雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

秋田犬 と 柴犬

2018-03-05 18:44:58 | 発想$感想

★  ロシア の金メダリスト ザギトワにメスの秋田犬が贈られ、

  彼女はメスの秋田犬に『マサル』と言う名前を付けたというニュースが流れた。

 

   

   

 『マサル』は 勝利に繋がるからだという、それが日本では男の子の名前だとは解らなかったのだろう。

 日本語はなかなかムツカシイ。

 

★それはそうと、コドモの頃から我が家にはずっと犬がいた。

犬がいない生活は、この10年程である。飼おうかと思うのだが、『犬より長く生きれない』では犬が可哀想だと思ってもう10年になる。 多分もう犬を飼うことなないのだろう。

我が家にいたのは全て日本犬だった。

 

 こどもの頃、朝鮮にいたころいたのは、それこそ『秋田犬』で毛は白く『シロ』と名付けられていた。

 未だ小学生だったが、『シロ』とは私が一番仲良しだった。その頃は犬は庭で放し飼いか、犬のために動物園のような囲いを作ったりするのが普通で、散歩の習慣など我が家に限らずなかったのではなかろうか?

 

  

 

 『秋田イヌ』ではなく、『秋田ケン』と言われていたと思う。なぜ今は『秋田イヌ』なのだろう。

 

 戦後引き揚げて明石にいたころも、その後仙台にいたころも、貰ってきた『日本犬』がいた。

 仙台で飼っていたのは、知人に頂いて子犬から育てて、何回か子供を産んだりした。

 その後高槻に移り、三木に来たころも家にいたのだが、会社が忙しい時期で私は面倒を見てやれなかった。

 

 その後、しばらくイヌがいない時期があったが、娘が広場に捨てられていた子犬を拾ってきてまた飼い始めた。

『コロ』と名付けて可愛がっていたのだが、自動車にはねられて突如亡くなってしまった。死に対して、一番涙を流したのはこの時だったかも知れない。

 その後すぐ、娘のところに長男が生まれる年に、柴犬の雄・雌 つがいで2匹購入して15年程家にいた。

 

 『TOM & LOVE 』と名付けて可愛がった。

 

   

 

  コレ余談だが、ブログに初めて写真が貼り付けられた時の写真である。

 

   

 こんな子犬が産まれて、結婚式以来初めて写真屋さんで撮って貰った高価な写真である。

 

★ところで秋田犬 と 柴犬 はどう違うのか?

 よく似ているが、やはり違うようである。

 

  

  これは秋田犬の子どもたち

 

         

 

 こちらは柴犬だが、大きさが違うようである。

 

 写真を見てるだけで可愛いが、やはり犬を飼うのはもうムツカシイのかも知れない。

 

 

 

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私の定年後の生活 73歳 2006年

2018-03-05 07:30:22 | 発想$感想

★ 2006年、こんな年だったのだ。

 何となく覚えている出来事もある。神戸空港が開港したのは12年前だったのだ。

 

    

 

★ 私自身にとっては2006年は確りと覚えている年で、私の生活がこの年を機に変わった年だと言っていい。

 この年の1月に、三木市長に新しく薮本吉秀さんが当選した。薮本さんの基本方針の中に『三木市のイメージに向上』があって、それに対する市長メールでの提案を始めたのが5月のことだった。

やりかけるとハマってしまう性格で、今まで『市政』などには何の関心もなかったし、『市政』なるものがどんなものなのかも解らなかったので、全国のいろんな市のホームページにも片っ端から目を通しだしたのである。

 全国の各市のホームページの中で特に私の目を引いたのが『高槻市のホームページ』でその中にあった『こちら部長室』と言うコラムの中で、当時の市長公室長樋渡啓祐さんのいろんな発信に釘付けになってしまったのである。そんな高槻市のいろんな発想を三木市にも市長メールでいろいろと提案したりしたのである。

 その中に『ブログ・ブログ・ブログ』という一文があって、調べてみたらその頃日本では、今安倍内閣の閣僚になっている世耕弘成さんぐらいしかブログをなさっている方はいなかったのだが、その世耕さんの経歴を見ると早稲田の後、米国ボストン大学コミュニケーション学部大学院修了の広報専門家だし、樋渡さんも大学時代広報関心があって広告代理店への就職も考えたなどとあったものだから、そんな広報の専門家たちがやろうとしている『ブログ』なら、と私もやろうと決意して、9月9日にスタートしているのである。

 

三木市に提言した日本一美しいまちをめざそう』は7月に採用され今でも続いているし、その『三木市のイメージ向上』のためにも、情報発信のツールとしての『ブログ』の提案を三木市にも行ったりしているのである。

