昨日の最終列車で、寝台急行『銀河』は59年の歴史の幕を閉じた。
昭和24年、1949年のスタートである。
最初は1,2等寝台と言う高級列車だったが人気がなく、翌年3等車も連結されるようになったらしい。
1等、2等、3等車と言う呼び名も懐かしい。
戦前の1等車は個室で最後尾か展望車がついていて1等乗客だけが利用できた。
『銀河』は最初、神戸始発、東京行きであった。
私が入社した昭和32年以降も神戸駅をを8時ごろの出発であった。
神戸駅の一番山側の普通は使われないプラットフォームに止まっていた。
3段ベッドで狭かった。
東京には朝早く着きすぎて、東京駅で朝風呂に入りその後出社して丁度いい時間であったように思う。
当時は、飛行機は飛んではいたが多分高くて、とても普通の人が利用するものではなかったのである。
昼の特急列車などもあったが、昼間に何時間もかかっての移動は許されず東京出張はいつも『銀河』であった。
どこの会社もそうだったようで、銀河に乗ると学友たちによく会えたりした。
そんな思い出のある『銀河』だが、昨日が最後である。
最後になると大人気である。名残を惜しむ人たちでプラットフォームは溢れ、最後の列車も切符は当然のように売切れである。
『銀河』だけでなく幾つもの列車が『サヨナラ』した。
時代の流れである。
『新幹線より3000円も安い航空券が売り出される』 と今朝のニュースは伝えている。
列車より飛行機のほうが安いのである。確かに時代は変わった。
昭和24年、1949年のスタートである。
最初は1,2等寝台と言う高級列車だったが人気がなく、翌年3等車も連結されるようになったらしい。
1等、2等、3等車と言う呼び名も懐かしい。
戦前の1等車は個室で最後尾か展望車がついていて1等乗客だけが利用できた。
『銀河』は最初、神戸始発、東京行きであった。
私が入社した昭和32年以降も神戸駅をを8時ごろの出発であった。
神戸駅の一番山側の普通は使われないプラットフォームに止まっていた。
3段ベッドで狭かった。
東京には朝早く着きすぎて、東京駅で朝風呂に入りその後出社して丁度いい時間であったように思う。
当時は、飛行機は飛んではいたが多分高くて、とても普通の人が利用するものではなかったのである。
昼の特急列車などもあったが、昼間に何時間もかかっての移動は許されず東京出張はいつも『銀河』であった。
どこの会社もそうだったようで、銀河に乗ると学友たちによく会えたりした。
そんな思い出のある『銀河』だが、昨日が最後である。
最後になると大人気である。名残を惜しむ人たちでプラットフォームは溢れ、最後の列車も切符は当然のように売切れである。
『銀河』だけでなく幾つもの列車が『サヨナラ』した。
時代の流れである。
『新幹線より3000円も安い航空券が売り出される』 と今朝のニュースは伝えている。
列車より飛行機のほうが安いのである。確かに時代は変わった。