何でも値段と言うものがある。
当然、安いものもあれば高いものもある。
食材や料理にについても同じである。
何百円の弁当も何万円もの高級料理までいろいろだが、高いものが旨いとは限らない。安くても旨いものはある。
同時に、同じものなのに無茶苦茶安かったのに、今高級品となってしまっているものもある。
少なくなると高くなる。
私の経験でで言えば、『鯨』と『ハタハタ』である。
鯨は終戦後よく食った。肉と言えば鯨ばかりといった印象も持っている。
あんな大きなのをいっぱい獲っていたからだろう。
昭和45年、1970年仙台にいたが『鯨』がまだ安かった。「おのみ」という今最高級のものが普通に食えた。
その頃、もっともっと安かったものがある。『ハタハタ』である。
魚偏に神と書くと天声人語にある。魚偏に雷と書いてもハタハタと読む。
その卵を『ブリッコ』と言う。
生活の中にあったものはよく覚えているし、身についた知識になるものである。
今高級魚でどの位の値段なのか知らないが、当時の値段は最も安いものの筆頭であったと思う。
魚を入れる『トロ箱』というのが今でもある。魚屋の店頭などで見かけるものである。
はたはたは、トロ箱単位で売られていた。1匹の値段など付けられなかったのだろう。秋田ではトロ箱1杯で50円か100円であった。
冬11月頃から獲れるのだが、見たことは無いが海岸がはたはたで埋まるとも言われていた。
男鹿半島からの道はこの頃、秋田へ上る片道だけが常に黒く光っていた。ひっきりなしに通るハタハタをつんだトラックから落ちる雫のためである。
これは目で見て確かめた結果である。
こんなに獲れていたハタハタも乱獲がたたってハタと獲れなくなって一時漁を禁じたこともある。
いまは少し回復したとか。それでも高級魚である。
高いか安いかは、『旨いか、不味いか』ではないことは確かだ。
秋田の県魚ハタハタで造る『しょっつる鍋』の味は今も昔も同じだろう。
世の価格は、その供給量で決まる。
今安く昔高かったモノ、私の経験では『米』が一番である。
当然、安いものもあれば高いものもある。
食材や料理にについても同じである。
何百円の弁当も何万円もの高級料理までいろいろだが、高いものが旨いとは限らない。安くても旨いものはある。
同時に、同じものなのに無茶苦茶安かったのに、今高級品となってしまっているものもある。
少なくなると高くなる。
私の経験でで言えば、『鯨』と『ハタハタ』である。
鯨は終戦後よく食った。肉と言えば鯨ばかりといった印象も持っている。
あんな大きなのをいっぱい獲っていたからだろう。
昭和45年、1970年仙台にいたが『鯨』がまだ安かった。「おのみ」という今最高級のものが普通に食えた。
その頃、もっともっと安かったものがある。『ハタハタ』である。
魚偏に神と書くと天声人語にある。魚偏に雷と書いてもハタハタと読む。
その卵を『ブリッコ』と言う。
生活の中にあったものはよく覚えているし、身についた知識になるものである。
今高級魚でどの位の値段なのか知らないが、当時の値段は最も安いものの筆頭であったと思う。
魚を入れる『トロ箱』というのが今でもある。魚屋の店頭などで見かけるものである。
はたはたは、トロ箱単位で売られていた。1匹の値段など付けられなかったのだろう。秋田ではトロ箱1杯で50円か100円であった。
冬11月頃から獲れるのだが、見たことは無いが海岸がはたはたで埋まるとも言われていた。
男鹿半島からの道はこの頃、秋田へ上る片道だけが常に黒く光っていた。ひっきりなしに通るハタハタをつんだトラックから落ちる雫のためである。
これは目で見て確かめた結果である。
こんなに獲れていたハタハタも乱獲がたたってハタと獲れなくなって一時漁を禁じたこともある。
いまは少し回復したとか。それでも高級魚である。
高いか安いかは、『旨いか、不味いか』ではないことは確かだ。
秋田の県魚ハタハタで造る『しょっつる鍋』の味は今も昔も同じだろう。
世の価格は、その供給量で決まる。
今安く昔高かったモノ、私の経験では『米』が一番である。