雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

三連休の真ん中は結構いろいろあった

2011-02-13 05:58:52 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

★いつの間にか2月も10日を過ぎた。

昨日のブログのアクセスの検索キ―ワ―ドに『紀元節歌詞』などが上位にあって、そんなところから繋がったりもして、そうだ紀元節も過ぎたのだと思ったりしたのである。

 雲にそびゆるちほのねおろしに艸も木も
  なびきふしけん大御世を仰ぐけふこそ楽しけれ

などと言う歌詞は、今でもちゃんと覚えている懐かしい歌詞ではある。

 

★そんな3連休の中日、朝から先日買ったテレビが届いた。どんどん仕様が進化して最近はまた新しい仕様が出て従来の薄型テレビの価格は15万円ほどに値下がりしてしまった。

最近はテレビを見る時間も少なくなって、綺麗に映りさえすればとそんな仕様のモノを買ってきた。最新型は同じ大きさでも30万円以上もする。

それにしても贅沢になったものである。我が家も地デジ対応型は3台目でこれで今年の夏の期限が来ても大丈夫なのである。高校生の頃は力道山のプロレスを見るためにわざわざ喫茶店まで出かけたものである。

そんなテレビの取り付けに、午前中は対応していた。

 ★午後は、ご覧のような標題での消費者庁長官、元我孫子市長の講演会を聞きにいった。

憲法における自治体議会と国会との違い、地域のことは住民が決めると言う『先進的な地方の市長、議会、市民』それぞれの立場から、本来どうあるべきかと言う持論を展開されたのだが、非常に説得力があってオモシロかった。

ただ、三木で今の市長、今の議会、今の市民の間でこのような方向の展開は現実問題として無理である。然しめざす方向であることは確かだなと思った。

 

 ★2月のいつがバレンタインデーなのか?

既に、家内からこんなチョコレートをもらった。 まだ頂けるだけ幸せである。家内はパソコンなど一切やらぬので、こんな写真を貼っていささかの感謝の意を表してみても、伝わらないのは残念な気もする。日付などには関係なく、コープに頼んでいたのでと、コープから配達があった日に渡してくれたのである。これはその時に撮った写真で、中味は既に半分は腹の中に収まっている。

昨日、菊澤デザイン事務所の赤い封筒に入った

こんなはがきとともに こゆりさんからチョコレートを頂いたので、家内に貰ったことも思いだしたのである。

喜寿の77歳ももう後20日ほどだが、身内以外からバレンタインのチョコレートなど頂けるのは、誠に有難いと思わねばならない。

こゆりさん、本当にありがとうございました。

 

  そうです。12日は育児の樋でした。 ikeda33さんのツイッターから

ikeda33  育児の日「毎月12日を「育(いく=1)児(じ=2)の日」として広く提唱することで、社会全体で子育てを考える機会にします。地域が一体となってすべての子どもを健やかにはぐくむという意識を広げると同時に…」神戸新聞さんの発案です http://j.mp/ii4Q3j

 

★そんな、いろいろとあった昨日だが、エジプトがとうとう民衆の力、それもネットの力で30年続いた独裁体制に終止符がうたれた。

そんな時代なのである。

日本とエジプトと、どちらが先進国なのか?

当然日本と思うだろうが、三木などでは市長も、市会議員も、市の職員もパソコンは使うが、ネットの世界には無縁の人も多い。

日本のタテ型の社会が、いつになったらヨコ展開のネット社会になるのだろうか?

日本の場合は、パソコンも、インターネットも、SNSですら『タテ型に使っている』ことに気付いていない。

ツイッターやFacebookの時代になれば、幾らか変わるかも知れぬが。

 

★NPO The Good Times はそれをあくまでもヨコに使おうと言う実験みたいなものである。

Facebook のThe Good Times のファンページ、まだまだだがここまでは来た。

その中には、『カワサキの想い出、そして未来』の最新情報も隠れているのだがーーー。

NPO The Good Times のホームページは、On Timeで会員さんの動向も、ブログやツイッターやFacebookで解るようになっている。

 

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世界で唯一の文化、三木の鉋で仕上げた椅子

2011-02-12 05:48:46 | みっきぃふるさとふれあい公園

★下に掲載したブログは、昨日excite の方にアップしたものです。

これを読まれた、埼玉県川口市のViveLaBibendum から    『まるでヴァイオリン鉋ですね。愛馬の車検を通すのに思いの外大工事になって3/05会期に間に合うか判りませんが、間に合ったら馴らしがてら観に行きたいです椅子展。』 とのコメントを頂いて感激です。

ひょっとしたら、三木でお会い出来るかも知れません。

『世界で唯一の文化、三木の鉋で仕上げた椅子』  素晴らしいと思いますので、こちらのブログにもご紹介いたします。

 

 

 

★昨日、こんな葉書が10枚ほど入った封書が送られてきました。

丁寧な自筆の手紙が添えられていました。
差出人は、
三木の日月くらぶ  徳永家具工房の 徳永順男さんからです。

2月15日から3月5日まで、
三木市立堀光美術館で、
『三木の鉋で作った 鉋仕上げの椅子展』 が開かれるというご案内なのです。

★徳永順男さんとは、実は面識はありません。

素晴らしい技術を持たれた『職人さん』だとは聞いていますが、『ただの職人さん』ではないようです。
日月くらぶには一度だけお邪魔させていただいて、息子さんにお会いしてブログにも紹介したことはあるのですが、そのブログ、探してみたが見つからないのです。

でも、日月くらぶにも、そこに展示されていた手作りの家具などにもすごく関心はあって、
こういう家具などをもっと三木は広報すればいいと思っていました。


『三木の鉋』とは多分こんな鉋のことを言うのでしょう。
この写真は私が撮ったものではなくて、kwakkyさんのこんなブログからお借りしてきたものです。

この鉋とその鉋で作られた椅子の事を徳永さんはこのように書いておられます。


『日本は古来よりタタラによる製法で砂鉄から鋼を作る技術を培ってきました。
そして鋼を鍛錬することで世界に例を見ない強さと、切れ味の刃物を生み出しています。
然しその技術は明治以降、洋鋼の輸入により忘れられていきます。

現在兵庫県三木市に過去の物とされようとしている日本のハガネの世界を蘇らせ、
木を生かすツールとして、卓越した技で刃物を制作する者がいます。
 この刃物と出会った驚きは、『日本人が過去に何を作り上げてきたのか』その事に対する無知をさらけ出したカルチャーショックのようなものでした。

鉋で椅子を仕上げる。  これは何ら特別のものでもないない普通の響きなのですが、柱や板と違い、複雑な形状のものを大小様々な鉋を使い仕上げる事は世界でも恐らく初めての試みであり、それを可能にさせる世界で唯一の文化なのです。
 つたない力量なのですが、 ここに展示致しました 日本が生みだした木々を日本の鋼で仕上げた椅子は、木を表現するうえで新たな価値観を確実に得たと自負し、実感できるものだ、と思っています。 どうぞ木肌に触れていただきサンドペーパーとの違いをお楽しみください。                            徳永拝』

 

★私は、三木の鉋で仕上げたテーブルの木肌の感触を 自分の手で確かめたことがあります。
確かにそれは、サンドペーパーで仕上げたものとは完全に差別化されたものでした。

こうした、日本の独特の文化を守り、それを生み出す三木の刃物の伝統のすごさを
三木市民が知って、それを守り育てるような活動に繋がればと、思っています。


日月くらぶはこんなところです。
静かな昔の三木の佇まいの中に、古民家を再生して、如何にも旧い三木のいいイメージいっぱいのところです。
三木に徳永順男さんのような方がおられることは素晴らしいことだと思っています。

こんなブログもあります。

★『日本一美しいまちをめざすみき』にふさわしい
『Kanna-finish の椅子展』のご案内です。
是非三木に、お越しになってください。

そして
世界で唯一の文化、
日本が生みだした木々を日本の鋼で仕上げた椅子の素晴らしい感触を、
 どうぞ木肌に触れていただきサンドペーパーとの違いをお楽しみください。

 

 

付録

 