 

  

 

 この年三木市で『市長表彰』を受けた『みっきいふるさとふれあい公園』と言うプロジェクトがあって、これは三木市を一つの公園と見たてて、みんなで楽しく触れあっていこうというコンセプトなのだが、そのネーミングをそのまま私のブログの三木市に関する記述のカテゴリーとして設定し、この12年間続けて284件の出稿となっているのである。

 http://blog.goo.ne.jp/rfuruya1/c/30239573c635cb61e2584cd30aba9db9

 

★ブログを始めて一番びっくりしたのは、前述した高槻市の市長公室長樋渡啓祐さんのことをこのようにブログに書いたら、ご当人からコメントが来て、ビックリしてしまってコメントの返信もしていないのである。前述した高槻市との経緯なども書いている。

 世の中にはこんなこともあるのである。

 

市長公室長樋渡啓祐氏のこと

樋渡啓祐氏。面識もないし、勿論話もしたこともなく、私とは直接は何の関係もない。

総務省から出向して、高槻市長公室長を平成15年4月より17年12月まで2年半ほど務められ、また総務省に戻られた。
1969年佐賀県生まれだから、まだ40才前の若さである。

高槻市のホームページ「こちら部長室」で62回に及ぶ、彼のコメントを読んだだけである。

樋渡さんの「こちら部長室」の第1回は「全国一のホームページを目指して」で始まり第62回「さよなら部長室」で終わっている。
2年半ではあるが、高槻市は今年のホームページコンクールで、見事全国一になり目標を達成している。
62回のコメントはそれぞれ面白いのだが、次の二つをご紹介したい。


第55回BLOG,BLOG,BLOG

「この4月まで、この言葉を知りませんでした。」とある。

「メールさえ打てれば、そんなに知識がなくても、HPが簡単に作れる。
情報発信が容易である。同時にトラックバックなどで情報の入手も容易になる。
デジカメの画像が簡単に、且つ沢山採り入れられる。」

更に続けて、「アメリカではブログの誕生により、ホワイトハウスの会見にブログの記者の出入りが認められたり、わが国でもこの動きは加速すると思います。」

ご自分でも、ブログに挑戦され、高槻市のホームページにブログの採用を起案されている。
そして、「高槻市が全国に先駆けてブログ化に挑戦し、その成果がでることを楽しみにしたい。」

私は、上述のようなちゃんとした分析は出来なかったが、「カン」だけで、これはイケルと思ったので、自分でも試してみるとともに、三木市の市長メールでも、推薦をした。間違いなく時代の流れだと思うのである。

ホームページやメルマガを実施している政治家は沢山いるが、ブログをやっているのは、世耕弘成と石原慎太郎の二番目の息子など、まだ極わずかでスタートしたばかりである。



第36回 求む 奇人、変人

これも、私には非常に面白かったし、100%共感する。
「組織には必ず、奇人、変人が少なからず存在している。それが許容されているのがいいのだ。」と言っている。

高槻市に「着任して1年経って思うのは、潜在的な奇人、変人の人たちが「普通、一般化」していないか、もっと奇人、変人をそのまま伸ばす方向を採るべき」といっておられます。まったく同感です。

更に「いい企画、いい仕事をするためにも、知的好奇心いっぱいの奇人、変人が是非とも必要です。」
「私自身も勇気をもって奇人、変人の類になるように頑張ります。まだまだ、潜在的に埋もれている奇人、変人は沢山いると思います。」
と続けて、奇人、変人のいい素質を持ちながら、「普通一般化」している、高槻市のAさん、Bさん、Cさんに呼びかけているのである。

これは何も高槻市に限らない。一般の民間企業でも油断をすると、直ぐこの風潮は体質となる。
全ての組織体にとって、「求む、奇人、変人」は通用すると思う。

 このブロブに対する樋渡啓祐さん、ご本人からのコメントである。
 
感謝 (樋渡啓祐)
2006-11-24 22:11:26
文中の前・高槻市市長公室長の樋渡啓祐です。今日、グーグルの配信メールで、「雑感日記」のことを知りました。
私も、挙げていただいた二つの記事は今でもお気に入りですし、今では市長という立場から、同僚職員に同じことを伝達しています。そのためには自分自身が書いた記事そのものでなければならず、自戒しながら頑張っております。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。ありがとうございました。

     

      

 

そんなご縁で樋渡市長とは繋がったし、当時の三木市とも繋いだら、一時三木市と武雄市は提携関係を結ばれたり、市の職員の相互乗り入れなどにも発展したのである。

この年からブログを始めたお蔭で『私の定年後の生活』は一変したと言ってもいいそんな1年だったのである。

 

 

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