雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

メーカーグループのソフト会社

2008-12-26 04:54:42 | カワサキ単車の昔話
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川崎重工業はメーカーである。
所謂、製造会社は物を作ってそれを販売するのが本業である。

そんな川崎重工業のグループの100年以上にもなる長い歴史の中で、
モノを売るのではなくて『遊びやソフト』を売る『ソフト会社』あった時期がある。

たった、10数人の会社だが、結構注目された会社に育っていた。
1989年初めに設立された(株)ケイスポーツシステム、通称KSSがそれである。その設立に、熱心に関わった1人である。

そして、この1,2年。当時と同じ想いで、いろんなことをやっている。
これは結構楽しい仕事である。体よりもアタマさえ使えば何とかなるので、ある意味年寄り向きである。

カワサキのユーザークラブKAZEやレースチームチームグリーン、SPA直入など二輪レース関連やジェットスキーのカワサキワンメークレースのJJSBAの運営などもフォローした。
後半は、二輪専門の自動車学校なども設立運営をした。
そして、何よりもそれにまつわるまず多くの『ソフトノウハウ』が個人にも会社にも蓄えられたのである。



8年ほど続いたが、今は改組されてKAZEもチームグリーンも自動車学校もKMJの組織の中の一部門として、今も上手く運営はされているが、当時のシステムの上で、当時と殆ど同じことが続けられているだけのようにも思えてしまうのである。

こんなソフト会社の経営は、それこそ『絞り込んで考え続ける』創造、アイデア勝負である
誰にでも向いているわけではない。日本人は原因のあるものの対策のほうが得意である。
自分たちで考え出して、『ホンモノ』を常に作り出さない限り会社の存立もなくなる状態と、単なる一部門での運営では、その厳しさは異質のレベルなのである。

当時のこのプロジェクトを推進してくれたには、
南昌吾常務以下、渡部、西川君らなのだが、今年でKAZEももう20周年を迎えている。みんな卒業してしまって、人にたまったノウハウもだんだんと薄れていくような気がしてならない。

九州のオートポリスの運営はレース関係者などから秘かに評価されていたが、
それは渡部君の個人としてのノウハウ、ソフトが大きかったのではないだろうか、と思っている。



モーターサイクルやジェットスキーは遊びの道具である。
メーカーはそれを造り、販売会社はそれを売っている。
そのモノを使っての高質な遊びの世界を演出し、モノを使うユーザーの楽しみを倍加させるそんな『ソフト活動』こそが大事だと思っていた。

『そんな世界を造りだすことで、モノは自然に売れるはずである。』

どちらかと言うと、こんな考え方や発想は、ハーレージャパンの奥井さんに受け継がれて、ハレージャパンの素晴らしい世界に繋がっていると思っている。
90年前半、ホンだの親しい人が、『カワサキに10年遅れた』とお世辞でも言ってくれた。カワサキにもそんな時代があったのである。


先日ちょっと岩城滉一とのお付き合いのことを書いたが
当時の南君がずっと対応してくれた。
あの雰囲気で、あのKSSがあったから、あの大スターたちとまともに付き合えたのだと思っている。
いま、同じようなことが出来るだろうか?
人のソフトとかノウハウの世界は、なかなか物差しでは計れない世界である。

振り返って思えば、岩城滉一と付き合えたり出来たのは、外から見てもそんな雰囲気がカワサキにあったのだと思う。

メーカーにとって、一番不得意の分野であることは、良くわかるのだが、
100年に1度と言うこんな経済危機の時代にこそ、
単なるモノの価値ではなくて、『イメージ』や『ソフト、ノウハウ』は機能すると思っている。

でも、これは『奇人、変人の世界』なのかも知れない。

コメント
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