雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

1990年代 昔話ー21

2007-01-10 07:00:54 | カワサキ単車の昔話
1990年代はカワサキの単車事業は安定、発展期に入ったと言っていいだろう。

発動機エンジンのメアリービル工場移転や欧州販社の統合など構造的な対策が行われたが、20数年続いた苦難の時期を乗り越えた自信に満ちた落ち着いた展開であったと思う。

高橋本部長から、更に田崎本部長へと単車のスタート時点から苦労を共にした人たちが、貴重な体験に基づいたオーソドックスな施策を展開して事業を万全なものに仕上げていった時期だと言えよう。


私自身はこの時期、高橋鉄郎社長の下、カワサキモータースジャパン(KMJ)で古巣の国内の市場対策に専念した。

ゼファーの大ヒット、ジェットスキーの大飛躍などもあって、販売台数7万台の目標を達成し、特に90年代前半はKMCとともに事業部の経営に大いに貢献できた。

80年ごろの国内販社再建、84年ごろのKMC再建に色濃く関係したものとして、その感慨はひとしおであった。


90年代の国内対策は、単に販売の拡大、経営内容の改善強化だけでなく、
ソフト対策として、

Good Timeコンセプト」の確立。
「カワサキのイメージ向上」対策。
「ダイレクトコミユニケーション」を企図したユーザー対策。 が特徴的である。

遊び半分では真の遊びは出来ないと 「ソフトの事業化」 にチャレンジしてソフト会社 「Kスポーツシステム」 を設立し専門的に各種イベントなどの展開を幅広く行った。
最盛期にはユーザークラブKAZEの会員は5万人にも達した。

具体的な対策として

一般のライダーが気楽に走れるサーキットSPA直入の開設。

ユーザークラブ「KAZE」による末端ユーザー及び周辺対策。

チームグリーンを核とした、サテライトチームによる二輪レース活動の展開。
BEET, 月木レーシング、 阪神ライデングスクールなど。

JJSBAによるジェットスキーレース活動の展開。

また、新販売網「ARK]を対象に受注、仕切り販売など先駆けて実施し取引の正常化を図り業界をリードした。


90年後半は、企業の社会的責任としての環境整備を業界と協力して、
二輪のユーザー、販売店、メーカーを含めた組織、NMCA日本二輪車協会の設立への協力、
パーソナル、ウオータークラフト(PW)の安全運転活動として、PW安全協会の設立への協力
二輪車専門自動車学校立など
、二輪ならびにPW業界の周辺分野の整備に注力した。

これらはカワサキの基本コンセプト「Good Timeコンセプト」に基づいた活動であり、更に充実した活動が今も続けられている。

私のサラリーマン生活で最も充実し、楽しく面白かった時期である。
この時期を一緒に築いてくれた、幾つもの想いでを共有する若い仲間たちに、心から感謝したい。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1980年代後半 昔話ー20

2007-01-10 06:29:04 | カワサキ単車の昔話
「1980年代後半 苦難&激動期」-高橋本部長時代

1986年6月、高橋さんが新しく本部長に就任された。
永い苦難の年月を経て、はじめて生え抜きのメンバーたちで構成された事業部であった。

80年前半の苦難に満ちた激動の時代もようやく安定はの兆しが見え始めた。
翌年には単車、発動機が合併してCP事業本部がスタートし、川重は大庭社長の新体制を迎えた。

川崎重工業も単車事業部も新しい時代がスタートしたと言っていい。
事業部にとって80年代後半は、将来の安定的な対策を講じた時代と言えよう。

円高の影響もあり、特に業績が安定して良かったという訳ではないが、中長期の観点から将来の布石、事業展開の基盤を構築しようという気運になる余裕が生じたのだと思う。


国内市場をアメリカと共に最重点市場としての拡販対策。

安定的な基盤を確立するためアメリカKMCの内部体制の強化、累積損失の消去。

コストのドル化対策として、発動機のエンジン工場のアメリカ、メアリービルへの移転計画。

ジェットスキーの国内ならびにヨーロッパへの本格的な拡販など。

トッピックスとしては、SPA直入の建設計画、ソウルオリンピックのジェットスキーデモンストレーションなども計画実施に移された。


この時期、KMCは田崎さんから百合草さんへ社長交代があり、CP事業本部の企画室長には柏木さんが担当された。
私は、企画から営業に移り、KMC対策、ジェットスキー拡販、SPA直入などを担当した。


1990年代に入ると、この事業で育った若手諸君がいろんな分野で、積極的な活動を展開し、単に事業部の経営だけでなく川崎重工業を支える中枢の事業に発展して行くのである。。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする