ある老夫婦の死

2002年01月10日 | 健康・病気

1/8の朝日新聞のある記事を読んで、
私はなんかやりきれない気持ちになった。
それは、
「79歳夫と82歳妻、自宅で死亡」
という記事です。
夫が一昨年から入退院を繰り返していて、
昨年12月中旬、妻が、
「正月は家で迎えさせてあげたい」
と夫を自宅に引き取ったらしい。
寝たきり状態の夫のおむつを代えようとした妻が、
何らかの発作を起こして倒れた。
そのあと夫は衰弱死したらしい。

自分の看病をしていた妻が目の前で亡くなり、
そのあと、
寝たきりの自分の世話をする者もいない状態で、
死ぬまでの間、
そのひとは何を考え想っていたのだろう。
NHK交響楽団でヴァイオリンを弾いていたことは、
想っただろうな。
奥さんとの暮らしなども振り返ったでしょう。
子どものことは書いてないので、
いるかどうか分からない。

私だったら何を想うだろう。

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モー娘

2002年01月09日 | 家族

フラメンコの練習から帰ってきた女房が、
「今、リストラがすごいね」といった。
テレビでは「ニュース23」がかかっていて、
メリルリンチの日本法人が1,200人人員削減する
と報じていた。
「えみさんね。『リストラ』という言葉は、
 人員削減という意味じゃないんだよ」
「えっ、そうなの」
「リストラクチュアリングという言葉の略で
 企業再構築ということなんだ。
 でも、今の日本では人減らしという意味で
 使われてるけどね」
私は、言葉が正しく使われないことに腹が立つ。
そのくせ無学な私は、
言葉の意味を誤解していることが多いんですが…。

「『モー』と『娘』と書いてなんて読む」
いきなり女房が話題を変える。
「『もーむすめ』か?」私がいうと、
「そうだよね」とうなずき、
「そうとしか読みようがないよね。
 ちょっとUに訊いてくる」
と息子の部屋に行った。
私は台所の換気扇の下で煙草を吸う。
「そうか、『もーむす』っていうのか」
という女房の声がした。
それを聞いて私は、
(そうか、「モー娘」は「もーむす」って読むのか)
と思った。
「『もーむす』だってひさしクン。
 さすがUは知ってたわ」
と戻ってきた女房が嬉しそうにいう。
「でもなー、『娘』って書いて『むす』
 とは読めないよな」
「そうよね。へんよね」

今の芸能情報についていけない
中高年夫婦の情けない会話です。

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30年前

2002年01月08日 | テレビ

今夜のプロジェクトXは、
「あさま山荘・衝撃の鉄球作戦」だった。
楽家で酒を飲んでいたとき、
テレビがそれの1部をやっていた。
2部が9時15分からやるというので、
急いで家に帰った。

30年前、私は19歳だった。
私はこまかいことは覚えていないが、
あの“鉄球”の映像は覚えている。
あさま山荘の壁をうち砕く鉄球は、
なんか異様だった。

私が社会人になってはじめての、
大きな事件だった。

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昨日と今日の落差

2002年01月07日 | 暮らし

今日は、会社で残業になり家に着いたのが9時だった。
11時間は立ちっぱなしだった。
昨日は、午前中図書館に行ったり、
午後はLANの配線を
ケーブルモールできっちり処理したり、
台所の網戸をはずして洗ったり、
包丁2本研いだりと、
連休最後の日を有意義に過ごした。

家に帰ってきて、
女房の雇い主の、
息子さんのパソコンがおかしいというので、
今日女房が自宅に寄って持ち帰ってきた。
パソコンを見たらおかしくはなかった。
おそらくパソコンのことが分からないので、
おかしいと思ったのだろう。
Gatewayのノートパソコンだった。
このパソコンなんかよくない。
私は好きになれない。

ニュース23に、
星野と田淵が出ていた。
なんか今年の阪神に期待しちゃう。
永六輔も出ていた。
先週のラジオワイド東京でいっていたので観たのです。
私は、今一番大好きなひとというとこのおじさんです。

