★会社での職位や異動も、だんだんとややこしい時期が来る。
自分だけではなくて周囲もそれを意識するし、自分でも意識せざるを得ない状況に追い込まれるものである。
前年末に、理事に昇格して、一応サラリーマンとしての生活には区切りがついて、この年の初めに退職金を頂いた。多分我が家に初めて貯金なるものが出来たのだと思う。
会社でも、事業本部では何番目かの位置にいて、自分よりもむしろ周囲の人たちの方が関心が高かったのかも知れない。
家庭でも、息子はもう就職していたし、春からは娘も就職することになって、お金が要らなくなったらお金が入るという巡り合わせなのである。
結婚以来殆ど旅行など行ったことはなかったのだが、春には九州に、秋には北海道に家内を連れての旅行に行ったりしている。家内にとってはこれが初めての飛行機だった。
そんな環境の中のこの年だったのだが、世は円高で、アメリカへの輸出が大きな比重を占めていた事業本部の中で、
国内市場への増販や、ジェットスキー事業の充実、コストのドル化が叫ばれて、発動機のエンジン生産のアメリカ市場への移転などが、言われていた時代である。
★高橋鉄郎さんの後を継ぐのに最も近い位置にいたのが安藤さんで、6月の役員人事で安藤さんが昇格するかどうかが、注目の的だったのである。
高橋さんとしては、何とか安藤さんをと思っておられたのだと思う。 初めての営業部門を担当させたのも、当時のカワ販の専務を任されたのも将来の事業部統括の経験上必要と思われたに違いないのである。
ところが期待に反して6月人事で安藤さんの役員昇格が消えたために、そのあとの構想がまた難しくなったのは容易に想像が出来るそんな環境にあった。
★私自身は、3月に突如大分県の直入町対策から、ひょんなことにアタマを突っ込むことになったのである。
10年以上も前の話だが、具体的にはZ1などの大型車の開発のために、テストコースが要るということで、大分の直入町に既に広大なテストコース用地を購入していたのである。ただ、その後の事業本部の経営悪化で、テストコース建設どころではない状況に追い込まれていたのである。
よくある話だが、地元の直入町とは土地の購入の条件に町民の採用などいろいろ町への協力を約束していたのだが、コースが出来ないものだから、2カ月に一度ぐらいの頻度で交渉に訪れる直入町長以下の対応がまた大変で、本社の財産課以下その対応に困り果てていたのである。
弱り果てた結果、モトクロスコースを造るなどの案が出て、レースの話なので、私に相談があったのが、3月8日のことだった。
モトクロスコースは土を削れば出来るようなもので簡単だが、後のメンテナンスや運営から言っても即座にダメだと思ったのである。
いっそのこと、ロードレースのサーキットを造っては? と言ったらそれで行こうということになってしまったのである。3月11日には本部長のOKも出て、『お前やれ』ということになってしまったのである。
大体、無鉄砲にカンで言ってしまうのがいけないのだが、やれと言われたらやらざるを得ないし、岩崎茂樹君と二人で、何の経験もないサーキット建設のプロジェクトに突入してしまうのである。
3月末には、岩崎君と二人で現地に乗り込んで、地形を見たり、どんなコースにするかを検討したのである。三井不動産が担当ということだったのだが、三井不動産自体もサーキットなど造ったこともないものだから、コース設計も基本コンセプトも全て岩崎と私で作りあげたのである。土地は幾らでもあったのだが、総工費は3億と勝手に決めてのスタートだった。
俄か勉強であったが、こんなサーキットなどで、一番金の掛るのは、土の移動と水処理である。 コースは出来るだけ地形を利用して高低差をつけるような仕様の絵を1ヶ月で書きあげたのである。
これは、4月末に、本社に説明した項目のメモみたいなものである。1ヶ月の間に各地のサーキットはマーケッテングしたし、何よりもレーサーレプリカみたいな車を世に出しながら走る場所を造りもせずに、『峠族』などという、暴走族まがいの呼び方をさせているメ―カーの姿勢がダメだ。
『日本で初めての一般ユーザーが走れるサーキット』を造ると、大上段に振りかぶったのである。
4月末の時点で本社の了解も取れたし一路邁進するのみであった。こんなにスムースにことが運んだのも、本社企画の阿ニさんがコンセプトに共感して、片棒を担いでくれたお陰である。
本社財産課も直入町長などの対応に困り果てていたので、大いに賛同してくれたのである。川重で初めてのサーキット建設だったのに極めてスムースに実質1ヶ月ちょっとでその建設計画は軌道に乗ったのである。
直入町長とも直ぐ仲良くなって、町のダムではジェットスキーのレンタルもやろう直入町に客を呼ぼうと、旗を挙げて一挙にいい関係に転じたのである。
土地が自前であったこともあるが、大分県庁への認可申請も直入町長同伴で、当時の県知事さんに直接挨拶などして、このプロジェクトはスタート以来ちょうど2年の超特急で、
