★ 全国カワサキ会会長であった『小野寺和夫さん』のことをこのブログで
書くのは初めてのことだと思う。
昭和46年(1971)に私自身も全国カワサキ会副会長の職について、
それ以来、小野寺和夫さんとはいろんなことでお世話になったし、
一緒に国内の販売網関連の仕事をさせて頂いた。
横浜の栄和自動車という販売店も大きく経営されていて、
単なるバイク屋さんではなくて、日本の二輪業界がスタートしたころは、
ライラックかどこかの代理店だったはずなのである。
そんなことで未だ、カワサキにも地方に代理店が残っていた頃は、
その代理店を纏めた『全国カワサキ会』という組織があったのである。
私は昭和45年末に直営部門ではあったが『大阪母店長』となった関係で、
全国カワサキ会の副会長にも就任してコンビを組むことになったのである。
本田宗一郎さんが高松の宮様を迎えて、ヨーロッパのBCIMのレセプション
を開催された時には夫婦同伴で華やかな会に、小野寺さんご夫婦と一緒に
出席させて頂いたことも『いい想いで』なのである。
国内の二輪販売の分野は今は全てメーカー直轄になったが、
当時の自前のデーラーが存在していた時代が懐かしい。
その後、カワサキも全国が直系の販売会社や営業所になって
栄和自動車も横浜の一販売店としての位置づけにはなるのだが、
小野寺さんはその後も国内二輪分野の業界の中枢におられて
カワサキは勿論、二輪業界全体に貢献されて叙勲も受けられたのである。
私自身も国内の販売網の責任者となるのだが、
小野寺さんには顧問としていろんなことを手伝って頂いたのである。
そんな小野寺さんも、叙勲を受けられた1995年の12月にお亡くなりに
なるのだが、もう余命が少ないと言われたその年の11月23日に
横浜の病院に小野寺さんを見舞っている。
『これが最後になる』ということはお互い解っていて、
小野寺さんはエレベーターのところまでわざわざ見送って頂いたのである。
11月24日の日記にこのように書いている、(要約)
『昨日小野寺さんに最後に会った。これが最後とお互い解った上で約30分話をした。すべて気になっていたことは話をした積りである。・・・
医者の言うことが正しければ段々と死期に近づいていることはご本人もお解りのようである。そんなとき私の一言一言をどのように小野寺さんは感じてくれるのだろう。私自身は本当に援けて頂いたし、腹を割って話せる数少ない人の中の一人だった。今度横浜に行くときは小野寺さんの葬儀なのだろう・・・』
そして翌月12月17日のお通夜と18日の葬儀に参列しているのである。
1995年のことだから、もう25年も前の話なのである。
★なぜ突然『小野寺和夫さん』のことを書いているのかと言うと
これもホントに突然なのだが