤ板があった。
昼休み、よくおれの携帯電話に、
「今、ステップの練習している。なかなかうまくいかない」
なんていうメールが来ていた。
もうそれもなくなる。
月火水と行くと、女房の辛かったここでの勤めも終わる。
よかった、よかった。

やっとの思いで、小さい車に自転車を積んだ。
帰りは、ナビゲーターも寝息をたてていた。

コメント
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