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カワッキーさん。 お会いしたことはない。
京都にお住まいであったと思う。
なぜ、出会ったのかよく覚えていない。ヨシケンが絡んでいたかも知れない。
ひょんなことで『ひょこむ』のトモダチになった。
ひょこむのカワッキーさんのトモダチを見ても、レース界の人たちの名前が並んでいる。
なぜ、こんな貴重な写真をお持ちなのかは、よく解らない。
ほんとに昔々のカワサキが登場するのである。
みんな貴重な写真である。
安良岡健さんやTeam 38 も登場する。
こんな旧い懐かしいカワサキのマシンやライダーが登場する、ブログを書かれている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/2b/6c11ac7ed5c4f978adc9deead437f4ef.jpg)
今回は、藤井敏夫君とその当時の125GPレーサーである。
マン島のプラクテイスで転倒、それが元で亡くなった。
私のレース担当時の一番の痛恨事である。
当時ライダー契約は担当していたが、なぜカワサキに来ることになったのか、その経緯は知らない。
彼は城北ライダースにいて、久保和夫君の紹介でモーターショーの時に初めて会った。11月だった。
翌年の1月に、明石で契約交渉をしている。
ライダー契約ではなくて、GPレーサーのマシン貸与契約であった。
本人が強くそれを望んだ。ヨーロッパを自分で転戦して、秋の日本GPまえに帰国するのでそのときに、ライダー契約をと言うことになっていた。
マン島でなくなってしまったので、結局カワサキのファクトリーライダーとしての藤井敏夫君は実現しないままに世を去ってしまった。
カワッキーさんは私のブログにたびたび登場すると紹介されているが、
ブログ本文に藤井君のことを記載するのはこれが多分始めてである。
スズキの中野さんが纏められている『日本モーターサイクルの夜明け』の中の記事の中に、
私や大槻さんの文章が載っている。
そこに、詳しく書いたので、ご関心のある方はどうぞ。
そのスズキの中野さんとの出会いは、
、『カワサキ、デグナーの想い出』に中野さんからコメントを頂いたことで始まっている。
藤井君の遺体は大槻さんがマン島で送り出し、私が羽田でお迎えした。
中野さんが、マン島でそのお手伝いをするように指示されている。
そんな経緯が細かくコメントに綴られている。
考えてみると、藤井君もデグナーもスズキさんからだったし、
当時、山本、歳森、金谷、清原、とカワサキのファクトリー契約ライダーが所属していた神戸木の実クラブは、スズキの契約ライダー片山義美君が主催していた。
スズキさんとは、何となくレースの世界でご縁があるのだと思う。
カワッキーさんが、懐かしい藤井敏雄君の写真をアップしてくれたので、改めて纏めなおしました。