NPO The Good Times はカワサキと三木のメンバーのコラボでスタートしました。

ネーミングThe Good Times はカワサキから頂きましたが、

この会員カードの色、オレンジは、

『鉄を鋳る炎の色、情熱のオレンジ』 伝統の三木金物指定のカラ―です。タタラの色なのです。

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免許更新で思うこといろいろ

2011-02-11 06:00:50 | 発想$感想

★免許更新に行ってきた。

元来車の運転は、それ自体が好きで趣味みたいなものである。

70何歳からかは事前講習があって昨秋、半日かけて特別講習を受けている。そんな関係もあって、免許更新は時間的には非常にスムースである。

昨年秋に受けた事前講習では高齢者のボケテストで、『少しボケています』の判定を貰って少々ショックであったのだが、『歳をとると、一度に幾つもの事が認知するのが難しくなる。』と言うことは納得できて、信号を見たら横断歩道が、いったん停止を見たらもう一つの事を見逃すので重々注意と言うことはよく解ってその後、運転時には気をつけている。

朝家を8時50分に出て9時30分に現地に着き、免許更新の手続きを終えて現地の駐車場を出たのが10時10分、帰りは別の道をとおたら10時40分に家に戻った。これは思いの外スムースであった。

★何時から始まっているのか?朝一番が込むようでちょっとピークを過ぎた感じ、今までで一番空いていたように思う。お客が少なかったからか、案内の掛りの人の数が目立ったが対応はめちゃ親切であった。用紙の書き方など子供に教えるように丁寧である。

安全協会の会費は払わなかったが見ていると、流れに中にセットされているので、殆どの人が払っていた。

何か悪いような気がしたが、前回来た時は安全協会の会費がマスコミで問題になっていて、ほとんどの人が払っていなかったのだが、今回は様子が変わっていたのである。

免許書の記載の中から本籍の記述が消えた。 多分いろんなことに悪用されることを避けたのだと思う。それを表示するためには、4桁のコードを二つ、打ち込まねばならない。パスワードがあればどこかで表示されるなどと説明してくれたが、そんな必要がありますか?と聞いたら『多分ないでしょう。』それならこのコードナンバーなど記憶しておかなくていいですか?と聞いたら『いいでしょう』と仰る。 世の中が世知辛くなって、いろんなところに不要な経費がかかるようになったものである。

最近は殆ど三木の中ばかりだから、駐車違反はする場所がないし、スピードも出さなくなったのでずっとゴールドを頂いている。

★現役のころはバイクの仕事で、業界などの安全運転関係にはいろいろと関係していたし、この明石の試験場にもしょっちゅう、来ていた懐かしい場所である。

特に、二輪専門の自動車学校『カワサキライデイングスクール』の資格を取るために2年間も頑張って、全国的にも珍しい資格を頂いたのだが、そのころは毎週のように試験場の方に来ていたものである。

お陰さまで、普通では絶対に取れないと思われた難しい試験も、当時の阪神ライデイングスクールの協力もあって無事取得できたのだが、何か諸般の事情でその認可を返してしまわれたのである。

世のなかにはいろんな判断があるのは解るが、『資格返却』の判断は二輪メーカーとしてミスジャッジであったことは間違いない。当時の関係者がいろいろ言うのは当然のことだと思っている。この資格は、多分二度と取得することは出来ないものと思っている。

それは兎も角、昨日は駐車場がいっぱいで、試験場の前のここに通っていたころ止めていた試験場関係者の駐車場が特に解放されたりして、そこに止めたものだから久しぶりに上の写真も、こちらの二輪の試験場の写真も撮ってきたのである。

★昨日もどこかで飲酒運転の乗用車が高校生二人をはねた死亡事故が報じられていた。事故の状況を見る限り、飲酒しているから気をつけて運転したとはとても思えない状況である。酒の勢いで公道を暴走したとしか思えないのである。

 

自動車先進国の英国やアメリカの最近の事情がどうなっているのか詳しくは知らないが、英国も、アメリカもあるいはどこの国でも、日本ほど厳しく『飲酒運転』を言ったりははしない。

イギリスのパブでも、アメリカのレストランでも酒を飲んだ人が、クルマを運転して帰るのはごく普通のことである。

私なども海外出張の際は、どこに行っても殆どレンタカーで自分で運転して動いていたのだが、夜などは飲酒のあと、レンタカーを運転してホテルに戻るのが普通であった。

日本の飲酒運転での事故は、どうも飲酒以前の問題でひどいような気がしてならない。酒の飲み方も欧米人に比べて、おかしいのではないだろうか?

海外で泥酔してまちを歩いたり、ホテルのロビーで大声で話したりする人を見かけることはない。

 

車の飲酒運転もさることながら、社会での暮らし方、態度そのものの基本的な部分が運転以前の問題として、あるのではないだろうか?

自分を律することが出来ない人は、飲酒に関係なく車の運転などしたらイケないのではと思ったりする。

日本も車の生産や、その品質では世界でも一流の水準なのだから、メンタルな面でもっと進歩しなければと思う。

 

どうも、免許のの許可や、更新の手続きばかりが表に出て、普通の社会生活をするレベルがおろそかになっているのではと思ってしまうのである。

 

★高齢者になったらどう、飲酒はどうと規制や規則さえ造ればいいとお上は思い、個人は自分を規制し、社会の中で暮らそうと言う意識が欠如して、資格さえあればOKと思っていないのだろうか?

私自身は、運転技術にはそこそこ自信はあるのだが、昨秋来、高齢者は一つのことに注意したらもう一つの注意が散漫になると聞いて、交差点では非常に慎重に運転に心掛けている。

免許の更新は済んで資格としては、問題ないのだが、後期高齢者であることを重々承知して運転したいと思っている。

 

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『カワサキの想い出、そして未来』と平井稔男さん

2011-02-10 05:47:50 | カワサキワールド

★『カワサキの想い出、そして未来』という3月4日、5日、カワサキの明石工場と神戸のカワサキワールドを舞台に繰り広げられるイベントの主催者が、平井稔男さんである。

『カワサキの真打ち』と自ら称して憚らない平井さんでなければ、このイベントは実現しなかった事は間違いない。

そのイベントはいまの段階でもかなりの規模で、そして素晴らしいカワサキの歴史を背負った人たちの出席で実施されることが確実になったのである。昨日平井さんを中心に、3月4日の夜の舞台になる西明石のホテルキャッスルプラザで具体的な打ち合わせを初めて行ったのである。

その平井稔男さんを何と紹介すればいいのだろうか?

平井稔男さん77歳である。今回の出席者の中で間違いなく一番長くカワサキとともに歩んでいる。 Team Greenの創設者であり元Team Green 監督、カワサキ明発の時代からの営業でもある。営業としては大阪の統括所長も務めたし、カワサキの安全運転も、お客様相談室も、サーキットの建設など新しく初めての事業を開拓してきた。現在はカワサキのレースの初期のアドバイザーでもあり関西のMFJ関連にも力を尽くした名門兵庫メグロの故西海さんの跡を継いで今は社長として、その経営を預かっている。

今回のイベントを後援するNPO 法人The Good Times の理事さんでもある。つい先日、世界の片山義美さんが主宰した名門クラブ『神戸木ノ実レーシングの50周年を祝う会』では、金谷秀夫や清原明彦に頼まれて総合司会をやったりしているのだが、今回は兵庫メグロファンクラブ主催の文字通り主催者なのである。

彼がカワサキのレースにどのくらいの思い入れがるのかは、このブログ『Team Green』をお読みになれば一目瞭然である。

 

★このイベントの発端は、『カワサキの想い出、そして未来」の案内書にもあるように、『一度工場を見学してみたい。―――』などと言う熊本の岡本さんというカワサキファンのつぶやきに

、関東の雷神マッハさんや、三木のカバン屋さんも賛同してのスタートとなったのだが、当初は、20人ほどと言う小さなレベルが、だんだんと大きくなって、今の状況になったのである。

今までは全てネット上で展開だったのだが、ある程度具体的になったので、昨日初めて運営のキーパーソン5人が集まって具体的な検討を行ったのである。

 

★左から平井稔男さん、立ってるのはねこさん、今回の広報部長役、今でもレースを走ったりするが、鈴鹿を2分40秒で走る女性ライダーでもある。

その右は、はっぴえんどプロジェクトの森田さん、MFJのふれあいミ―テングで司会もしたりする、今回の司会役もお願いしている元ライダーである。

 一番右は、今回のネットの案内書や、The Good Times Tumblrなど造ってくれているカワサキライデングスクール卒業生、カワサキマイスターのお客さんでもあるbunCさんこと丁子くん

こんな5人で、昨日はあと1ヶ月の間の準備や、当日のスケジュールの検討などをやったのだが、ーーー。

●メインの工場見学を含めての参加人数は、あと数人で締め切りとなるようだが、今からでも申し込まれる方は、平井さんの携帯090-9627-5524に直接お電話ください。

●パ―テ―だけの参加(13000円)は、まだ大丈夫のようです。

会場の一部ですが、当日はこんな堅苦しいものではなくて、自由に話ができる立食パ―テ―スタイルになります。

★どんなメンバーが集まるのか?

カワサキのメンバーはライダーも含めて、ほぼこれ以上ないような顔ぶれになっています。カワサキのレースの歴史もカワサキの二輪事業そのものも背負ってきた仲間たちが集まります。エライさんもいっぱいですが、敬称抜きで紹介すると、

カワサキのレースのスタート、青野ケ原モトクロスの監督、高橋鉄郎(元川重副社長)、そのレースを走ったキヨさんの先輩飯原武志

カワサキのロードレースのスタート鈴鹿ジュニアロードレースのマシンを準備した田崎雅元(元川重社長)とそのレース3位入賞の山本隆、その1カ月後、鈴鹿6時間耐久レース監督大槻幸雄(元川重常務、Z1開発責任者)、このレースを走った、飯原武志、歳森康師、金谷秀夫。

カワサキのかっての開発陣としてZ1のエンジン開発者稲村堯一、開発もレース監督もKMC社長も務めた百合草三雄。

ライダーは清原明彦など案内書にある錚々たるメンバーが集まります。

現役の技術本部長の山田浩平くんや、昨年までのレース担当、現在商品企画の古橋君などもNPO The Good Times のメンバーとして夜のパ―テ―には参加してくれます。

NPO The Good Times の理事さんやアドバイザーとはこんな人たちです。カワサキと三木とのコラボですが、カワサキ関係のメンバーが殆ど出席です。副理事長のタッチャん最近まで九州オートポリスの責任者だった副理事長のタッチャんも参加でしょう。

 

一緒に集まってくれるお客さんのメンバーも素晴らしい有名人がいっぱいです。1980年前後KR250,350の時代、UKでのカワサキレース監督ケン鈴木さん、今はあの軽井沢のシルバーストーンのオーナーとしても有名ですが、そのケン鈴木さんにもカワサキのレース関係者にぜひ会ってお話をしたいと仰るホンダのファクトリーレーサ―開発者の渡辺さん。

レース関係だけではなくて、Z1をこよなく愛するカバン屋さんやそのグループ。雷神マッハさんなどマッハの愛好者、。小林ゆきさんや、雑誌や二輪車新聞などのマスコミも、イベントの趣旨に賛同されての参加です。NPO The good Times の関東統括インタートレ―ディングムラシマの村島さんも、NPOのホームページを担当してくれているかっての8耐ライダー松島裕さんなど

 友情出演として、「鈴鹿8耐&Love Bikeメッセンジャー」として活躍するシンガーソング・ライター 左嵜 啓史(サザキ・ヒロシ)氏も参加します。

さらに詳しく、出席者を知りたい方は、このイベントの広報部長 ねこさんのブログをご覧ください

 

★、当日は肩書抜きのNPO The Good Times の仲間としてのヨコ一線の会合にしますので、どのメンバーとも気軽にお話しできる様にセットします。

そんな雰囲気が間違いなく出来るところが、カワサキ二輪の一番いいところです。 そんな雰囲気を是非仲間としてご堪能ください。

Kawasaki.  Let the good times roll  !!    Kawasaki に出会う人がみんな『ハッピーになるような活動を展開する』と言う1975年アメリカで生まれたコンセプトを文字通り受け継いできたメンバーが、Kawasaki を卒業した後も、さらにその精神を受け継いで、

『異種、異質、異地域の人たちをみんな繋いで楽しい時を過ごそう』と言う基本コンセプトのNPO The Good Times のメンバーたちの初の全国規模のイベントなのです。

 

カワサキの二輪事業の歴史を背負った高橋鉄郎さんが、このNPOの相談役として、80歳を超えた今も元気にこの会に出席されることを喜んでおられます。

もう50年近く前の話ですが、高橋、大槻、田崎、百合草などのメンバーは山本、歳森、金谷、星野、清原、和田、飯原などのライダーたちのチームメ―トなのです。主催者の平井さんも含め、殆どの人が大槻さんが会長、稲村さんが副会長を務めるゴルフコンペZ1会のメンバーでもあるのです。

単にカワサキだけではなくて、日本の二輪文化の健全な発展に繋がればと、祈念しています。 あと1ヶ月、さらなる発展があればいいなと思っていますし、そのようになるように努力します。

奮ってご参加ください。

 

 

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石原都知事の4選のニュースに思う

2011-02-09 04:40:44 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

★昨日のニュース東京都知事選に石原都知事の4選と言うニュースが流れた。

『都知事選まであと2カ月。自民党の石原伸晃幹事長は、父・石原 慎太郎都知事に4期目の出馬を要請する方針を明らかにした。
自民党の石原幹事長は、「幹事長としては、ぜひ出ていただきたい。家族としては休ませてあげたい。そんなところですね」と述べ、悩ましい胸中を明かした。』

などとニュースは伝えている。

石原慎太郎は78歳、もし裕次郎が生きていたら76歳である。

私は、77歳だから、石原慎太郎、裕次郎兄弟とは若いころから、同世代の人と言う認識で生きてきた。

裕次郎は早くこの世を去ってしまったが、石原慎太郎は1歳年上だが、いつまでも元気だなと思っていつも見ているのである。

 

★昨日のニュースも石原都知事の4選がいいか悪いかなどと言う事ではなくて、純粋に『都知事をもう1期?』とそのこと自体に驚いてしまうのである。

私自身も、周囲からは、『元気だな』と言って頂いてはいるが、それは好きなことを、自分がやりたいことだけを勝手にやっているだけで、公務でないから務まっているので、これが民間の経営であったとしても、責任のある立場なら大変だと思うのである。

単なる感想として言えば、石原慎太郎さんは、やれば出来るのかもしれぬが、もういい加減に休ませてあげたほうがいい。

石原さんぐらいになれば、別に都知事と言う公職でなくても、社会に貢献できる活動は幾らでも出来るのではないかと思う。

 78才で都知事をもう1期という発想も、超高齢者社会での独特なものだろう。

人生75歳、後期高齢者になったら、どなたも好きなような生き方が出来れば、最高だと思う。そういう意味では好きなように生きさせて頂いて幸せだと思っている。

 

★ちょっとこんな話題に飛ぶのは不謹慎かも知れぬが、

こんな高齢社会になったこと自体はおめでたいのだが、天皇陛下の公務についても、どなたかが考えなければならぬのではないだろうか。

皇太子殿下もおられることだし、これからの1年1年がより大変さが増していくのだろうと思う。

でも、このような皇室と言う日本独特の問題については、問題提起するだけでも大変であろうし、どんな手続きをすればそれは言いだせるのであろうか?

