Reiko's Travel 記事と現在の英国事情

在英51年、2020年7月未亡人になって以来、現在英国事情と過去の旅行の思い出を記載。

大英博物館のトロイ展

2019-11-26 22:33:29 | 日記19

 

V & A の翌日は友達と大英博物館のトロイ展を見に行った。

実際のトロイはもう20年近く前、トルコ旅行でトロイに立ち寄った。下手な日本語の説明案内書があったが、実地よりも今回のトロイ展の方がずーと面白く、また良く分かった。

 

 

この壺はギリシャで作られたもので、トロイの勇者アキレスがアマゾネスと戦っているところ。

トロイはギリシャに滅ぼされたが、古代ストーリーテラーのホーマーの抒情詩からギリシャではトロイ戦争やイリヤッド、オデッセイなどが絵や彫刻によって表現された。

 

このバストはローマ人による盲目のホーマー。

 

 

 

ゼウスがトロイの王子パリスに3人の美女の中で一番美しい女性を選ばせた。パリスはギリシャのスパルタ王妃ヘレンを選んでトロイに連れ帰ったことから、長い戦争になった。

一説によればゼウスは人口統制のためにトロイ戦争を起こしたという。

上の絵ではヘレンとパリスの結婚式に招待されなかった不和の女神エリスが、怒って金のリンゴを投げて、3人の女性が不和になるよう呪いをかけたという。

 

ローマ時代の彫像でヘレンがメッセンジャーボーイ・ヘルメス(ローマではエロス)の手引きでパリスと会っているところ。

 

 

 

ローマ時代に造られた石棺の周りの彫像は多くギリシャ神話から採ったものが多い。この石棺ではアキレスが友人であり愛人?だったらしいペトロクラスの死を悼んでいるところ。

 

 

 

このトロイ展でのハイライトが、アキレスが彼の弱点であるところのアキレス腱に矢が刺さって苦しんでいる様子を像にしたもの。Filippo Albacini (1777年―1858年)によってつくられた1825年の作品。

純白の大理石に美男のアキレスが素晴らしい。

 

ホーマーのイリヤッドによれば、トロイ戦争でギリシャの王子ヘクターが破れ、その遺体をアキレスは12日間馬の後ろにつないで引き回したという。ギリシャのプリアム王はアキレスに膝まづき、息子ヘクターの遺骸を返還してくれるよう頼んでいる。

この銀の壺はローマ時代AD50年ごろのもので、デンマークの指導者の墓から出土された。

 

 

石棺のレリーフでトロイの木馬を表したもの。こんなに小さい木馬に何人も兵士が隠れることが出来ない。

 

 

トロイの木馬を考案したオデッセアス(Odysseus)の像。ホーマーの詩では彼が大活躍する。

 

トロイの木馬、太古からこの話は芸術家の意欲をそそり、絵や彫刻によって表される。

 

 

オディッセウスがサイレン(誘惑者)の歌声から誘惑を振り切るためにマストに我が身を縛り付け、船乗りたちには歌声が聞こえないように耳をふさいだ。ホーマーのオディッセウスの詩から。

 

 

この小さな彫像は、アキレスの母親が彼の右足をつかんでStyx河に浸けてアキレスを無敵の体に祈願したが、つかんだ右足だけが水に浸からず、右のアキレス腱だけが弱点になった。

 

プレラファエリティのエヴリン・デ・モーガンによるヘレンとカサンドラ。

ヘレンは鏡に映った自分に見入っていて後方はまだ平和なトロイ。カサンドラには焼け落ちるトロイが見えているが誰も彼女の言葉に耳を貸さない。彼女には自分がとらわれ奴隷になり死が待って居るのが見える。

 

 

アキレスの金の盾。ローマ時代から幾多の人々によってホーマーが言うアキレスの盾を作ろうと試みた。この盾は1822年John Flaxman (1755年ー1826年)のデザインで作られた、銀とブロンズに金メッキしたもので数個造られた。

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メアリー・クワント(Mary Quant) 展

2019-11-26 18:23:29 | 日記19

 

11月の末にはポルトガルへ行くフェリーを予約したので、2週間の準備期間中になるべく文化的なことに触れておきたいと行ったのが、V & A (ヴィクトリア&アルバート博物館)の特別展。

 

 

 

 

 

この日は特に寒い日だった。V & A と自然博物館の間では子供たちのためのスケートリンクが出来ていて、素敵なクリスマスツリーと,英国で一番美しい建物と私が信じている自然博物館をバックグラウンドに、家族連れが遊んでいた。

 

 

V & A の表玄関のアドバーツメントでは、メアリークワントとCarsが出ていたが、Cars の方はこの週の土曜日から一般公開するということだった。

 

私の20代の頃はメアリークワントの口紅とマニキュアセットが大流行り、この5弁の花模様を見ればメアリークワントと誰もが知っていた。今の若い人たちではこれを見ても知らないだろうか?

 

こんなスタイルの服を着ていた思い出がある。

 

 

今ではこのようなスタイルは流行らないのだろうか?

 

 

確かに上の写真を見るとオールドファッションのような気もする。

 

 

 

60年代はミニスカートの全盛時代だった。ツイギーがもてはやされていた。

 

 

 

 

上のピンクのチェックのプリーツのスカートは確かに私も着ていた思い出がある。

 

 

 

こうしてみるとあの時代の服は普段着や、ちょっとした外出着であって、誰でも作れるようなシンプルな服が多いのに気づいた。まだ日本が世界に羽ばたく少し前、戦後の第一次出生人口増加が、日本の世界進出を大きく支えた時期で、若い人たちが皆同じようなファッションをしていたのに、今更ながら驚いた。

 

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