
『Kawasaki マッハMAHA』私たちがめざしたもの、それは「世界最速マシン」
と表紙に書かれた新書が送られてきた。

三樹書房の小林社長さんとこの本を纏められた小関和夫さんの挨拶状が添えられていた。本の製作に協力した人たちへのお礼の献本だということである。
Zやマッハの開発責任者であった大槻さんから、マッハの本の制作のミーティングがあるので出て来いとお呼びがかかって明石工場まで出て行ったことがある。
私はマーケッテングや販売第一線ばかりで、開発には殆どタッチしたことはないのでどうしようかと思ったのだが、大槻さんのお声がかりなので出て行ったのである。
2007年11月、約1年前の話である。こんなミーテングであった。
この1年前のブログにも、いろんなことを書いているのだが、
若しこの本の制作に、私が若し少しでもお役に立ったことがあるならば、勝手に
野村純一現チームグリーン監督を無理矢理引っ張り出したことぐらいであろう。
大槻さんからはレースのことなどと言われていたが、新販売網や開発途上国の新市場開拓に熱中していて、
この時期が一番レースから遠ざかっていた時期である。
ここにも書いたように、出席をしていろんな話が聞けたし久しぶりに会えた人もいて、結構楽しい1日であった。
この本について、少し触れておくと
第1章 カワサキ2サイクル黎明期 から
第7章 カワサキ2サイクルマシンレーシング活動 など
懐かしい写真満載で、確りと纏められている。
特にカワサキの単車事業のスタート時点の話は、実際にその中にいたのだが、あんまりよく記録がなかったのだが、本当に確りと纏められていているのである。
マッハの頃はレースから離れていたが、第7章は2サイクルのレース活動で纏められていて、カワサキコンバットの三橋実、金谷秀夫などのライダーや、メカニックの故松尾勇さん藤原良さんなどの記述もあって懐かしい。
カワサキが初めて鈴鹿を走った85J1モトクロッサー改造レーサーの写真も出ている。山本隆(60おじさん)が乗って3位入賞を果たしたカワサキの初のロードレーサー、85J1モトクロッサーマシンの写真もあってそのゼッケンNOは19とある。(60おじさん間違いないですか?)
当時、安良岡健が乗って2分50秒が切れなかった当初の125GPマシンの話などもあって、当時が偲ばれるのである。
この本は、12月10日、全国の書店で発売される。
定価は本体2800円とある。
それにしても1冊の本に仕上げるのに、1年以上も掛かるのである。
記録物は大変なのは良く解る。
このブログの1年前からの資料を集めるのも結構時間が掛かったのである。
直接関係ないのだが、
上にリンクした昨年のブログに寄せられたコメントでの山本隆君と私のやり取りは、清原明彦君がレーサーになれたきっかけの話などあって、面白いのでご紹介する。
Unknown (山本 隆)
2007-11-17 15:01:57
菅生でのMX GPで、ジュニアークラスに出走した清原は、確かなんかの理由で失格を言われましたね、トップでゴールしたのに!
清原をMXに誘ったのは、私ですよ。
松山のMXコースで1週間、F-11の量産車テストを依頼され、依野と一緒に応援した時に、誘惑しました。
その時、野村もいました、それから清原のレース人生が始まったんですよ。
Unknown (rfuruya1)
2007-11-17 20:15:29
山本君。
昔話もレースの話はまた格別ですね。
よりのは、その字でなくて従野孝のはずです。
そう言えば、清原より従野のほうがほんのちょっと早くモトクロスをやったかも知れませんね。
従野は片山のお母さんに頼まれて、カワサキのラインから入ったのをよく覚えています。
清原の仙台のレース確かトップで入ったのにダメでしたね。ほんのこの間のことのように思ったりします。
ところで、「はらだ」さんは、ご存知の岩崎茂樹君の関係で繋がりました。
今、チームグリーンとも関係があって、カワサキのレースを熱心にやっていられます。