早く誰かが考えねば、天皇陛下の場合は、都知事のようにあと1期と言うわけでもなく、果てしなく続いて行ってしまう。

もう昭和1桁は、社会の表舞台からは降りて、ゆっくりと好きな人生を歩めるように、これは若い年代が自分のこととして考えて上げねばと思うのである。

 

★そんなことを、石原都知事の4選に絡んで思ったが、私自身も結構忙しく過ごしてはいる。

でもそれはやりたいことを、好きなように予定を立てているのである。

昨日は、三木市役所に『100条委員会の傍聴』に行った。 薮本市長の『人権侵害発言問題』で昨日は市長の証人喚問だったので、多くの市民が傍聴をした。直接、何の関係もないのだが、どんな進展になるのか?市会議員はどんな質問をし、それに『市長はどう応えるのか?』 それを見たいと思うから出かけている。

今日は、10時から、平井さんたちと『カワサキの想い出、そして――』と言うNPO The Good Times のイベントの打ち合わせが、明石であるが、これもやりたい連中がやりたいようにやるので面白いのである。

そして午後からは、稲田さんに頼まれて、薔薇の植え付けと、選定などをやることになっている。

予定と言えば予定だが、どれもこれも『してもしなくてもいい』そんなレベルの予定なのである。

人間後期高齢者の域になれば、

これくらいの忙しさがちょうどいいと思っている。

 

石原裕次郎さんの4選話を聞いて、改めて今の生活の幸せを再認識したのである。 自由、これに勝る幸せはないと思う。

 

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『新しい時代』を求める政治と、『伝統文化』を守る?大相撲

2011-02-08 06:29:00 | 発想$感想

★昨年の今頃、世の中はまだ民主党に乗っていたように思う。

少なくとも私は、自民党の政治ではダメだなと思って、いつになく民主党に乗っていた。

今までいろんな好きな政治家はいたが、自民党だとか民主党など党をを応援したことはなかったような気がする。

そんなに中央政治に関心もなかったし、典型的な無党派層だったのだが、民主党なら従来の政治構造が変えられるかなと思ったのが、民主党を推した理由だと思う。

鳩山さんがそんなにやれるとは思わなかったが、小沢さんが後ろにいれば何とかなるかと思ったし、原口さんなどが橋下さんとトーンがあって、地方分権なども何とかなるのではと思ったからである。

菅さんになって、一挙に民主党から遠のいてしまった。菅さんではなにも出来ないと思ったからである。なぜと言われたら困ってしまうが、菅さんは出来ないと思ったのである。

 

★政治の世界も、民間の経営でもトップの資質だと思っている。

民間でいえば、本田宗一郎さんは素晴らしかったし、スズキの鈴木修さんも立派だと思う。 ソフトバンクの社長孫 正義なら、よく知らないが大丈夫なのではと思ったりする。

リーダーを判断すると言ってもそんなに解っているわけではなくて、なんとなくそう思うのである。

 

今回、名古屋市長は河村さんの圧勝だった。

民主党や自民党もそれぞれ候補を出したらしいが、「出したらしい」と言うぐらいで、私などその名前すら知らないのである。

自民党は兎も角、民主党の現執行部は、世の中の流れみたいなものを全然読めていないと思う。

『河村さんは民主党』と思っていた人が殆どで『民主党のイメージ』を引きずっている。それも党首選に何度も挑戦した、云わば民主党をある意味代表した人だと思っている。

その政策がいいか悪いかは別にして、『独りでもやり抜く』という迫力がある。今民主党に一番欠けているのが、リーダーの迫力、戦略性の欠如、世の中を読む能力の欠如だろう。

民主党が対立候補を立てること=民主党の支持の減少、民主党のイメージダウンに繋がることがなぜ解らないのだろうか?

そんな世の中を読めない人に、日本を任すわけにはいかないと思ってしまうのである。

 

★世の中は従来の政治構造に、飽き飽きしているのだと思う、

リーダーらしくないリーダーにも、飽き飽きしているのだと思う。

河村さんの政策を本当に解っている人も、橋下さんの『大阪都構想がどんなものか』解っている人も、ホントはそんなに多くはないのだが、

従来の政治家とは、間違いなく差別化されていて、『期待できるのでは?』『何かやってくれるのでは?』というところにみんな期待しているのである。

『何をやるかは』自分の推したリーダーが決めればいいことで、『そんな難しいこと』を明確に解ったりはしていないのである。

 

 一般の人たちが、『リーダーの想い』などちゃんと理解する必要などないと思う。

然し、一般大衆は意外に賢くて、なんとなく世の流れを読むカンみたいなものは持ち合わせているのだと思う。

『何か新しいことをやってくれる』と期待しているのである。

 

この春の地方の選挙、とりわけ大阪の維新の会はどんなことになるのだろうか?

是非新しい風を吹かせてほしい。

大阪都構想が直ぐに出来るとも思わないが、従来の労働組合が推す大阪市長など時代遅れも甚だしいのである。

 

★政治ではないが大相撲が大変なようである。

学生相撲がスポーツだと言えばYESだが、大相撲など興業ではあるのだろうが、とてもスポーツなどとは言えないものだと思っている。

八百長はいいとは言わぬが、『八百長が起こりやすい構造』になっている。

八百長がないなどと、言っている人が不思議なのである。

7勝7敗になった時のカド番の勝率がどうなっているのか?

と私は思っていたら、アメリカ人でそれを統計的に既に調べた人がいるとか。圧倒的に勝ち越す勝率が高くて、その次同じ取り組みでは圧倒的に負けているとか。

人情から言っても、そうなることは不思議ではないのである。

相撲独特の部屋だとか、独特の給料制だとか、これがスポーツの世界のルールとはどうしても思えない。

 

歌舞伎などもそうだが、歌舞伎を見たことがある日本人は何%なのだろう?

同じように相撲を見る人も、日本人の何%に当たるのだろう?

私はどちらも、興味、関心はないのだが、

相撲はスポーツとしてではなくて、歌舞伎などと同じく、日本の伝統文化として大事に育てるべきだと思う。髷もまわしも独特の文化である。

 

これは、政治のように、新しいものを求めること自体に無理があって、なかなか難しいのでは?

あまり新しいものを求めたら『学生相撲』のようになってしまうのではないだろうか?

この相撲の話は難しすぎて、下手に改革案などやりすぎると迷路にはまってしまいそうである。

 

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綺麗に歩けるように

2011-02-07 04:39:54 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

★2月1日、プロ野球キャンプが一斉に始まりました。

若いころ野球をやっていましたから、野球のことは何となく解っているのですが、昔のと言っても50年前の野球と今の野球はそのレベルが違うのは当然なのですが、

一番違うと思ってきているのは、基礎体力や身体の柔軟性だと思っています。

こんな基礎の部分は運動神系や、アマ、プロに関係なく努力の分野だと思っているのですが、これがプロの人たちはすごいなと思って見ています。

投げるボールの早さや、打つ距離が違うのはこれはプロだから当然でしょうが、フォームの柔らかさや、その流れの見た目の美しさが、昔と全然違うなと思って見ています。

 

★昔から、心臓がドキドキするようなしんどいことはあまり好きではなくて、『シボル』ことが目的のようなノックなどは嫌いだったのですが、守備練習そのものはむしろ好きな方でした。

身体を動かすことは嫌いではありません。

犬がいたころは毎朝歩いていて『美しく歩く』ことが目標だったのですが、この1年殆ど歩いていません。

ストレッチは毎日、5,60メートルのダッシュは、1週間に何回かは近くの公園でちゃんとやっているので、そんなにドタバタせずに今でも結構スムースに走れるのですが、不思議なことに歩くと腰のあたりの筋肉が痛いと言うかおかしいのです。

走る筋肉と、歩く筋肉が違うのだと思います。

 

★77歳も後1ヶ月残すだけになりました。

当然ながら体力は落ちますので、そんなに無理は出来ませんが、せめて綺麗に歩けるように頑張ってみたいと思います。

今まで生きてきて一番体力のなかったのは、65から70歳ぐらいまでの現役の最後のころだと思っています。運動はしなかったし、クルマばっかりに乗って筋肉も堅かったし全然でした。

リタイヤして毎日ストレッチをやりだしてから、柔軟性は常に人生で最高のレベルで保てています。

それなのに歩くのが、走るよりダメだなと痛感している昨今です。

 

★そんなところに、武雄の樋渡さんが、『大阪マラソン参加』の狼煙を上げられました

『昔は、歩くのは嫌い、走るのはもっと嫌い、苦手。ーーーーーーしかし、ダメですね。去年4月の市長選終了後は77キロの体重が、10月末にはなんと83キロへ(涙)。------一念発起。いきなり、ジョギング始めました。ーーーーー今では、毎日最低5キロ、週末は10キロ走れるように。  ---食事を全面的に見直したこともあって、今日は73キロ台。
で、だんだん、目標が欲しくなって、ニュースで見た、10月30日の大阪マラソン。 フルマラソン。エントリーすることを決意しました!!ーーーー目標は「完走、5時間」。』

すごいなと思っています。

市長の仕事は、激務なのに、ブログに、ツイッターに、Facebookまで、それも大変な密度で続いています。

市長の仕事は、サボってるのかな?と思うほどです。

今度は、大阪マラソン参加の宣言です。

 

★やはり、世に宣言して、それを目標にやることは、自分自身に励みになると思います。

今日は、近くの公園でダッシュした後、ちょっと遠回りして歩いて家に戻りました。

今年の目標、『綺麗に歩けるように』 

今でも歩けてはいますが、よりスムースに、犬と散歩していた時のように、長く歩いても筋肉がおかしくならぬように、頑張ってみたいと思います。

秋にある、コンピューターによる三木市の体力測定値は、一昨年が44.5歳。   昨年は41歳でした。

 

然しこれは、柔軟性が『20才代』と出るのが、大いに影響しています。

今年も『40歳代の数値』はストレッチさえちゃんとやっていれば大丈夫と思いますが、

『綺麗に長く、スムースに、颯爽と歩けるように』 頑張ってみたいと思います。

マラソンはとても駄目ですが、せめて『歩くぐらいは』  宣言してチャレンジしてみたいと思います。

 

一念発起 というほどのことではないですね。

 若い人から見ると、『なに言ってるねん』と思うかもしれないけど、放っておくと年寄りのとぼとぼ歩きになってしまいそうです。

 

 

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薔薇、冬の選定と整枝

2011-02-05 16:38:17 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

★2月に入って少し暖かくなった。

庭に出てみようかという気になった、昨日、今日である。

薔薇は12月がスタートで1月、2月の間に元肥、植え付け、消毒、つるバラの整枝など一連の冬の作業が待っている。

今年も12月からいろいろとやってきたが、1月が寒かったのであまりなにもせずにさぼってしまった。

2月に入ってから、12月にざっとやっておいたつるばらの整枝と、冬の選定をやっている。

★つるバラは葉を落としている昨年伸びた新しい枝をとにかくヨコに倒せばいい。

なぜそうなるのかは解らぬが、ヨコに寝かせたら全ての芽から一斉に花が咲くのである。立てておくと先の方にしか花をつけないのである。

つるバラをよくアーチなどに絡ませているが、その場合はヨコに巻きつけねバならぬので大変だと思う。

庭木と混植させておくと、冬、葉を落とした時もあまり目立たないし、誘引する手間も簡単で、素人が薔薇を育てるには薔薇だけ独立して育てるよりはずっといいと思っている。

特につるバラは一季咲きの薔薇が多いので5,6月の時期を過ぎると花のない季節は独立させておくと枝ばかりが目立ちすぎるように思うのである。

木薔薇の冬選定は、2月の今の時期からである。

もう薔薇を育て出して、6年以上にもなるのだが、毎年選定の長さをどのあたりにすべきか悩んでいる。

昨年はちょっと背が高くなりすぎたような気がして、今年は思いきって短く選定してみたがどうだろうか。

もう少し芽がちゃんとしたら、真ん中の枝など、もう少し下の外芽のところできるほうがいいのかも知れない。

これくらい短くしておいても、十分1メートルの背丈には成長するのである。

いろいろ種類もあって、特にイングリッシュローズなどはどのように選定すべきか、全然解っていないのである。

赤い枝がつるばらで、その15センチ間隔にある芽から一斉に花が咲き、春には薔薇の花で埋まると思っていただいたらいい。

今の時期、枝の誘引作業は絵を描く心境である。

薔薇の花の色の赤や黄色や、白などその種類によって枝を誘引することにより、間違いなくその場所にはその色の花が咲くのである。

庭木と混植しておけば、別にその場所を薔薇だけで埋める必要がないので、毎年違う絵が描けるのである。

つるバラの枝は5メートルにもなるので、引っ張るもよし、短く切ることも可能である。

今は空間が見えているが、5月にはこのあたり一面、バラで埋まってしまうのである。

木薔薇は今、写真に撮るとみすぼらしいので、写さなかったが、

木薔薇が50本、つるバラが20本ほど植えてある。

最初のころは名前や本数などちゃんと記録していたのだが、どんどん新種が出て本にも載っていないものもいっぱいあるし、とても覚えておれないので止めてしまった。

花が綺麗だったら名前など、解らなくてもいいと思うようになったのか、名前を覚える能力が失せたのかは定かではない。

 

花が咲いたころの写真を5月中旬にまたお見せしたいと思っている。

 

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橋下さんのツイッター

2011-02-05 05:44:45 | 大阪維新の会、橋下徹氏

★『大阪都構想の説明不足』というマスコミの取り上げ方がよほどアタマに来たのだろう。

大阪知事の橋下さんが、急遽ツイッターを立ち上げた

 1月31日に

『大阪都構想についてつぶやいていきます。----』というつぶやきから、橋下さんのツイッターは始まっている。

一番最初のつぶやきをご覧になれば明らかだが、

1時間半も取材をしておきながら、そのほとんどを編集でカットして説明不足とは何事だと、ABC放送のゆうの司会者も、そのコメンテーターの元尼崎市長も勉強不足と切って捨てて、橋下さんのツイッターはスタートしている。

その後留まるところを知らぬ勢いで、今、この時点でフォロワーは5万人を超えて、つぶやきの回数は既に450を超えている。

こんなツイッターは見たことはない。迫力満点なのである。

 

ツイッターの自己紹介欄には

『代表の橋下です。【2か月間限定】アカウント!ツイッターに挑戦です!大阪都構想を実現するために頑張ります!  』

と書かれているので、明らかに、維新の会の選挙をアタマにおいて『説明不足などとは言わせない』という迫力が感じられるツイッターに仕上がっている。

 

★私のもう一つのexciteでは2日続けて『橋下さんのツイッター』を取り上げているが、

大阪都構想』に反対する大阪市の官僚についても、こんなコメントを出しているのである。 

興味のある方はご覧ください。読みやすいように並べ替えてあります。

 

★ツイッターを始めてみて、橋下さんご自身も、反響の大きさやツイッターの威力を改めて再認識されたようである。

ほんと皆さん感謝です。これまでだと、既存のメディアに言われっぱなしで泣き寝入り。あの読売の記事で、僕は府庁に来てずっとツイッターをやっていると思った読者が何百万人と出たでしょうから。リツイートの威力、ほんと凄いね。

やっとトイレ休憩。読売新聞のキャップが謝罪してくれました。知事が登庁後つぶやき続けたという表現がおかしかったと。僕は昼休みのほんの少しの時間に一気に打ちこんだだけ。あの記事だとずっとやってるようだもんね。これもツイッターの威力。皆さんがワーッとリツイートをかけてくれたから。感謝 』 とコメントされています。

なにも調べずに書いた読売の記事についても、コメントしたら多分読売新聞社にいっぱい苦情が寄せられたのだろう。

現在、橋下さんのフォロワ―は5万人ほどだが、多分応援者が多いのだろうから、『リツイート』の数が半端でないのである。

 橋下徹

t_ishin  僕は毎朝に立ちインタビューを受け、週に一回2時間近く記者会見をやっています。しかしほとんど報じられません。皆さんに伝わりません。それだったらツイッターでどんどん伝えてきます。もちろんメディアからの取材にも応じますが。これから会議。また後ほど。
uramachicindie rockド論破◎drpMai Ikari逢坂 陵es-kaymaikoHideki EIRAKUヱーsuracherゆきゆき亭讃良光hirai_akira秋月安由Rio
showing latest 15

私もリツイートしたこのコメントは、100人を超す人が『リツイート』してどんどん広がっているのである。多分15万人ぐらいの人が見たのだろう。

大阪市長の平松さんも以前からツイッターをおやりだが、これは普通のツイッターで、橋下さんのツイッターとは比べれることはできないレベルである。

 

★今朝見たら、ツイッターに関してこんな感想

なるほど、ツイッター、この仕組みは凄い。おおよそ理解しました。明日朝の11時30分から夜の9時過ぎまで走り回って、1500人から2000人に直接話せられたら良い方かな。リツイートの威力って破壊的。コミュニケーション界のねずみ講!!  

 ツイッターの仕組みやマナーが良く分からんので、ご迷惑をおかけしていますが、お許しを。とにかくツイッターで政治を動かしましょう!

ツイッターは、システムである。 その使い方で威力の発揮の仕方も違う。ツイッターをこんな頻度でこんなに積極的に、『ご自身の主張一点に絞って』使った人見たのは、初めてである。

こんな使い方が、誰でもできるわけではない。

強烈なご自身の想いがベースにあるからである。 それが人の心を動かし人々を惹きつけるのだと思う。

 

ツイッターの威力はホントに相当なものです。

このブログでも、リンクを貼って間違いなく今朝発信しますから、読む読まぬは別にして12万人の人に向かって発信されます。

 

★今後どんな展開になっていくのだろうか?

