『賛成、反対世の流れ』と題して、昨日exciteに、こんなブログをアップした。
そのきっかけは、三木のトモダチのkwakkyさん 『公共事業は全てムダか?』と
武雄の樋渡市長さん『ムダな公共事業って何ですか?』と
ともに『公共事業のムダ』という流行のテーマでブログをアップされ、
その論旨に『共感』したからである。
どうも、日本人は、単純明快に、一方的に白黒をはっきりさせるのが好きなようである。
今回の、民主党の大勝も『とにかく民主党』といった一方的な判断だっし、
その後に続いている、『公共事業』も、『脱、官僚』も『マニフェスト』に対する態度も、
ちょっと発想が極端すぎるように思えてならないのである。
物事は、白黒をはっきりさせるほうが確かにわかり易い。
然し、世の中はそんなに単純ではないのである。
あらかじめ計画をして、それを忠実にフォローする。
そんな計画が機能するのは、『自分が努力すれば達成できる分野』だけである。
生産計画などはそんな分野であろう。
計画を達成するためにそれを構成する機能を分析し、検討し効率的に計画通りに進める。
日本人がもっとも得意とする、『生産管理方式』である。
末端の物言わぬ人はどう思い、どう動くのだろうか?
仮説を立てて対応する『マーケッテング』は逆に最も不得手な分野であろう。
生産方式の手法を使えば、他人の意思が入ってくる政治行政の分野にでも、
全て上手く当てはまると錯覚しているのでは、と思ってしまうのである。
個人の価値観が多様化した現代で、政治の分野に最も機能するのは、
単純明快な生産管理方式ではなくて、
何とも解り難い『マーケッテング』のほうではないだろうか?
一番基礎的な販売でも、計画通りにはなかなかいかないものである。
計画との差の理由など、もっともらしく検討などしても、ホントのところはよく解らないのである。
販売計画など、元来その通りに行くはずが『ない』のが普通である。
お役所の予算が計画通り100%達成できるのは、これはもっとも簡単な幼稚なレベルだからだと思う。
現役の頃、イランで現地の人と、CKDの事業計画を立てようとしたら、
『日本人は、そんな将来の「神様の分野」に手を出そうとするのか』と
言われたことがあるが、世界にはそんな考えの人もいっぱいいるのである。
少なくともアラブの人たちのほうが、日本人よりは沢山世界にはいるのである。
然し、日本人は自分のほうから、『人を見る』のが圧倒的に多くて、
『アラブの発想はおかしい』と信じて疑わないのである。
休みを返上して、サービス残業してでも働くことが、ほかの国の人から不思議がられていることには、なかなか気がつかないようである。
単純な発想は、『世の流れを』より以上に加速させてしまうのではと思う。
バッグなどのブランド信仰もそうだし、今年の秋の流行色なども業界が勝手に作ってしまうのである。
『100年に一度の危機』などと、『大変だ、大変だ』を連呼して、対策したりするのも大好きである。
公共事業も、脱官僚も、マニフェストも、今流行のインフルエンザの話題なども、『ちょっと逆の観点』から冷静に眺めてみる、そんな感覚やゆとりが必要だと思う。
『ゆるやかな大きな流れはいいが、それはあまり激流にはならぬほうがいい。』
と本当に、そう思っているのである。
何事もいい加減に考えてしまうのは、『不真面目』なのかな?
最後までお読み頂いて有難うございました。
お手数ですが、ちょっとクリックして頂けますか?
そのきっかけは、三木のトモダチのkwakkyさん 『公共事業は全てムダか?』と
武雄の樋渡市長さん『ムダな公共事業って何ですか?』と
ともに『公共事業のムダ』という流行のテーマでブログをアップされ、
その論旨に『共感』したからである。
どうも、日本人は、単純明快に、一方的に白黒をはっきりさせるのが好きなようである。
今回の、民主党の大勝も『とにかく民主党』といった一方的な判断だっし、
その後に続いている、『公共事業』も、『脱、官僚』も『マニフェスト』に対する態度も、
ちょっと発想が極端すぎるように思えてならないのである。
物事は、白黒をはっきりさせるほうが確かにわかり易い。
然し、世の中はそんなに単純ではないのである。
あらかじめ計画をして、それを忠実にフォローする。
そんな計画が機能するのは、『自分が努力すれば達成できる分野』だけである。
生産計画などはそんな分野であろう。
計画を達成するためにそれを構成する機能を分析し、検討し効率的に計画通りに進める。
日本人がもっとも得意とする、『生産管理方式』である。
末端の物言わぬ人はどう思い、どう動くのだろうか?
仮説を立てて対応する『マーケッテング』は逆に最も不得手な分野であろう。
生産方式の手法を使えば、他人の意思が入ってくる政治行政の分野にでも、
全て上手く当てはまると錯覚しているのでは、と思ってしまうのである。
個人の価値観が多様化した現代で、政治の分野に最も機能するのは、
単純明快な生産管理方式ではなくて、
何とも解り難い『マーケッテング』のほうではないだろうか?
一番基礎的な販売でも、計画通りにはなかなかいかないものである。
計画との差の理由など、もっともらしく検討などしても、ホントのところはよく解らないのである。
販売計画など、元来その通りに行くはずが『ない』のが普通である。
お役所の予算が計画通り100%達成できるのは、これはもっとも簡単な幼稚なレベルだからだと思う。
現役の頃、イランで現地の人と、CKDの事業計画を立てようとしたら、
『日本人は、そんな将来の「神様の分野」に手を出そうとするのか』と
言われたことがあるが、世界にはそんな考えの人もいっぱいいるのである。
少なくともアラブの人たちのほうが、日本人よりは沢山世界にはいるのである。
然し、日本人は自分のほうから、『人を見る』のが圧倒的に多くて、
『アラブの発想はおかしい』と信じて疑わないのである。
休みを返上して、サービス残業してでも働くことが、ほかの国の人から不思議がられていることには、なかなか気がつかないようである。
単純な発想は、『世の流れを』より以上に加速させてしまうのではと思う。
バッグなどのブランド信仰もそうだし、今年の秋の流行色なども業界が勝手に作ってしまうのである。
『100年に一度の危機』などと、『大変だ、大変だ』を連呼して、対策したりするのも大好きである。
公共事業も、脱官僚も、マニフェストも、今流行のインフルエンザの話題なども、『ちょっと逆の観点』から冷静に眺めてみる、そんな感覚やゆとりが必要だと思う。
『ゆるやかな大きな流れはいいが、それはあまり激流にはならぬほうがいい。』
と本当に、そう思っているのである。
何事もいい加減に考えてしまうのは、『不真面目』なのかな?
最後までお読み頂いて有難うございました。
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