「単車の昔話」を一応概略だが1990年代まで書き終えてほっとした。
別に、自分史や単車の歴史を書いている訳ではないのだが、何となく中途半端で終わってしまうのではないかと勝手に思って、自分でいらいらしてしまうのである。
ともあれ、最後まで概略で記述できたので、あとはゆっくりと一つ一つを重ねて行きたいと思っている。
こうして自分の生きてきた過去を振り返ってみると、短いようでやはり長いものである。
沢山のことがあり過ぎて、なかなかそこに到達しない。
そんな事柄の中にジェットスキーとKAZEがある。
まだ1回ずつしか触れていないが、90年代に入る頃からこの二つのテーマは私にとって大きな比重を占めていた。
そんな訳で、今年はこの話題にも触れたいと思っている。
同じことが、お世話になった人たちについても言える。
学生時代からの野球部の連中は別にして、
会社では20回近い転勤を経験したので、期間的には短かったが本当に沢山の方にお世話になった。
このブログで昔話などはじめてから、触れたいけど触れられない人たちに対する苛立ちを感じている。
お世話になったお礼の気持ちを込めて、お名前を出させて頂いているのだが、これもなかなか前に進まない。
それほど沢山の方のお世話になって生きてきたのだと、しみじみ感じている今日この頃である。
別に、自分史や単車の歴史を書いている訳ではないのだが、何となく中途半端で終わってしまうのではないかと勝手に思って、自分でいらいらしてしまうのである。
ともあれ、最後まで概略で記述できたので、あとはゆっくりと一つ一つを重ねて行きたいと思っている。
こうして自分の生きてきた過去を振り返ってみると、短いようでやはり長いものである。
沢山のことがあり過ぎて、なかなかそこに到達しない。
そんな事柄の中にジェットスキーとKAZEがある。
まだ1回ずつしか触れていないが、90年代に入る頃からこの二つのテーマは私にとって大きな比重を占めていた。
そんな訳で、今年はこの話題にも触れたいと思っている。
同じことが、お世話になった人たちについても言える。
学生時代からの野球部の連中は別にして、
会社では20回近い転勤を経験したので、期間的には短かったが本当に沢山の方にお世話になった。
このブログで昔話などはじめてから、触れたいけど触れられない人たちに対する苛立ちを感じている。
お世話になったお礼の気持ちを込めて、お名前を出させて頂いているのだが、これもなかなか前に進まない。
それほど沢山の方のお世話になって生きてきたのだと、しみじみ感じている今日この頃である。