★野本浩一さん、昨年6月にふとしたことからFacebook でトモダチ申請を頂いて繋がった。
まだネット上だけのお付き合いで、お会いしたこともないのだが、
ごく最近FBのコメント欄にこんなメッセージを頂いた。
筒井康隆「ジャックポット」(短編集)はお読みですか?
とても面白いですよ。
古谷さんと同年代ですから、「そう、そのとおり」と相づちを打ちたくなる 短編 ばかりだと思います。 お薦めします。
是非、お読み頂きまして、感想をお聞かせ下さい。
小生は 短編の中 「レダ」P154を読んでいて、抱腹絶倒 笑いすぎで 涙まで溢れました。
★私は毎日文章は書くが殆ど本は読まない。
筒井康隆さんは有名人らしいが、私にとっては初めて聞く名前である。
そんなことで『ネット』でのリサーチからスタートすると同時に
Amazon で注文したら翌日には本は届いたのである。
『ジャックポット』は短編14作で編成されている。
私は本の最後から読むことも多いので、
この本も最後の『川のほとり』から入ったのである。
51歳の息子を亡くされたという。
筒井康隆さん1934年生まれというから私より1歳年下である。
私たちの世代は年上の方にはアタマが上がらないのだが、
年下の方ならどなたにでも対等に対峙することが出来るのは不思議である。
筒井康隆さんのこの14編読んではみたが、
正直私には難しすぎて解らなかったのである。
同じく88年近く、同じ時代を生きているのだが、
『生きた世界』が全然違うと書く文章もこんなに違うものか?
と思ったのが『正直な感想』である。
筒井さんとは『同じ世代』で、
文中に出てくる大学の『進学適性検査』を受けた世代なのである。
筒井さんは学校の成績は悪かったが、『進適の結果』はよくて同志社に入学できたとあったが、
私自身も高校3年の時就職かなと思っていたのだが、
『進適』だけは受けていたので、大学入試が受けることが出来たのである。
そんな妙な所には『共感』が持てたのだが、
この短編集に書かれた筒井康隆さんの文章にはツイて行けなかったのである。
★ でも、こんな読書の感想では折角私の読後感に期待をされてた
野本浩一さんの期待を裏切ることは間違いない。
私と違って、東京大学ご出身の野本浩一さんは
この本のいいところがよくお解りになったに違いないのである。
そんなことで、世の中ではどのような書評になっているのか?
私の知らなかった筒井康隆さんは、本が好きな家内は知ってたので、
知らないのは私ぐらいではないかと思うのである。
ネットで私なりにチェックしてみたので、
それを纏めて『読後の感想に代えたい』と思うのである。
筒井康隆は、1934(昭和9)年、大阪市生れ。
小学生時代から漫画と映画に没頭し『のらくろ』エノケンに熱中、
父が蔵書家であったことから読書好きとなり、
小学生の頃は江戸川乱歩を愛読した。
中学に入学した頃から不良少年となり、授業をさぼって映画館に通い詰める。
1950年高校に入学。演劇部の部長を務めるが学業は不振であった。
1952年4月、同志社大学文学部に入学し、同志社小劇場に所属する。
1957年大学を卒業後、展示装飾などを手がける乃村工藝社に入社し、サラリーマン劇団「明日」に入団し演劇活動を継続する。
1959年12月に創刊された雑誌『SFマガジン』を読み衝撃を受け、
1960年6月、SF同人誌『NULL』を創刊。父と三人の弟が同人で、「筒井一家」紹介記事がたびたび新聞に掲載、
さらに『NULL』創刊号は江戸川乱歩の目に留まり、短編「お助け」が乱歩主催の雑誌『宝石』1960年8月号に転載。
これが実質的なデビュー作となった。
1965年、処女作品集『東海道戦争』を刊行。
1981年、『虚人たち』で泉鏡花文学賞、
1987年、『夢の木坂分岐点』で谷崎潤一郎賞
1989(平成元)年、「ヨッパ谷への降下」で川端康成文学賞、
1992年、『朝のガスパール』で日本SF大賞をそれぞれ受賞。
1997年、パゾリーニ賞受賞。
2000年、『わたしのグランパ』で読売文学賞を受賞。
2002年、紫綬褒章受章。
2010年、菊池寛賞受賞。
2017年、『モナドの領域』で毎日芸術賞を受賞。
私が知らないだけで、この世界では超有名人と言っていい。
筒井康隆さんについては大体解ったのだが、
肝心の『ジャックポットの書評』はどうなのかチェックしてみたら
こんな一文に出会ったのでその要約を以下にご紹介する。
近頃の筒井御大は、本人曰く『破茶滅茶朦朧体』を追及しておられる。
これが、何というか、実に難しい文体なのである。
もはや、筒井康隆と完全に同じ脳味噌を持っていなければ全貌など分からないのではないか、と思わせる出来である。
と書かれていて、私が『解らない』のは別に不思議でもないようである。
本作には十四の短編が収録されており、そのうち約九作が『破茶滅茶朦朧体』である。『破茶滅茶朦朧体』は老大家だからこそ至った境地だと思う。
何せ御年八十六歳なのだ。令和になってなお御大の最新作が読めるというのは至福の極みなのである。
短編集の最後、『川のほとり』で亡くなるのは作者自身ではない。作者の、一人息子なのだ。
ここまでの十三作品、御大は『破茶滅茶朦朧体』と回想を使い分けてきた。
しかし『川のほとり』だけ調子ががらりと変わる。
『破茶滅茶朦朧体』も回想の雄弁さも鳴りを潜め、風景描写から始まる、僕たちが慣れている『小説』の文章と、作者本人が現れる。
そして、作者は夢の中で息子と対面する。ここに登場するのは『老大家』ではなく、『父親』としての筒井康隆だ。
『川のほとり』で表われているほどに真摯で、切実で、美しい会話の場面を読んだ憶えがない。
ともかく『川のほとり』は白眉だ。ごく短い掌編だが、代えがたい価値がある。
それ以外にも、相も変わらず旺盛に小説の可能性を探っている短編集だ。
是非とも多くの人に読んでほしい。
★もっと長文なのだが、勝手にはしょってしまった。
この読書感を読んで、私ももう一度『解らぬ』と言わずに読み返してみたいと思う。
私にも50歳代の息子がいる。息子が先に亡くなるなど考えたこともないが、『川のほとり』からこの本を読んでよかったなと思う。
この文章は、所謂『普通の文章』でそこに書かれていることはよく解ったのである。
書評の最後は『是非とも多くの人に読んでほしい』で締めくくられている。
是非、多くの方がこの本を読んでみて欲しいと思っている。
野本さん、お蔭様でいろいろなことが解りました。
ありがとうございました。
読後の私自身の感想は、ご期待に添えずに申し訳ないのですが、
私なりにもう一度努力して読んでみますので、これくらいでお許し下さい。
最後に『ジャックポット書評』と検索するとこんなに並びます。
その中から一部抜粋したものです。