この調子でツイッターで発信すれば、マスコミもコメンテーターも『説明不足』などとは言えなくなるだろう。

橋下さんは、具体的なことを今言うのではなく『2年かけて都構想の絵を描く』と言っているのである。私自身もそんなことは今回のツイッターで初めて知った。

今後はこのツイッターの内容自体が記事になっていくことが予想される。コメンテーターの元尼崎市長や大谷さんがこっぴどく反撃されていたから、橋下さんにモノを言うにはよほどの覚悟がいるのだろう。

たた4日で、こんなに内容のあるツイートをこれだけの量、発信したツイッターは初めて見た。そういう意味でも差別化されている。

 

★このツイッターの威力も影響したのか、昨日の夕刊には公明党が『大阪都構想に賛同』と統一地方選での協力態勢を表明した。

これで流れは出来たのではと思う。

名古屋の選挙も面白そうだし、直接関係のある選挙ではないのだが、今や国政レベルも大阪は関係ないと言える段階ではなくなってきた。

ツイッターに関しては、そのうちに追い付かれるとは思うが、今のところはフォロワーの数では、橋下さんの上を行っている。

個人的には、知事になられた時から一貫して応援態勢なので、リツイートで応援したいと思っている。

 

1ヶ月後、果たしてどんなことになっているのだろうか?

 

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昭和42年(1967)34歳  初めての営業経験ー2

2011-02-04 06:10:40 | 自分史

★昨日に続いて、『初めての営業経験ー2』

仙台への転勤は、サラリーマンになって初めての経験であった。

12月1日の辞令で、現地には事務所もなにもないものだから、なにを用意するのかその辺からの検討なのである。

12月いっぱいは明石で、周囲の人といろんな検討をしたのだが、誰もどうすればいいなどの具体的な案は示してはくれなかったのである。

会社としても初めての経験で、前例がないのである。

この話が出たのは、トップの岩城社長が東北の社長さんたちとの会合の中で、現地の社長たちが仙台に出先事務所を造ってくれと要望し、岩城さんが『造る』と即答されたことからスタートしている。

よく大会社である下からの申請を上が決裁した案件とは全く違って、現地の社長さんたちもちゃんとしたイメージがあって言ったのかどうか、その辺は定かではないのである。

従って誰に相談しても、案など持っているわけもなく『向こうに行って現地の社長と相談して、うまくやれ』とか、『現地の中に入って東北の民謡がちゃんと歌えるようになってこい』とか、そんなレベルの答えしか返ってこなかったのである。

私が要求したのは、足になる車が欲しいとただ一つそれだけであった。

4月の新しい期になるまで待てと言うので、それはダメだと頑張ったら、当時の近畿の部長の清水屋さんが近畿に1台しかなかった、コロナのシングルピックを餞別にやると言っていただいて、年明けの初出の1日前に明石を出発して一人車の陸送を仙台まで1000キロ走ったのが初仕事であった。

 

★東北の仙台に、独りで転勤させるのは、どうも会社も気が引けた節があって、いろいろ気は遣っていただいた。

家族は春になってからと勧めて貰ったが、仙台に着いて一番先に自分の家を見つけることからスタートした。関西などと違って家賃は比較にならぬほど安かった。

今の仙台球場のすぐ近くに、新築の1戸建ての庭付きの家が見つかって1月20日に家族4人仙台の住人となったのである。

流石に寒かった。仙台あたりは札幌などと違って寒さ対策など何となく中途半端なのである。家には雨戸がなかった。関西人なので、直ぐ『不用心』だと言ったら、『この辺には泥棒はいない』と答えられたのが、今でも印象に残っている。確かに東北の人の温かさ、人間の良さを味わった4年間だったのである。

結婚以来初めての1戸建ての家で、関西から遠く離れて、まさに独立した家庭を持った気にはなったし、家内も結構張り切っていた。

月のうち半分以上は出張で、家にいることは少なかったが、その反面土日に家にいるときは、100%家庭サービスに勤めていた。子供たちもまだ幼稚園に入るかどうかの年齢で手も掛ったがどこに連れて行っても素直に喜んでくれる年ごろであったのもよかった。

犬も飼えたし、直ぐヨコの田んぼではドジョウが幾らでも採れたりしたリした環境だった。そんな自然もある仙台の街は綺麗だし、ここならずっと住んでもいいなと思うような町だったのである。

酒と言ったら『2級酒』が普通だったし、『肉』と言ったら牛ではなくて豚肉のことで、肉屋に牛など売っていなかった。

そんな仙台の名物に牛タンが出来たりしたのは、やはり時代なのだろうが、不思議に思っている。

 

★仕事は、東北6県の代理店の管理、営業なのだが、主力の代理店は既にメーカー資本が入っていたので、その経営管理もやらねばならなかった。

その前の4年間が、年間1億円もの広告予算を使うばっかりが仕事で、会社の経営がどっちを向いているなど少しも解っていなかったので、世界が180度変わってしまったのである。

東北6県の広さにもビックリした。特に北3県は仙台から盛岡が200キロ、さらに青森までがまた200キロである。200キロとは明石ー名古屋の距離だから車の移動も大変であったが、道は空いていたし、適当に峠もあって車の運転は面白かった。

4月に新しく増車したライトバンには回転計をつけ、当時、日本の唯一のミシュランの代理店であった福島オートにラジアルタイヤをつけてもらって、結構ドライブを楽しんでいたのである。そんなに早く走ったわけではないが、スローインファーストアウト、アウトインアウト、やダブルクラッチ、ヒールアンドトウなどのレーシングテクニックには格好の道ばかりだし、舗装のない道ではダート走行のテクニックも駆使出来たし、一番楽しかったのが雪道走行だったリした。

これは、レーシングチームにいて、当時は鈴鹿サーキットがS600で金さえ払えばだれでは走れた時代だったから、そんなテクニックもライダーたちにいっぱい教えて貰っていたのである。そこそこちゃんと走れたので、モトクロスにやってきた山本隆君や星野一義君などにも認めて貰っていたのである。

 

★東北での4年間、私が一番よかったと思っているのは、『大学卒でない、学歴などない人たち』と付き合えたことである。

仙台事務所のメンバーも主力はみんな高卒だったし、代理店のメンバーも、高校どころか、中学卒の人たちもいっぱいいた。大学出の高学歴者は代理店の社長を含めても、3人もいただろうか。

それでいて、東北の実績は、日本のどの地区にも負けないトップレベルを維持していたのである。

営業などの仕事に学歴など全然関係ないと心底信じるようになったし、その後も学歴などには一切関係なく仕事でいろんな人と付き合えたのである。

このスタンスは、その後川重に戻ってからも、今現在もずっと貫いている。

カワサキのなかで、一緒に仕事をやった仲間は、勿論大学出の人もいるがむしろそうでない実力派と好んでつきあった。重用したといってもいい。そんな人の方がホントの実力があったような気がしてならないのである。

 

★幾らか仕事にも慣れたこの年の暮れ近く、当時の七十七銀行の紹介もあってホンダオート山形が、カワサキをやってもいいと言う話が出て、いろいろ交渉の結果12月末にカワサキ山形が誕生したのだが、いろんな意味でこの話は吉田敬さんにご迷惑をかけたと今でも思っている。

当時の私の立場での責任でもないのだが、カワサキを扱うために株の譲渡など行われたのだがその処理についても、当時この話が起こったのは、カワサキでも50ccのモペットを開発していて、50ccが売れる販売網を作ろうとしていたのだが、その後の川崎重工との統合話の時にその50cc話は流れてしまったのである。

そんなことで、その後山形カワサキはボートのFRPなども手掛けられたが、結果的には上手くいかなかったのである。世のなかには流れみたいなものがあって、うまく流れに乗るといいのだが一端逆流になると、人の努力だけでは解決しないものである。

それは仕方のないことだったかも知れぬが、最初のきっかけを造ったのが私だけに、結果は残念で仕方ないのである。

 

