雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

 明石 & 三木

2022-10-19 05:33:07 | 発想$感想

★ 「明石市上ノ丸町2丁目720番地」は私の生まれ故郷だし、
  今も本籍になっているはずだが、
  今は分筆されてしまってこんな番地はないと思う。

  そんな「明石市」が今何かと人気なようである。
  戻りたい街ランキングでは何と「全国1位」が明石市なのである。

  



   何はともあれ「全国1位」は凄いなと思う。

   
   「兵庫県で最も注目されている街」ランキングでも、
   神戸市を抑えて「1位」なのである。


   

   



  明石市のナニガそんなにいいのだろう?


★ 私は明石で生まれ、小学校時代はソウルで育ったが。
  夏・冬の休みには毎年明石に帰省していたので、
  戦前の明石市もよく知ってるし
  戦後引き揚げてきてからは、ずっと明石に住み高校・大学に通い、
  就職も川崎航空機の明石工場だったから、
  昔の明石も、戦後の明石もよく知っている。

  私自身は今の明石よりは戦前・戦後の城下町の風情が色濃く残っていた
  明石のほうが好きである。

  戦前の明石公園は、空襲で焼けてしまって今はないが
  こんな高い松の樹がいっぱいだった。

  


 このすぐ横の公園内にある明石球場には、
 戦前も戦後も春には巨人軍がキャンプを張った。
 「長嶋・王」の入団時ぐらいまでそれは続いていた。

 その「明石球場」で高校時代は練習をしていたし、
 甲子園にも出場したりしたのである。

 実家はそんな明石公園の外堀のすぐ横にあって、
 この池では高校生あたりまで「鮒釣り」をしたものである。
 庭に隣接していて、庭から降りたら堀だった。

 

 
 高校時代に堀を埋めて競輪場が出来る頃までは、
 空襲で焼けてしまっていたが、
 土地だけはそのまま残っていたのだが、
 戦後父が病気で長く寝たので、
 伯父が土地を売って1本2000円のマイシンの注射液を買ってくれたのだが、
 土地一坪が2000円の時代で、殆ど土地は売りつくしてしまったのである。





 今の明石は近代的な街に様変わりして
 昔の風情は残っていない。


★ 私は昭和48年(1973)ごろに三木に土地を買って移り住んだので、
 今ではもう50年近くになり、
 生涯最も長く住んだ町が三木になった。

 「戻りたい街」のトップが明石市だが、
 実のところ「三木」は非常に気に入っていて、
 「明石に戻ろう」とは思わなくなってしまった。

 「住みやすいトカイナカ」では大阪圏で2位に位置している。
 ここでは明石より上位にいて、
 神戸市に隣接していて、ほんとに住みやすいトカイナカなのである。


 


  明石にも立派な明石公園があるが、

  三木には同じような広さの公園が幾つもあるし
  それぞれ変化に富んでいる。
  甲乙つけるつもりはないのだが、
  どちらかというと、今は三木の公園群のほうが気に入っているのである。


  生まれ故郷の明石もいいが、
  「住めば都」で三木もいいよということにしておこう。
  兎に角、一生三木で過ごしたのちは、
  明石の「長寿院」に里帰りすることになるのだろう。

  

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする