★1969年3社合併の年の4月が創刊号で、40数年の年月を経て、めでたく200号の記念特集となっている。
川崎航空機に入社し、3社合併を迎えた年は、東北仙台での営業で私もまだ36歳、若かった。
この中に砂野仁さんのことも書いているが、3社合併を推進しその初代社長を務められた。
当時の二輪車事業はまだヨチヨチ歩きで、3社合併の足を引っ張らないようにと、当時国内市場で売ろうと目論んでいた50ccのバイクは、上市せずに、アメリカ中心の中大型スポーツ車に集中することが決まった年でもある。
そんなことで、翌年には、仙台から当時一番弱かったと言われていた大阪に転勤し、殆どゼロからの中大型車の販売スタートとなるのである。
★200回の記念号の表紙を飾ったのは、JET SKI ULTRA 300X である。
300は排気量ではなくて300馬力、静止状態から4~5秒で最高速100キロ超まで達するという強烈な馬力の持ち主である。100キロは戦時中の魚雷より早いという。
現役のころ、Jet Skiの二輪事業部での正規事業化に頑張った時代もあった頃が懐かしい。この商品を開発したのは山田浩平君、今は技術本部の総帥だが、かってX11というサーキット専用の4輪車の開発時にいろいろ関係があった仲なのでこれもまた懐かしいのである。
創刊号当時には、とても『かわさき』の表紙などに二輪部門の商品が来るなど考えられなかったので、格別の想いがある。
その特集にも、世界に点在する『Kawasaki Global生産拠点』となっている。
創刊当時はまだアメリカに販売拠点が出来かけてところだったので、40年を経て、今の海外売上比率65%は、スゴイなと思う。
『1975年日本の二輪車、四輪車業界のトップを切ってアメリカでの現地生産を始めたモーターサイクルのノウハウやチャレンジ精神は他の事業の海外展開にも大きく生かされています・・・』 などと紙面に紹介されているのは嬉しい限りである。
★私が現役だったのは、1999年までで、退任してからもう10数年になるのである。
カワサキワールドの開館も2006年だから、直接には関係ないのだが、
この裏表紙にあるミニ鉄道フェスタのイベント開始には色濃く関わって、1年目はカワサキワールドの担当者や広報の関係者とずっとその準備会議の段階から出席したりしたので、ホントに身近に感じられるのである。
このイベントも一番中心でやっているのは、鉄道マニアでもある二輪の商品企画担当の古橋君だし、このイベントのお陰で親しくなった。そんなイベントも既に定着して神戸の名物の一つになろうとしているのは嬉しい限りなのである。
200号を迎えた記念誌の表も裏も、二輪やユーザーとの遊びに直結する一昔前の川崎重工業では考えられない柔らかさである。
造船工業会のそれこそ堅い重工業の会社の中で、川重がユニークなのは、コンシューマープロダクト、末端消費者に繋がっているのがユニークなのである。
CP事業本部(Consumer Product)と言っていた時代が懐かしい。
ジェットスキ―や三輪車が加わって、単車事業部というンネーミングがどうもという時代に造られたネーミングなのだが、発動機との合併ががあって、また昔の発動機事業本部に戻ったのである。
発動機ー単車―CP -発動機 を経て現在に至っている。
★創刊号から、区切りの50号ごとの『かわさき』が載っているが、
二輪事業部関係商品が表紙に来たことは今までも何回もあるのだが、区切りの記念号に初めて載ったのも、そんな時代になりつつあるのかと思う。
ぜひ、世界を相手に柔らかい発想で羽ばたく『柔工業&重工業』であった欲しいものである。
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