★当時日本で一番台数を売っていた岩手カワサキの翌年度の事業計画数値は、

売上台数 2000台、  売上高  2億円 、  経常利益  200万円  なのだが、

営業外の金利の内訳には   車輛金利  800万円   銀行金利  700万円   とある。

その当時の商売の難しさをよく表していると思う。 これは日記の中にあった数字である。右も左も解らなかったが、1年経つと日記にこんな数字が書けるぐらいまでには成長しているのである。

そんな昭和42年、初めての営業を経験した年であった。

 

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昭和42年(1967) 34歳  初めての営業経験-1

2011-02-03 05:52:27 | 自分史

★前年の12月1日付で、広告宣伝課長から、東北6県の代理店を担当する仙台事務所の所長という辞令を貰った。

仙台事務所長と恰好はいいのだが、事務所などどこにもないし仙台には担当者など一人もいないのである。

それまでは東北販売課ということで東京を本拠にベテランの課長さん二人が3県づつを担当していて、課員は一人サービスの技術関係が二人、経理事務が一人いずれも東京が定位置で、そこから出張ベースで東北6県を駆け巡っていたのである。このメンバーを引き受けたのだが、課長さん二人は2月末までに引き継いだら他を担当することになっていて、あと残るメンバーは営業などは全く経験のない素人集団なのである。

この時代はまだ全国各地に地元資本の代理店も残っていたし、一部はメーカー資本にはなってはいたが、その経営自体はそれぞれの代理店の経営形態が色濃く残っていて、資本はメーカーと言っても社長はかっての地元の社長さんがそのまま残っていた形態であった。

34歳の若輩所長にとっては10歳以上も年上の各県の社長さんがほとんどで、それも地方の名士、それが形態的には仙台事務所の管轄下にあると言う、この時期独特の形態であった。

 

★取引形態も、農村地帯独特の盆払いだとか、コメが取れたらとか、委託形式だとか、とても今の人たちには説明も難しいような取引形態だったのである。

『モノを金に換える=これを営業という』 と言ってくれた福島オートの蓬田さんの言葉が一番よく当時の営業を表している。

モノを売ることはそんなに難しくはないのだが、それがなかなか金に換わらないのである。

モノを売れば、売掛金になる。利益だけは上がったことで計算される。その売掛金がなかなか支払われない。何ヶ月も売掛金のままでいる。回収をしたら何ヶ月ものサイトの手形である。それも銀行には持ち込めない自宅払いの手形、まあいえば証文みたいなものもある。その手形が不渡りになる。分割手形が少しずつ落ちてやっと現金になる。

こんな形態では、沢山モノを売った代理店は、資金繰りが大変である。売れば売るほど資金は寝る。資金が寝たら借入金が増える。銀行金利は日分2銭5厘、年利にすると10%近くになる。

沢山売った、メーカーに表彰状を貰った代理店ほど、経営が悪くなる。営業内は黒字だが営業外で赤字になってしまうのである。

メーカーとは技術屋さんの集団みたいなものである。単純に沢山売ったら儲かるはずと思っている人が殆どの集団なのである。(当初は私もそう思っていたのだがーー)

悪意はないのだが、頑張って売れという人たちの集団であるから、メーカーに協力して沢山売った代理店から順番に、経営は破綻してメーカからの資金援助、そして結果的にはメーカー直結の直営代理店への道を歩んだのである。

 

 ★メーカーからこんな営業の第1線に出向した人は、カワサキの場合は極々わずかである。

こんな図式の問題点を理解はできたが、これを跳ね返すほどの権限もなくて、メーカーに協力すればするほど大変な代理店の社長さんに、出来る範囲での協力をする、そんな4年間が始まったのである。

(こんな現実の資金繰りの大変さは、それから15年も経ってメーカー自体が直営の海外販社の経営で経験するのである。

一番大量に台数を売ったアメリカ市場が一番大変なことになるのである。売る量が大きいから金利の額もべらぼうになる。信じられないかもしれぬが金利20%に時代がアメリカにあったのである。銀行借入金が300億円もあったりした。そんなカワサキの二輪事業の危機に企画を担当させられたが、『大丈夫すぐよくなる』と本社に対し自信を持って言いきれたのは、この4年間の東北の経験が、そう言わせたのである。こんなのは人災だから、単純に末端で売れる台数だけ売り、資金繰り中心の経営の仕組みにすれば、簡単に解決するのである。1年で世界の販社は全部黒字になったのである。)

そんな環境下の仙台ではあったが、現実の営業活動は初めての経験の連続で、めっぽう面白かったのである。

一緒にやった仲間たちも、東京をを離れて仙台に移り住んでの経験もみんな初めてだったし、営業そのものが初めての人ばかりの素人集団は、それなりに努力して代理店の社長さんたちにも結構信頼された仙台事務所になったのである。

これも、不思議な話なのだが、当時のカワサキ自販は元明発、元メグロの人たちの集団で、メーカーの川崎航空機の人たちにはどうしても遠慮がある。だから、言いたいことも言えない。

それは、メーカー出向である私には『言えた』のである。仙台事務所は、常に代理店を向いていて、メーカーへの防波堤の役割を果たしたと思っている。

 

★こんなその当時の環境問題は兎も角、当時の実用車のカワサキでは、東北地区は最大の市場だったのである。

岩手カワサキが毎年日本全国のトップで金賞を取り続けたのである。ここの社長をされていた故久保克夫さんが私のマーケッテングや仕組みあるいは経営に関する恩師だと思っている。久保さんからいっぱい教わったことは、いまでも役に立っている。

新たに仙台に事務所を作ってさらに拡販しようと言うのが、メーカーの魂胆なのだが、営業がどんなものか解っている人は皆無とも言っていい状況で、『上手くやれよ』と一人で仙台に放り出されたのである。

事務所は、宮城カワサキの事務所に一つ机を置かせて貰ってスタートした。2カ月間は一人だった。女子を雇いたいと言ったら、新聞広告をして集まった中から面接して選べと言う。広告で面接に来た最初の菊池文子さんをその場で入社決定としたりした。それくらい一人は大変だったのである。

営業はメグロ出身の海老沢くんが一人いたが、それまではサービスをしていた宇田川君を急遽営業にした。東京にいて経理をしていた石塚君を呼びよせて経理と営業も担当させた。

石塚君はショッチュウ仙台に来るなと思っていたら、秋には宮城カワサキの女子社員を奥さんにしてしまった。

部長は、当時『宮川天皇』と言われていた明発の財務部長をされていた宮川さんであった。私はサラリーマン生活の中で、そんなに上の人が『こわい』などと思ったことはないのだが、宮川さんには一番気を遣った。そんな雰囲気を持った方だった。

あとはサービスはベテランの田中さん、そんな陣容だったのだが、この年は宮城カワサキの中に事務所を借りて過ごし、秋には独立の事務所をもつべく土地を物色し候補地を決めた。今の仙台の事務所の土地である。

 

★解らぬことが多くて、教えてもらうことばかりであったが、一つだけ私の顔と実力が効いたことがある。

それはレース関係であった。当時は東北は、モトクロスが日本でも一番盛んな地方であった。各地でモトクロスが開かれたし、この年のMFJの日本グランプリは郡山で開催された。

その場所は自衛隊の演習場で、MFJの山田事務局長に頼まれて、元陸士出身の福島オ―トの中西社長と自衛隊にお願いに行ったりもした。

山本、歳森、岡部、梅津、星野とカワサキのモトクロス全盛期で、ライダー連中も気心の知れた私のいる東北のモトクロスにはみんな喜んで参加してくれた。

参加したら勝つのが当たり前のそんな時代だったのである。

まだ各県の県警の白バイはメグロが主流のころで、宮城県警を皮切りに各県警の白バイ隊のライデイング指導を山本隆君がずっとやってくれたりした。

宮城カワサキのサービス工場長を服部謙治君だった。初代服部カワサキの社長さんで今でもサクランボや宮城のお米を毎年送ってくれるので恐縮している。宮城カワサキは服部君を始めモトクロスをやる連中がいっぱいいて、事レースに関することはファクトリーに顔が効いたので、これだけは私の天下だったのである。

ファクトリーの連中も毎月のように、東北を訪れていた。

 

そんな東北、1年目であったが、具体的な面白いこともいっぱいなので、もう1回、この営業1年目のことを書いてみたい。

 

