1月1日の5時過ぎに、
特別養護老人ホーム「ひだまりの家」に着いた。
駐車場に兄の車があった。
部屋に行くと、部屋の隅にある簡易トイレで、
母がちょうどうんちをしたところだった。
兄が母のお尻を拭いていた。
部屋中に薬臭いうんちの臭いが充満していた。
「こんちは」というと、
「かあちゃん、ひさしが来たど」
と母のズボンを上げながら兄がいった。
母はなにも聞こえないのか、
ベッドに歩いていき、横になった。
蒲団を掛けながらもう1度いうと、
「来たのが」と母がいう。
私のことを分かったのかどうなのか。
「遠いところたいへんですね」
と母が他人行儀にいう。
ああ、分かってないな、と思った。
「ひさしだど。分がっか、かあちゃん」
そう兄がいうと、
「ひさしがァ…」と母。
分かったのかな、と一瞬思った。
しかし、次には、
兄のことを「ひさし」と呼び、
私のことを兄の名前で呼んだ。
ああ、やっぱり分かってない。
5時45分、ホールに行った。
6時から夕食だ。
兄が車椅子に母を乗せ押して行った。
母の名前の書いてあるテーブルの前に車椅子をおく。
6人が食事のできるスペースのあるテーブルには、
母の他におばあさんが3人いた。
兄が挨拶をして、私を「弟です」と紹介した。
「ほうがァ、よがったな。おばさん」
とひとりのひとがいった。
母はニコニコしていた。
ホール中に「箱根八里の半次郎」の曲が流れた。
「これで体操すんだ」と兄が説明してくれた。
そのうちみんな坐ったままで手足を動かし始めた。
母も頼りない動きでやり始めた。
私は、デジカメのストロボを切り写真を撮った。
母は、ご飯とおしんこと味噌汁はすべて腹に入れたが、
メインの中華風の料理はほとんど食べなかった。
食事が終わり部屋に戻った。
私は持ってきたおせち料理を出すのをよした。
「明日も来るよ」というと、
「明日も来んのがァ。よがったァ」
と母はよろこんだ。
しばらくいて私と兄は「ひだまりの家」を出た。
今日の午前中、2番目の姉が東京から来た。
午後、3番目の姉が川崎から来た。
母の実家から、母の弟が危篤だと電話が来て、
兄が病院に見舞いに行った。
3時頃、ふたりの姉を車に乗せて
「ひだまりの家」に行った。
兄が母の部屋を掃除していた。
「かあちゃんは?」と姉が訊くと、
ホールにいると兄がいった。
「今日は機嫌が悪くてだめだよ」
3人でホールに行った。
私と姉たちを見ても母は何の反応もなかった。
「かあちゃん、部屋に行くべ」
と姉がいうと、
「寝っとごもねえどこに行ったって
しょうがあんめな」
と母が怒る。
「寝るところはあるよ。行こうよ」
「ねがっぺな。かあちゃんはこごにいる」
そういう母の顔は、昨日とは別人のようだった。
「あるが、ねェが、確かめに行くべよ」
私がいうと、
「ねェよ。こんな山んながに連れでこられで、
なんにもいいごどねェ」
すごい大きな声で怒る。
私は、これがボケることか、と思った。
窓の外を見ると雪が降ってきた。
「雪降ってきたから、おれ帰る」
と姉たちに行って、ホールを出た。
私は振り返ってガラス越しに、
兄と姉たちが車椅子に乗せた母を
部屋に連れて行くのを眺めた。
私は雪の中、やるせない想いで車を走らせた。
所沢に7時半に着き実家に電話すると、
川崎の姉が出た。
「今着いたよ」
「あのあと、ひさしが帰ってから、
かあちゃん機嫌よくなったよ」
「そうが…。よかったね」
今頃、かあちゃんは「ひだまりの家」で、
何をしているのだろう。