三木鉄道が廃線になって、その後処理が続いていた。
今日、その完成披露のセレモニーが行われるようである。
その廃止は、薮本さんの選挙公約の一つだったし、市民のほとんどが関係のない鉄道であっただけに、廃止は仕方がなかったのかも知れぬが、後処理を含めその内容の決定は、ちょっとびっくりするようなものであった。
いろいろと自分でも考え、薮本さんにも具体的な提言もし、廃線が決まってからは、その後処理について、いろいろ鉄道愛好者と検討したりもしたのである。
ちょっと自分でもそれなりに考えた案件だったので、自分のために以下にまとめてみる。
★三木鉄道の赤字は、年間6千万円であった。廃止しても肩代わりするバス路線の赤字が2千万円あるので、実質プラスになるのは、たかだか4千万円だったのである。
その時点で、市長メールも出し、直接市長デスクで、具体的な対応策も答申したが、ほとんど検討されることもなく、『先に、結論ありき』で廃線は決まったのである。
2006年9月17日のことである。手元にそのときの市長メールも残っている。
今読み返しても、『やる気さえあれば』十分6千万円の赤字など、簡単に消えたと思う案になっている。
★それから1年ほど経って、三木鉄道の廃線だけはすでに決まっていた。
2008年の1月ひょんなことから、『鉄道マニアたち』とのお付き合いが始まったのである。
みんな、廃線になっても、『線路だけは何としても残せ』というのである。
『三木鉄道は、90年前の姿がそのままに残る、日本でも珍しい「遺跡のような」鉄道なのだ』というのである。
本当に、架線もガードレールなどもほとんど見られない。
この頃、4日連続で三木鉄道のことをブログに書いている。
●2008年1月19日 三木鉄道の跡利用
●2008年1月20日 続)三木鉄道
●2008年1月21日 今日も三木鉄道
●2008年1月22日 神戸臨港線と三木鉄道
これくらい一生懸命だったのだが、そして跡地検討委員会なども作られたが、大したオモシロい案も出ずに今の案になったのである。
★それは、まあいいとしよう。
もともとの廃線案は年間6千万、実質4千万の赤字の対策としてスタートしたのである。
それが、跡地利用の対策費が12億円掛かると、市議会で平然と市長はいい、議員はほとんど質問も意見も言わない。
これには本当に驚いた。
行政の体質は、そんなものである。
『財政危機宣言』を発している三木市の対策がこんな具合である。
そして、どうしても残したいという市民病院の赤字は、桁が違って赤字の額は億の単位なのである。
★市の職員のkwakkyさんがこんなブログを書かれている。
1つは、非常に大人しく書かれている。
そして、もう1つは,ひょこむの鉄道マニアたちに新しい駅舎跡の写真などから、
コメント募集のブログである。
皆さん、どんなコメントを寄せるのだろうか?
最後までお読み頂いて有難うございました。
お手数ですが、ちょっとクリックして頂けますか?
今日、その完成披露のセレモニーが行われるようである。
その廃止は、薮本さんの選挙公約の一つだったし、市民のほとんどが関係のない鉄道であっただけに、廃止は仕方がなかったのかも知れぬが、後処理を含めその内容の決定は、ちょっとびっくりするようなものであった。
いろいろと自分でも考え、薮本さんにも具体的な提言もし、廃線が決まってからは、その後処理について、いろいろ鉄道愛好者と検討したりもしたのである。
ちょっと自分でもそれなりに考えた案件だったので、自分のために以下にまとめてみる。
★三木鉄道の赤字は、年間6千万円であった。廃止しても肩代わりするバス路線の赤字が2千万円あるので、実質プラスになるのは、たかだか4千万円だったのである。
その時点で、市長メールも出し、直接市長デスクで、具体的な対応策も答申したが、ほとんど検討されることもなく、『先に、結論ありき』で廃線は決まったのである。
2006年9月17日のことである。手元にそのときの市長メールも残っている。
今読み返しても、『やる気さえあれば』十分6千万円の赤字など、簡単に消えたと思う案になっている。
★それから1年ほど経って、三木鉄道の廃線だけはすでに決まっていた。
2008年の1月ひょんなことから、『鉄道マニアたち』とのお付き合いが始まったのである。
みんな、廃線になっても、『線路だけは何としても残せ』というのである。
『三木鉄道は、90年前の姿がそのままに残る、日本でも珍しい「遺跡のような」鉄道なのだ』というのである。
本当に、架線もガードレールなどもほとんど見られない。
この頃、4日連続で三木鉄道のことをブログに書いている。
●2008年1月19日 三木鉄道の跡利用
●2008年1月20日 続)三木鉄道
●2008年1月21日 今日も三木鉄道
●2008年1月22日 神戸臨港線と三木鉄道
これくらい一生懸命だったのだが、そして跡地検討委員会なども作られたが、大したオモシロい案も出ずに今の案になったのである。
★それは、まあいいとしよう。
もともとの廃線案は年間6千万、実質4千万の赤字の対策としてスタートしたのである。
それが、跡地利用の対策費が12億円掛かると、市議会で平然と市長はいい、議員はほとんど質問も意見も言わない。
これには本当に驚いた。
行政の体質は、そんなものである。
『財政危機宣言』を発している三木市の対策がこんな具合である。
そして、どうしても残したいという市民病院の赤字は、桁が違って赤字の額は億の単位なのである。
★市の職員のkwakkyさんがこんなブログを書かれている。
1つは、非常に大人しく書かれている。
そして、もう1つは,ひょこむの鉄道マニアたちに新しい駅舎跡の写真などから、
コメント募集のブログである。
皆さん、どんなコメントを寄せるのだろうか?
最後までお読み頂いて有難うございました。
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