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元カワサキGPチーム監督・ケン鈴木さんのことなどーーー

2011-02-02 06:16:33 | M/Cレース

★ 最近は『カワサキの想い出、そして未来』というイベントのこともあってしょっちゅう、thirai さんから電話がかかってくる。

つい先日、『長野県の鈴木さんという人から電話があって―――』という。 いろいろ仰るのだが 『それは、ケン鈴木さんではないのか?』と言っても何となく要領を得ないのである。

『長野県軽井沢のペンション、シルバーストーン、ケン鈴木』はなかなか有名である。

私は、名前は知ってはいるが、お会いしたこともない。 当然ながら、キヨさんなどはよく知っているようだった。

 

★それから何日かが経って、昨日thirai さんから、『やはりケン鈴木さんでした。そして彼も今度のイベントに来られることになった』との電話。

そんなことで、昨日はいろいろ昔のことを調べたりして過ごした。

ケン鈴木に関しては、

こんなブログや  こんなブログ

当時のKRのことを取材したこんな記事 や

 Mr.Bikeの記事の中に出てきたので、

それらを見ながら、昔を楽しんでいた。

 

★私はカワサキの二輪事業とはともに歩んできたし、レースにもいろいろと関係したのだが、

KRの時代は一番レースからは離れて、東南アジアの市場開発や国内市場の立て直しに躍起になっていた時代なのである。

だからケン鈴木さんの名前も、聞いたことはあるのだが直接お会いしていないのである。

ここから先は私の勝手な推測だから、一部は間違っているかも知れない。

 

当時UKの社長は、メグロからカワサキ自販に転じ、さらにヨーロッパに販社を出すときに川重に移った故内田君がやっていた。

彼はレースには情熱があって、北陸カワサキを担当していた時も、カワサキが初めて鈴鹿を走った時のライダーは、山本隆君と内田君が育てていた塩本くんを借用しての2台の出場だったのである。

UKでも確かチームを持っていて、そのチームの監督を鈴木さんがしていて、ヨーロッパGPのレース運営はUKに任していたのではと思う。アメリカもKMCが独自にチームを持っていたように思う。

明石はマシン開発、海外のレース運営は販社ということになっていたのではと推測している。

83年に私は国内販売から企画に戻って、レース中断を決意している、そんな時期であった。レースどころかカワサキの二輪事業がおかしくなった時期であった。

当時のUKに行った時、内田君と一緒にシルバーストーンのサーキットで、レース観戦などしたりしているが、そのすぐ後にカワサキはレース中断せざるを得ない状況に追い込まれたのである。

 

★そんな時代のKR250,KR500 だったのだが、これがホンダのレースマシン開発に影響を与えたなどとは、思いもよらなかったのである。

昨年の秋、ホンダのレースを担当されていた渡辺さんから、こんなメールが、NPOの会員の雷神マッハさんに届いたのである。

『最新の雑誌「RACERS」カワサキKR特集を観ての私感です・・・

巻頭部分の特集は1980~82にWGPに参戦したKR500になっています、
私が知りたかったKR250、350については詳しい記事や写真が無いのは
大変残念です、しかし1978~83の期間は私にとっても一番忙しくも充実していた
期間だからです、今でもKR250・350とKバリントンは鮮明に記憶に残っています。
それまでの全日本レースレベルだけを観ていた私には衝撃的でした・・・

この時の体験が後のNS500開発時にコンセプト設計とマシンレイアウトに大きく
影響をしているからです・・・

又、元カワサキチームの鈴木様が現在、軽井沢でペンションを営んでいるとの事ですので
是非友人の方々とお尋ねして、当時のカワサキとホンダのGPレース歓談をしたいですね
今なら全て本音で語り合えると考えております、鈴木健夫様と繋がりをお持ちの方に
ご配慮をお願いしたいと思います。』

 

★少しはしょってはいるが、以上のようなメールである。

実は今回の『カワサキの想い出、そして未来』のイベントには、このホンダの渡辺信義さんは参加されて明石に来られるのである。

昨秋、もうホンダを引退された渡辺さんとは、電話だけではお話をしたりした。ホントにひょんなことだが、3月4日にはケン鈴木さんと渡辺さんはお会いになれるのである。

今これを知っているのは、私と雷神マッハさんだけだが、『いい出会い』が待っているように思っている。

 

★昨日は田崎さん(元川重社長)にも電話をした。

このイベントも『ほぼ恰好がついてきたので、来られませんか?』と。

まず、80%出席である。

そんなに驚くことはない。前述した『カワサキが初めて鈴鹿を走ったマシン』を提供してくれたのは、当時製造部にいた田崎さんなのである。

アメリカでW1に初めて乗った日本人は私』などとイバッテいテ結構バイクには乗ったりする。オートポリスやアメリカのサーキットでも走ったりするマニア?なのである。

田崎さんと同期のZ1のエンジン開発の稲村さんも来るし、ライダー始め珍しい人いっぱいである。

今ならカワサキの歴史なら一番詳しいかもしれぬ二輪車新聞の衛藤誠さんも、NPOの会員さんとして会費を払っての出席なのである。

田崎さんも稲村さんも、勿論NPOの会員さんである。

 

2月いっぱい、いい会合になるようにさらに詰めていきたいと思っている。


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1月は上手くスタート出来た

2011-02-01 05:34:26 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

★1月も終わりである。

2011年ももう1カ月経ってしまったと言うことである。本当に月日の経つのは早いものだとのんびりとも言っておれない。77歳も残すところあと1カ月なのである。

今、平均年齢は何才になっているのだろうか? 不思議なもので自分はまだまだ大丈夫だとは勝手に思っているのである。

だがしかし、今の1カ月、今の1年の年月は、30や40代の人たちよりは貴重であることは間違いない。

 

★そんな2011年の1カ月目、

まずは白内障の手術から始まった。12日に左目、17日に右目の手術をして、世の中が明るくはっきりとした。

視力は両目とも1.2以上に回復した。手術後1週間は洗髪も洗顔もダメと言われていた危険期間も無事過ぎて今はもう元の生活に戻った。あとは日に3回目薬を射すぐらいでOKである。

これは無事成功、通過したと言っていいだろう。

春になってゴルフのボールが見えたら最高である。

 

★もう一つは、NPO The Good Times 関係である。

今年は、『新しい公共』などと大それた旗を上げたが、結構その方向に動き出したような気がする。

仲間のthiraiさんが計画している 『カワサキの想い出、そして未来』というイベントは、1月10日に予定通りネット関係で計画を発表したのだが、50名の定員に対して残り10人ほどまでは確定をしてしまった。

3月4日の実施日まではまだ1カ月もあるが、申し込まれる方は早く申し込まれた方がいい。

カワサキ側のメンバーは35人ほどは確定だから、初めてのNPOの全国的なイベントは間違いなくそこそこの賑やかさで実施できることは確定的なのである。

3月のイベントのために奈良のHolly Equipさんは団体会員になられたし、業界雑誌からもメーカーの取材とは違って会費を頂くのだが既に何社もお見えになるようである。

今回は、Kawasakiからのスタートだが、Kawasakiにとどまらず、『新しい二輪文化の創造』への第一歩になればいいなと思っている。

 

 ★NPO The Good Times はシステムそのものなので、

今回のイベントもそんなシステムを上手に使っての展開なのだが、一番ベースになっているのは、bunCさんが創ってくれたこのサイトなのである。

これをリンクした会員さん各自の情報は、ブログやツイッターなどで、全国少なくとも15万人に向けて発信されている。

既にこのイベントのことを知っている人たちは相当数に上っているだろう。

これからまだ1ヶ月もあるので、さらにいろんな情報発信で盛り上げていきたいと思っている。

 

★そんな状況の中で、1月25日ごろから、突如 Facebook が加わった。

このシステムは、まだよく解ってはいないのだが、1週間も経っていないのに、NPOのメンバーはいっぱい参加した。

こんなサイトも既に創られている

 こんなサイトを誰が見れて誰が反応出来るのかさえ、私はまだ解ってはいないのだが、1週間でここまで来た。

海の向こうのKMCだと思うが、そこで創っているファンページには20万人を超える人たちが繋がっている。

Facebook というシステムを上手く使うのが今年の課題の一つになるだろう。

 

何となく、1月は上手くスタート出来た。

3月に上手く繋がる2月を目指したいものである。

 

 

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