★連日テレビでは地震のニュースが流れているが、
1月17日は阪神・淡路大震災から29年になる。
当時はまだ現役時代だったが、早朝突然の大きな揺れで目を覚ました。
当日の日記を読み返してみたが、このように書いている。
「6時少し前、大地震。約1分ほど家が倒れるのか、これはすごい。本当にこれは地震なのか、地震とは別の何か別のものではないかと短い時間の間に思った。大変なものだった。会社に出たが事務所は散乱、部品庫は被害特になし、新車倉庫600台が転倒、ショールームの建物は2,3階窓ガラスが割れる。電気が通じてTVを観てからこの地震の凄さが解った。神戸・西宮あたりは凄まじい。門野君宅は二つとも潰れたという。典子はそこに手伝いに行って連絡があったが、今はどうしているのか。火災はまだ神戸市内で続いている。」
今までに経験したことのないような揺れで、地震ではなく爆発でもあったのではないかと思った。
直ぐ停電になってしまって、どんな状況なのか解らなかったので、いつものように犬の散歩もしたり、会社にも出社したのである。
会社は明石だったが、窓ガラスが割れたりはしていたが、そんなに大したことはなかった。
上司の高橋鐵郎さんに自宅が芦屋の山すそだったので、電話をしてみると、
『お前は今どこにいるのか?』と仰るので『会社です』と答えたのだが、
『西宮あたりは凄いことになてるぞ』と言われるのである。
ホントにビックリしたのはその後、電気が通じてテレビを観てからである。
神戸市内が凄まじかったし、長田辺りは大火事だった。
こんな状況では会社にいても仕方がないと家に戻ったのである。
★ この震災による死者は6000人を越え、多くの犠牲者が出たのだが、
今回の能登半島地震に比べると、被害のあった地域の面積は小さかったように思う。
阪神・淡路大震災と名付けられてはいるが、
大被害のあったのは長田から以東、西宮あたりまでで、
明石や須磨も何とか大丈夫だったし、
六甲山の裏・三木辺りは揺れたけれども家屋の倒壊などはなかったのである。
★それに比べて今回の『能登半島地震』は半島全体に被害があって、
過疎地と言えるので死者の数などは少ないが。
半島全体のそれぞれの町で大変な被害なのである。
これは同じ縮尺での地図だが、こんなに広い範囲での被害なのである。
阪神大震災とは全く異なる広い範囲での被害なのである。
道も寸断されたようだし、その救助も都会と違って大変なようである。
現役時代、北陸3県も担当地域だったので、よく知っているし、
能登半島も羽咋シーサイドレースなどジェットスキーのレースでよく行ったので、
輪島あたりも知っているし、本当に素晴らしい景観なのだが、
今回の地震では大変のようである。
何のお手伝いも出来ないのだが、1日も早い復旧を願うものである。