出社1日で、
昨日までの正月気分が抜けちゃいました。
できたら、365日正月気分でいたい九想です。

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連休最後の日

2002年01月06日 | 暮らし

とうとうこの日がやってきました。
泣きたい気持ちです。
(なんて、子どもみたいですね)
休みになったときから、
今日の来るのを恐れていた。

でも、ふつうに地球が回って、
世界、日本に大きな事件がなければ、
あたりまえにこの日はやってくる。
これは、幸福なことですね。

家族と私が健康に正月を迎えられたこと、
そして明日、会社に行けること、
このことを喜ばなければならない。

それは分かっているのですが…ね。
今日は朝から、
女房と顔合わすたび、
ふたりでため息をついていた。
「ああ…、休みが終わっちゃったね」
女房なりに、明日からの仕事は憂鬱なようです。

この正月休みの最大目的は、
フレッツADSL開通でした。
いろいろ不安がありましたが、
無事達成出来た。
これだけでもこの連休は有意義でした。

さあ、明日からがんばって仕事をしよう。

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劇団みなずき新年会

2002年01月05日 | 友人

今日は、大宮の、そうだ現在は「さいたま市」だった。
なんと個性のないうすっぺらな名前なんだ。
劇団みなずきの新年会だった。

新年会の前に麻雀をやろうということで、
1時に稽古場集合ということをいわれてた。
私はADSLのためのLAN配線の処理をするでの、
午前中ホームセンターで床用ケーブルモールを買い、
それなりに設置していたら12時を過ぎてしまった。
結局、大宮のみなずき稽古場に着いたのが2時だった。
いつもは車で行くのだが、
新年会で酒を飲むので電車にした。
車では大宮を遠く感じないが、
電車だとものすごく遠く思えてしまう。
実際、稽古場まで1時間40分はかかる。
車だとうまくすると1時間で行く。
麻雀は大敗でした。
考えたら牌に触るのが、昨年の今頃以来だった。
夜7時過ぎ、他の人が来たので新年会になった。
稽古場のステージにコタツをふたつ離して置き、
その間に戸板を置いた。
その上に蒲団をかぶせ、細長い状態にした。
ビールを飲みはじめて私は眠くなった。
昨日までの疲れが出たみたいだ。
私は、横になって寝てしまった。
目が覚めると、沢山の人がいた。
子どもの声まで聞こえた。

こんど、中学校でみなずきが公演をするという。
卒業する3年生に観せてくれということらしい。
すばらしい。
その公演で、まとまった金がもらえるらしい。
とてもいい話だ。
なにしろ毎月の稽古場の家賃だけでも大変なのだ。

Wさんと話した。
彼とは、東大生協駒場で一緒に働いていた。
24、5年前のことだ。
私とつきあったせいで、今、大宮で暮らしている。
私がみなずきの前身の劇団に参加していた縁で、
彼は大宮に来ることになってしまった。
Wさんは、先日駒場に行ってきたという。
働いていた人が違っていたが、
建物が同じなので生協に入ったら、
時間がとまっていたように感じた、といった。
私も行ってみたいと思った。

みなずきは去年1度も芝居をしなかった。
今年は、2月に公演があるという。
中学校でやり、稽古場でもやる。
みなずきにはがんばってもらいたい。
みなずきの連中のがんばりは、
私の励みになる。

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わが家もADSL

2002年01月04日 | パソコン・スマホ

今日が、ADSLにするためのNTTの工事の日だった。
朝から、工事をする人がいつ来るかと待ち続けた。
午前中に来なかったので、
NTTに電話をすると午後の2番目だという。
それからもビーシュを飲んだり本を読んでいたが、
気持ちが落ち着かなかった。
昨日までも、モデムやルーターの配置や
LANケーブルの引き回しなどを考えていたが、
あらためてメジャーを出して測っていたら、
午後2時半頃、工事のおじさんがやってきた。
わが家の電話はドアフォンのため、
簡単にスプリッタを取り付けられない。
屋内配線工事をしてもらって7,500円だった。

それからが忙しかった。
ラオックスに行って、
ブロードバンドルーターと、
私が自作した息子のパソコンのLANボードと
LANケーブルを買いに行った。
ルーターは昨日までに目星はつけていた。
2、3日前までは別なものを考えていたが、
「ネットワークゲームが出来るための
 静的IPアドレス機能がついてないとだめだよ」
と息子がいったから予定が狂った。
いったいその“静的IPアドレス”とはなんなんだ。
よく分からないが、調べたらルーターというものは、
よそのパソコンから入り込めないようになってるが、
インターネットで対戦ゲームをするために
必要なものということが分かった。
そんなもののことなど、私は考えもしなかった。
ラオックスで見てみたら、
最初に買おうと思っていたルーターより安いもので、
その機能があるものがあった。8,980円だった。
LANボードが1,300円、
LANケーブル、10m 880円、3m 360円だった。
Kの部屋まで10mで届くかどうか心配だったので、
1本しか買わなかった。
家に帰って、10mのケーブルを実際に置いてみたら
ちょうど間に合った。
ラオックスに、床用ケーブルモールがないので、
PCバイキングに行った。
しかし、そこには大きいサイズのものしかなく、
ジョーシンに車を走らせた。しかし、なかった。
10mのLANケーブルを1本買って帰ってきた。

家では息子たちが、
自作のパソコンにLANボードを入れ、
ドライバーをインストールしていた。
ケーブルモールがないので略式に配線し、
いよいよブロードバンドルーターの設定だ。
Kがマニュアルを読んでいたので、
やらせてみた。
あいつは最近パソコンのことを勉強しはじめていた。
途中分からないことがあったので、
友人に電話をして訊いた。

こうして息子たちとあたふたして、
無事ADSLがつながりました。
しかし、こんなにUとKと一緒に、
ひとつの作業をしたのは何年ぶりのことだろう。
あいつらが小学生のときは、
3人でいろいろやったっけ。
そんな様子を見ていた女房がうらやましそうに、
「ああ…、ママだけが蚊帳の外ですね」
なんて呟いた。
スピードの速いADSLで常時接続できることを
こんなに息子たちが喜ぶとは思わなかった。
せいぜいインターネットを活用して欲しい。
しかし、ゲームだけだったりしたら悲しいぞ。

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津軽三味線

2002年01月03日 | 音楽

1月2日の夜9時15分からBS2でやった
「ザ・津軽三味線スーパーライブ」という番組を観た。
以前、九想話に書いた
木下伸市、上妻宏光、それに吉田兄弟のライブだった。
それぞれのオリジナル曲をやったり、
「津軽あいや節」「津軽よざれ節」「三下がり」
なども演奏した。
KOBAのアコーディオンとの共演もよかった。
私は、三味線を無性に弾きたくなった。
20何年か前、高橋竹山を聴いたときから
そう思っていた。
三味線が欲しい。

ああ…、だめだだめだ。
ケーナをきちんと練習しなければ。
ギターはどうした。
ブルースハープも泣いている。
クロマチックハーモニカはどこに行った。
尺八は乾ききっているぞ。
リコーダーだって拗ねている。
でも、三味線弾きたいな。

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季語

2002年01月03日 | 俳句・短歌

大晦日、8時頃は紅白などを観ていたが、
さすがのミーハーの私でもつまらなくて、
テレビを消してコタツで寝てしまった。
9時半から、BSでやった映画、
「海の上のピアニスト」はよかった。
それが終わって、九想庵を更新して、
元旦の1時過ぎ、寝ようと思ったら、
12/31は、わいわい雑俳塾の投句の締め切りだった
ということに気がついた。
気持ちはもうすっかり蒲団の中に入っていた。
ああ…、ここで寝てしまったら、
ものすごい後悔と自己嫌悪の年明けとなる。
歯を磨いてしまっていたが、
グラスには日本酒を、コタツには電源を入れ、
俳句を書く手帳と歳時記2冊を本棚から出し、
コタツに入った。
しかし、こころも体も、
「電源が切れる準備ができました」
状態になっているので、
再起動するのがやっかいだった。
それでも、ここは意地でも気力というか俳力をだして
俳句をひねらなければならない。
兼題は「着ぶくれ」「年惜しむ」「手の字を入れる」
というものだった。
1時間ほど考えて、それなりの3句ができた。
それじゃ、これを投句しようと思ったとき、
一番気に入っていた句、

