現役時代、何をやってきたのかなと振り返ってみると何だろうかと思う。
いろんなことをやってきた。
レースや広報や経営再建や、イベント、ユーザー対策、サーキットや自動車学校、結構多岐に亘っているが、
一番長く時間を掛けたのはやはり販売網、販売のための新しいネットワークの創造であったと思う。
『新しい』と言うのは二つの意味がある。
一つは、業界にとって初めての新しいスタイル、これは主として国内市場であった。
もう一つは、カワサキにとって初めての経験、これはCKD市場の開拓のための販売網創設であった。
こんな販売網ネットワークの創設の、最も基本的な部分を私に教えてくれた恩人は元岩手カワサキ社長の久保克夫さんである。
早く亡くなってしまわれて、お礼を言う機会もなかった。
久保さんには私が仙台で初めて営業を経験した時にお会いした。
当時の岩手カワサキは、『岩手県は日本のチベット』と久保さん自身が言われていたが、そんな貧乏県ではあったが、カワサキで毎年決まって日本一の販売実績を誇っていた。
当時はまだ『実用車のカワサキ』の時代で東北6県が最大の市場であったが、その中でも岩手は頭抜けていたのである。
久保さんは車の運転はダメで、もっぱら私が運転手であの日本一広い岩手の販売店訪問を久保さんと一緒に経験しているうちに、久保さんのいいところを自然のうちに教えて貰った。
岩手の日本一の原動力は『販売網である』
『販売店への対応は』
『戦略的な対応は』
『システムでの対応』
『人間関係の維持』
『厳しさと優しさ』
これらのことを私は久保さんに学んだ。
別に理論家ではなかったが、ちゃんと確実に実践されてされていた。
まだ、1965年の頃でマーケッテングなどもそんなに言われない時代に、
その戦略的な対応と岩手独特の差別化された経営の仕組みが、その実績のベースであった。
岩手以外こんなシステムを採っているところは皆無であった。
例えば、当時は販売店に対しては全て委託であった。そんな時代に岩手だけは実質委託だが、全て買い取り方式であった。
1.委託したら直ぐ売上げ伝票を発行する。
2.それに対して毎月請求書を発行する。
3.売上に挙げるから粗利が発生する。
4.粗利が発生したり、在庫が少なくなるがそれは別途対応策を採る。
これは当時は、金の回収が悪かった。盆払いや秋の収穫時や年の最後などまで回収が伸びるのが普通であった。
岩手の場合は、委託の時点で請求書が来るので、それ以降、販売店は『ずっと借りている』と言う意識なのである。
委託期間は何ヶ月にもなるので、何ヶ月も借りている意識が強く、ホントに売れたらその時点で支払いが始まるのが普通であった。
その分回収は実質的に早かったのである。
1.同じことでも、ちゃんと考えて仕組んだら、効率がよくなる。
2.人の付き合いは、貸しを作ったほうが有利である。
3.意識的に貸しを作る、小さくてもいいから、それも数多く造る。
4.貸し>借りの方程式を堅持する。
5.いろんなことはあるが、ベースは優しさ、誠実、そんな人間らしさ。『人の気持を読む』こと。
これらはその後の私の販売網政策の基本となった。
理屈の上では、『業界で初めて』、中味としては『非常に厳しい』そんなものが多かったが、『人の気持ちを読んで』実行した。
『計算をして』『仕組んで』『人の気持ちを読んで』『一生懸命やることだ』と
久保さんは教えてくれたような気がする。
久保さん以外にも東北時代はいい人に会っていっぱい学んだ。
何にも知らなかったのにいっぱい覚えた。
宮川さん、宇田川君、石塚君、秋田の雄幸さん、岩手の山本君青森の小林さん。
みんな、メーカーや大企業ではお会いできなかった人たちである。
改めて私の恩人たちにお礼を言いたい気持である。
いろんなことをやってきた。
レースや広報や経営再建や、イベント、ユーザー対策、サーキットや自動車学校、結構多岐に亘っているが、
一番長く時間を掛けたのはやはり販売網、販売のための新しいネットワークの創造であったと思う。
『新しい』と言うのは二つの意味がある。
一つは、業界にとって初めての新しいスタイル、これは主として国内市場であった。
もう一つは、カワサキにとって初めての経験、これはCKD市場の開拓のための販売網創設であった。
こんな販売網ネットワークの創設の、最も基本的な部分を私に教えてくれた恩人は元岩手カワサキ社長の久保克夫さんである。
早く亡くなってしまわれて、お礼を言う機会もなかった。
久保さんには私が仙台で初めて営業を経験した時にお会いした。
当時の岩手カワサキは、『岩手県は日本のチベット』と久保さん自身が言われていたが、そんな貧乏県ではあったが、カワサキで毎年決まって日本一の販売実績を誇っていた。
当時はまだ『実用車のカワサキ』の時代で東北6県が最大の市場であったが、その中でも岩手は頭抜けていたのである。
久保さんは車の運転はダメで、もっぱら私が運転手であの日本一広い岩手の販売店訪問を久保さんと一緒に経験しているうちに、久保さんのいいところを自然のうちに教えて貰った。
岩手の日本一の原動力は『販売網である』
『販売店への対応は』
『戦略的な対応は』
『システムでの対応』
『人間関係の維持』
『厳しさと優しさ』
これらのことを私は久保さんに学んだ。
別に理論家ではなかったが、ちゃんと確実に実践されてされていた。
まだ、1965年の頃でマーケッテングなどもそんなに言われない時代に、
その戦略的な対応と岩手独特の差別化された経営の仕組みが、その実績のベースであった。
岩手以外こんなシステムを採っているところは皆無であった。
例えば、当時は販売店に対しては全て委託であった。そんな時代に岩手だけは実質委託だが、全て買い取り方式であった。
1.委託したら直ぐ売上げ伝票を発行する。
2.それに対して毎月請求書を発行する。
3.売上に挙げるから粗利が発生する。
4.粗利が発生したり、在庫が少なくなるがそれは別途対応策を採る。
これは当時は、金の回収が悪かった。盆払いや秋の収穫時や年の最後などまで回収が伸びるのが普通であった。
岩手の場合は、委託の時点で請求書が来るので、それ以降、販売店は『ずっと借りている』と言う意識なのである。
委託期間は何ヶ月にもなるので、何ヶ月も借りている意識が強く、ホントに売れたらその時点で支払いが始まるのが普通であった。
その分回収は実質的に早かったのである。
1.同じことでも、ちゃんと考えて仕組んだら、効率がよくなる。
2.人の付き合いは、貸しを作ったほうが有利である。
3.意識的に貸しを作る、小さくてもいいから、それも数多く造る。
4.貸し>借りの方程式を堅持する。
5.いろんなことはあるが、ベースは優しさ、誠実、そんな人間らしさ。『人の気持を読む』こと。
これらはその後の私の販売網政策の基本となった。
理屈の上では、『業界で初めて』、中味としては『非常に厳しい』そんなものが多かったが、『人の気持ちを読んで』実行した。
『計算をして』『仕組んで』『人の気持ちを読んで』『一生懸命やることだ』と
久保さんは教えてくれたような気がする。
久保さん以外にも東北時代はいい人に会っていっぱい学んだ。
何にも知らなかったのにいっぱい覚えた。
宮川さん、宇田川君、石塚君、秋田の雄幸さん、岩手の山本君青森の小林さん。
みんな、メーカーや大企業ではお会いできなかった人たちである。
改めて私の恩人たちにお礼を言いたい気持である。