雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

久しぶりのドライブ

2008-03-16 17:54:37 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚
ちょっと書くのは気恥ずかしいのだが、『昨日は久しぶりに260キロのドライブを楽しんだ』
それ自体はそうなんだが、なぜそうなったのかは私の思い込みからそんなことになったのである。

2月の何時頃だったか、大阪の古川君がMFJの全日本モトクロス選手権第1戦、名阪での招待券を送ってくれた。
昨年も頂いたのだが、行けなかったので今年は是非行こうと思っていた。

月の真ん中ぐらいの日曜日というのがアタマにあって、てっきり3月だと信じ込んでいた。ご丁寧にカレンダーの予定に名阪と書き込んでいる。

名阪スポーツランドは、初めてで道やキロ数や当日のスケジュールは確り確かめたのに、肝心の日にちはすっかり忘れていた。

11時15分のレースにあわせて、片道130キロ、1時間半の行程とふんで9時10分に家をスタートした。
130キロと言っても数キロを除いて高速だから1時間半で大丈夫だと計算した。

大阪の名阪入り口まで、丁度1時間、小倉で降りて名阪スポーツランドの入り口で音が違うなと思ったが切符を見せて『今日はモトクロスではないですよ』と言われるまで気がつかなかった。

何事も大雑把で思い込みの激しいのは、よく指摘される私の性格ではある。
切符が送られてきたら、翌月開催だと勝手に思い込んでしまった。
切符をもう一度見たら4月13日である。これを月半ばの日曜日と思い込んだのである。


仕方がないから、今日はドライブと決め込んだ。
丁度1時間半、思った通りの時間でこれは大満足であった。

帰りは、同じ道を帰ってもと大阪市内を抜けて、阪神高速を須磨まで京阪神で最も早くできた高速道路である。
名神高速と繋ぐために当初は神戸ー西宮までだった。
いずれにしても1960年代には出来ていた旧い高速である。いろいろ手が加えられて今はその面影はない。
最近は湾岸線を走ることが多いので久しぶりの走行である。
そんなことを思い出しながら、走っていた。

日曜日で空いていた。天気は良いし申し分のないドライブではあった。
こちらの道もちょうど130キロ高速が須磨までの分、高速代は若干安いことも解った。

昔は100キロ以上のドライブはざらだったが、最近は久しぶりである。
運転は嫌いではないので、モトクロスは見れなかったが、好天のドライブを楽しんで昼ちょっと過ぎに家に着いた。

『たかじんのそこまで言って委員会』も見れたし、まあいいとしておこう。
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中田と佐藤

2008-03-16 15:29:53 | スポーツ
中田翔と佐藤由規。

ともに今年プロに入った高校球児、
ホームランの期待される中田、150キロを投げる佐藤。
その名前の字を見ても今の若い子だ言うのが解る。昔にはなかった名前である。

ともに2軍スタートとなったが、必ず出てきて欲しいし出てくるであろう。
そのスケールはともに並外れである。
今年の後半戦が楽しみである。


よく昔の選手と比較される。高校卒でプロに入った昔の選手たち。

王、清原、松井と中田。
ホームランのキレの良さは圧倒的に中田である。
昔の選手はみんな1軍スタートであった。然しその頃のプロ野球のレベルと層の厚さが全然違う。どちらがどうと比較するのもファンの楽しみの一つであろう。

金田、尾崎、堀内、江夏、稲尾、などなど。
ピッチャーは凄いのがいっぱいである。どちらかと言うと先輩たちが凄いと思うのは、その記録が凄すぎるからである。
スピードガンがなかったので、『どちらが速いか』はよく解らないが、先輩たちの『記録は抜けない』ことだけは確かである。

そういう意味では野球が変わってしまっている。

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旧い日記から、小山修身君

2008-03-16 04:55:48 | スポーツ
旧い日記をめくっていた。昭和31年、1956年のこと。

大学の5回生の頃である。5年大学に通った。卒業できなかったわけではない。
卒業を1年延ばしたのである。
このジャッジで私の人生は変わったと思う。もしこの判断をせずにそのまま卒業していれば全く違った人生を歩んだと思う。
良かったか悪かったか?  良かったと思っている。

なぜ、卒業を延ばしたのか。理由は幾つもあるのだが。
昭和31年は景気が悪くて、就職難であった。卒業してもいいところ?に行ける確率は少なかった。

野球部のキャプテンをやっていたが、満足できていなかった。
もう1年延ばして監督をと野球部長に奨められたりした。ちょっと身体を壊したりしていて、それも理由の一つであった。
結局、野球部長のゼミだけ残して、卒論を書かずに残留して野球部の監督をしたのである。

ちなみに、1年経って一転、昭和32年は『神武景気』と言われた。
川崎航空機にコネで入社した。大勢入社した同期の会の名前は『神武会』である。




野球はバカみたいに一生懸命練習した。
メンバーもそこそこで、強いとは言えぬがそこそこの野球は出来た。

秋のリーグ戦のことである。
1回生の投手小山修身君が凄い記録を作っている。

これは、意識的に『造った記録』である。

11月2日市大戦。7-1で勝つ、小山完投、ここからスタートしている。

1週間空いて後半戦
11月7日市大戦。2-0と快勝した。
11月8日工大戦。1-0で勝利、小山の連投で順調にリーグ戦を立ち上がった。
11月9日工大戦。0-09回引き分け、3連投である。

ここまでは、惰性できた。3連投も凄いし無失点も凄い。前週の市大戦からだと29イニング連続無失点である。
7-1と1点を取られた1点もエラーからだから、36イニング連続無自責点である。ひょっとしたら『新記録ではないか』と思った。

ここからは正直記録を意識した。本人もひょっとしてチームメイトも記録については知らなかったと思う。
翌日の経大戦は『行けるところまで』と記録を意識して小山でスタートした。

11月10日経大戦。4-0 9回2,3塁の危機を見逃しの三振で完投完封。


そして翌週、ここまできたら小山しかない。
11月14日経大戦。4-0とまたも完封勝利。5試合無失点である。
11月15日薬大戦。13-3ここで記録は途切れた。

小山修身君の記録は53イニングス連続無失点64イニング連続無自責点である。
薬大戦の1点目も野手の悪投によるもので自責点記録は更に2イニング伸びて64イニングだったと思う。

これは、間違いなく学生野球の記録で、たぶん今も残っているのではないだろうか。
少々、無茶苦茶だが連日連投、記録の間一切他のピッチャーは投げていない。



小山君とは今でも家も直ぐ隣町で、年に何回かゴルフもするし野球部のOB戦でもお会いする。
この話も昨年出た。彼は記録のことは途切れるまで知らなかったと言う。

昔はホントに記録など眼中になかったのである。
高校の頃、チームが夏の予選で灘校相手にパーフェクトゲームをやったが、試合終了後球場の『この試合は完全試合でした』というアナウンスで初めて知った。
同期の溝畑投手である。


そんな時代だった、当時は新聞などでも取り上げられなかったと思う。
もう50年以上も前である。小山君の名誉のためにこのブログを贈りたい。

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