イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

モンラッシェ93年

2007-07-30 21:23:03 | テレビ番組

 今日もちょっと駆け足で。『金色の翼』第21話。

 19話から参入の迫田弁護士、修子と玻留の夕食のテーブルにお邪魔虫。いつもの通り高価な酒をためらいなく水のようにガブ飲みする玻留にチクチク嫌味を言ったあと、修子に「再会を祝って乾杯を」と促された彼が最高級のシャンパンをオーダーしようとすると、あてつけのように「次の次のランクので結構、分相応をわきまえて生きる、それが私の信条でして」…この台詞が良かった。

 このドラマの主要登場人物全員、と言うより物語世界全体に対する痛烈なアンチテーゼ砲“隙あらばラクして上昇志向、成り上がり志向”は昨今のリアル格差社会日本をスモッグのように覆ってもいるので、“分相応”という言葉の切れ味は際立ちます。

 さらにドラマ的におもしろいのは、それを撃ち放つ迫田自身が、お世辞にも清廉、謹厳実直そうに見えず、胡散臭さキザったらしさ全開の俗物タイプで、あわよくば故人の顧問弁護士という地位を利用して甘い汁吸いたい、吸うチャンス探してる気配満々なこと。

 しかも、小判ザメ呼ばわりされて爆発寸前の玻留に「挑発に乗ってはダメよ、あの男、私を探りに来たに決まってるんだから」とキレ気味に釘を刺す口調や、いまいましい同席者にイラつきながら夕食をもくもく頬張る所作など、修子が、迫田登場以来、迫田のほのめかす通りの卑しく淫靡で腹にイチモツある女に見える場面が(第1週からサブリミナルのように挿し込まれてはいたけど)ちょっとずつ増えてきている。

 もちろん演出がそう見えるように組まれているのでしょうが、やはり迫田に扮する片岡弘貴さんの力が大きい。

 『女優・杏子』では落ち目女優につけ込む詐欺まがいの芸能マネージャー、『風の行方』ではよき夫よき父であろうとしつつ女でしくじるサラリーマン、『美しい罠』では汚れ仕事を一手に仕切りながら出世の機会を耽々と狙う辣腕経営顧問と、この枠のドラマでは見るたびに全然毛色の違う役どころで、その都度ちゃんとその役に見える。主演の俳優さんにとってももちろんでしょうが、特にドラマを製作する側にとっては、脇についてくれると頼もしい俳優さんのひとりだと思います。

 修子が両親を火事で失って弟と2人親戚を転々とした淋しい少女時代から、故・日ノ原氏とのセレブ婚に至るまでの経緯、明日本人のクチからある程度語られるようで楽しみですが、このドラマにひとつ物足りない点を挙げるとすれば(ふたつ挙げろと言われればふたつ、三つと言われれば三つ、10と言われれば10、挙げることはできるのですが)、「次回が楽しみ」と思うその楽しみの中身が「物語の先を早く知りたい」にとどまっていて、修子、あるいは槙でも理生でも「この人物(たち)に早くまた会いたい」にならないことです。

 たとえば(あまり連続ものドラマを観ないので例に出せるタイトルが少ないのですが)、今年1月から放送していた『わるいやつら』などは、脚本は『金翼』に比べてはるかにゆるく、起きる事件のほとんどすべてに伏線が見当たらなかったり、逆に伏線埋めっぱなしだったりにもかかわらず「早く豊美(米倉涼子さん)と戸谷(上川隆也さん)に会いたい、彼らの結末を見届けたい」という気持ちが、毎話エンディングテーマ曲のたびに絶えることがなかった。

 これはやはり、1話で、豊美の心が戸谷に惹き付けられていく過程をフラッシュ的にながらきっちり切り取ったこと、戸谷に「僕ら、足して二で割ればちょうどいいな」と言わせ、夜明けの魚河岸で2人、患者の話をしながら朝食をかきこむシーンを入れて「何かが邪魔しなければ、何かが欠けなければ、お似合いの恋人同士になれたかもしれないのに…」という“残念さ”を視聴者に刷り込んだことが大きいと思うのです。人間、残念だと思ったものはとことん追いかけずにはいられません。

 『金翼』には、それこそ残念ながら、そういう瞬間と言うか“取っ手”がなかった。

 槙が修子に対する策略モードになる前、唯一の善意での2ショット=2話のガレージでの中古ジープをめぐる会話ですら、わざわざ下ろしたてのタオルを出してくる槙の素朴さは微笑ましいけれど、修子が(視聴者には予備知識として与えられている)(金満の)身分を伏せる真意が不明なこともあり“お似合い感”はきわめて希薄でした。

 なぜ希薄になってしまったのか、月河も実はよくわかりません。

 “取っ手”のシーンとして脚本に不備はないと思うし、槙と修子、趣味や興味がある程度一致し、同じものをおもしろがれる2人だということをきちんと提示できている。「この2人くっつけばいいのにな」と視聴者が思えなかったのは、その前日、1話で槙が理生と(設定以上に)深い仲に見えたからかもしれないし、極端な話、槙役の高杉瑞穂さんと修子役の国分佐智子さんの体型が違い過ぎるからかもしれない。

 まぁ、だからこそ、とことん“物語のおもしろさ、入り組み→解きほぐされ具合””波瀾万丈さ”が純粋に楽しめるという側面もありますが、物語には緩急というものが絶対に必要なので、秘密暴露や陰謀、謎解明のプロセスが“ちょっと一服期”に入ったときにいまの吸引力を保てるか、心配なところでもあります。

コメント (2)
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