2年後の4月に開場することになるのである。
●「SPA直入物話」として5回に亘って書いているが、こんなブログに纏めて下さった k_miya@ぐるぐるじゃぱん さんなる方がいる。 感謝。
★この年、もう一つのオモシロイプロジェクトが、ソウルオリンピックでの開会式当日のジェットスキーのデモンストレーションである。
これはオリンピック委員会からの正式招聘で、オリンピック村の中で1週間を過ごしたのである。
このチームの団長を引き受けたのである。
折角のオリンピックのデモだから、単に選手を集めるのではなしに、
アメリカ、ヨーロッパ、オーストラリア、そして日本の『ジェットレースチャンピオン』たち男女をそれぞれ集めた構成にしたのである。
具体的な段取りは当時のジェットスキー担当の鶴谷君がみんなやってくれて、初代JJSBAの会長の苧野さんや、ジェット市場の開発をやった藤田君、日本の実質1号店の福井君、今も確か何かおやりの大南君など日本のジェットスキー市場開拓の錚々たるメンバーが集まったのである。
英語のスピーチなど、殆どやったことはないのだが、この時世界から集まってくれたメンバー達への「Wellcome Speech」である。
こんなの忘れていたが、日記に挟んであった。英文は多分鶴谷君が作ってくれたのである。 Draft とわざわざ書いてくれていたが、これを読み上げたに違いない。
1週間ほどの滞在であったが、私は子どものころをソウルで過ごした。
世界で一番行ってみたかった町がソウルだった。2日目に苧野さんと現地の社長と一緒に住んでいた家を見つけてきた。初めは解らなかったのだが、桜ケ丘小学校を見つけてそこから道をたどったら、すぐ見つかった。
オリンピック開会式の当日のデモも上手くいって、翌日はみんなオリンピックを観に行ったりしたのだが、私はもう一度独りでタクシーに乗ってもう一度家を見に行ったのである。
そんなことで、オリンピック村に1週間近くもいたのに、オリンピックも見れたのに、何も見ずに帰ってきた。
★この年、こんな事ばかりやっていたわけではなくて、この数年間ずっと続けていたKMCの38Mドルもあった累損の消去の目途が立ったのである。
期間損益の黒字化などという表面的なものではなくて、累損消去という誰にも指示されなかった、大庭さんですら『そんなこと聞いていない』と言われた、私自身の高い目標が達成できたのである。
これで、『卒業出来た』と思った。
7月には、安藤さんの後を引き継いでカワ販専務が決まった。
社長の高橋鉄郎さんとのコンビで、何年も目標に掲げてきた国内市場の充実強化を直接担当することになるのである。
営業総括の副という何となく頼りない職務もこの年の9月末で終わって、
10月からは、高橋さんと『7万台』、国内から川重への『限界利益100億円』を約束して、また現場の旗振りに戻ったのである。
★家の方も、金の心配はなくなったし、ちょうど家のローンも終わって、ホントに気軽になった。
元々家計のことなど家内に任せきりで、何の口出しもしてなかったのだが、
ずっと会社に出入りしていた保険会社のおばちゃんに、いつもアイスキャンデーをもらってばかりで、不義理ばっかりだったので、退職金の一部700万円ほどをお任せして預けたのが、いま、2000万円ちょっとになっている。これは私が死んだときに受け取れる保険金だそうだが、今受け取れば1500万円ほどだとか・・・・今の保険会社の担当者が不思議に思うほどの金額になっているのである。
そんなに贅沢はしなければ、毎月は年金で何とかなるので、これだけは残るだろう。私が一生で自分で金を動かしたのは、これくらいのことで結構成功の部類かなと思ったりしている。尤も受取人は家内だから、私の金ではないのだが。
この年の夏、東京出張の時、息子に飯を食おうと誘ったら、2時間ほど待たされて、女の子と一緒に現れた。今の息子の嫁さんノンちゃんである。
その時は、何も言わなかったが、秋には三木の家まで連れてきた。その時も特に何も言わなかったし、大体そんなことをすればどうしたいのかは聞かずとも、言わずとも解っていることだから、それに触れた話などしなかったと思う。
会社の方も、家庭も一段落、ある意味卒業した感じの年でもあった。
10月からカワ販の担当になることが決まって、5年ほど前に私を企画に引っ張って頂いた、山田さんに報告の手紙を書いている。あの時指示されたことは十分できたと思っている。
それ以降二輪事業は順調に推移したと言えるだろう。
二輪事業自体も、国内市場も、そして私自身も、新しい段階を迎えるのである。
この後の10数年がオモシロかった。 そして今、NPO The Good Times にそのコンセプトは受け継がれている。
お盆休みである。
お盆が明けたら、ホントに久しぶりに、田崎さんとコンビで、また昔のように新しいことが、やれるかも知れない。
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