  差し入れし手に火のような乳房かな

に、季語のないことに気づいた。
それからこの句にうまく合う季語はないかと
いろいろ歳時記を探してみたが、なかった。
とても気に入っていた句だったが、
泣く泣くあきらめちがう句をつくった。
季語で救われることもあるが、
季語で泣くことも多い。
なんだかんだで、
やっと投句をすませることができた。
でも、あの句を投句したかった…な。

今年からは、毎月投句した句への想いなどを
九想庵の俳句のページに載せたいと思います。

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正月の母

2002年01月02日 | 家族

1月1日の5時過ぎに、
特別養護老人ホーム「ひだまりの家」に着いた。
駐車場に兄の車があった。
部屋に行くと、部屋の隅にある簡易トイレで、
母がちょうどうんちをしたところだった。
兄が母のお尻を拭いていた。
部屋中に薬臭いうんちの臭いが充満していた。
「こんちは」というと、
「かあちゃん、ひさしが来たど」
と母のズボンを上げながら兄がいった。
母はなにも聞こえないのか、
ベッドに歩いていき、横になった。
蒲団を掛けながらもう1度いうと、
「来たのが」と母がいう。
私のことを分かったのかどうなのか。
「遠いところたいへんですね」
と母が他人行儀にいう。
ああ、分かってないな、と思った。
「ひさしだど。分がっか、かあちゃん」
そう兄がいうと、
「ひさしがァ…」と母。
分かったのかな、と一瞬思った。
しかし、次には、
兄のことを「ひさし」と呼び、
私のことを兄の名前で呼んだ。
ああ、やっぱり分かってない。

5時45分、ホールに行った。
6時から夕食だ。
兄が車椅子に母を乗せ押して行った。
母の名前の書いてあるテーブルの前に車椅子をおく。
6人が食事のできるスペースのあるテーブルには、
母の他におばあさんが3人いた。
兄が挨拶をして、私を「弟です」と紹介した。
「ほうがァ、よがったな。おばさん」
とひとりのひとがいった。
母はニコニコしていた。
ホール中に「箱根八里の半次郎」の曲が流れた。
「これで体操すんだ」と兄が説明してくれた。
そのうちみんな坐ったままで手足を動かし始めた。
母も頼りない動きでやり始めた。
私は、デジカメのストロボを切り写真を撮った。
母は、ご飯とおしんこと味噌汁はすべて腹に入れたが、
メインの中華風の料理はほとんど食べなかった。

食事が終わり部屋に戻った。
私は持ってきたおせち料理を出すのをよした。
「明日も来るよ」というと、
「明日も来んのがァ。よがったァ」
と母はよろこんだ。
しばらくいて私と兄は「ひだまりの家」を出た。


今日の午前中、2番目の姉が東京から来た。
午後、3番目の姉が川崎から来た。
母の実家から、母の弟が危篤だと電話が来て、
兄が病院に見舞いに行った。
3時頃、ふたりの姉を車に乗せて
「ひだまりの家」に行った。
兄が母の部屋を掃除していた。
「かあちゃんは?」と姉が訊くと、
ホールにいると兄がいった。
「今日は機嫌が悪くてだめだよ」
3人でホールに行った。
私と姉たちを見ても母は何の反応もなかった。
「かあちゃん、部屋に行くべ」
と姉がいうと、
「寝っとごもねえどこに行ったって
 しょうがあんめな」
と母が怒る。
「寝るところはあるよ。行こうよ」
「ねがっぺな。かあちゃんはこごにいる」
そういう母の顔は、昨日とは別人のようだった。
「あるが、ねェが、確かめに行くべよ」
私がいうと、
「ねェよ。こんな山んながに連れでこられで、
 なんにもいいごどねェ」
すごい大きな声で怒る。
私は、これがボケることか、と思った。
窓の外を見ると雪が降ってきた。
「雪降ってきたから、おれ帰る」
と姉たちに行って、ホールを出た。
私は振り返ってガラス越しに、
兄と姉たちが車椅子に乗せた母を
部屋に連れて行くのを眺めた。

私は雪の中、やるせない想いで車を走らせた。
所沢に7時半に着き実家に電話すると、
川崎の姉が出た。
「今着いたよ」
「あのあと、ひさしが帰ってから、
 かあちゃん機嫌よくなったよ」
「そうが…。よかったね」

今頃、かあちゃんは「ひだまりの家」で、
何をしているのだろう。

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