雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

関学、ガンバ大阪に勝つ  天皇杯

2018-06-07 07:09:41 | 発想$感想

 

★日本のサッカーのレベルも底辺が広がり、レベルが上がったものである。

 昨夜、天皇杯で、関学が延長の末、ガンバ大阪に勝利した。

 

  

   

   その試合のビデオである。

  https://www.youtube.com/watch?v=JiWK9EqfSZw

 

 1点を関学が先制。

   

   そのシュート場面。

   

   ガンバが追いついて、延長戦になった。

   

   そして決勝点となったシュート。

   

   決勝点を決めた33番。

   

 

    

 

★すごいなと思う。

息子が関学のサッカー部で主将などしていたので、関学のサッカー部には、特に関心がある。

天皇杯の兵庫県決勝戦は三木のサッカー場であるので観に行ったりするのだが、これも延長でPK戦の勝利だった。

プロのレベルも上がっているのだが、それ以上に日本のサッカーの底辺のレベル向上は素晴らしい。

小学生・中学生・高校生などのサッカーもよく見るが、ホントにレベルは上がっている。

 

関学とガンバ大阪の実力は、勿論ガンバが上なのは当然だが、サッカーはこんなこともある。

 

   

 

 ワールドカップも、日本代表の健闘を期待したい。

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米朝会談 はこんなホテルで

2018-06-07 06:06:23 | 発想$感想

★6日後に迫った米朝会談、シンガポールのセントーサ島のカペラホテルに決まったというニュースが流れた。

 

   

 

 最近はネットで調べると何でも出てくるので、閑に任せて調べてみた。

 シンガポール自体が島国だが、セントーサ島は、さらにその先にある小さな島でこんな立地である。

 

   

 

  島の半分は二つのゴルフ場もあり、ホテルは島の中央に位置する。

  この島に行く橋は1本だけだから、警備には格好の立地である。

   

 

  さらに拡大してみるとこんな立地でこんなホテルなのである。

  これなら、警備がし易くていい。

    

 

   『セントーサ島のカペラホテル』と画像検索すると、いろんな写真が現われる。

 

  

 

  

 

  

 

  こんな写真まで現れたりする。

    

 

   当然だが『五つ星ホテル』で宿泊料金最低が5万円ほどのようである。

  

★ 米朝会談、1週間後に控えて、いろんな意見が飛び交ってるが、私はトランプさんペースで進むだろうと思っている。

 会談前に最後に会う人を『安倍晋三』としたのもトランプさんらしい。従来の政治家にはない『実業家の感性』を持っていて、私はトランプさんに出会ってから、ずっとそれを信じている。

今までのところ『裏切られて』はいないので、今回も大丈夫だろうと思っている。私はバカみたいに『性善説』だから、金正恩さんもトランプさんに出会って『変わった』と信じている。人はちゃんと接すれば『変わる』ものである。

核の非核化も早期に実現』するだろう。

トランプさんが幾らゆっくり、段階的に、何度でも会談しようと言っても、従来通りの経済制裁は続けるのだろうから、『早期解決』を望むのは、1回のホテル代も払えない金正恩さんの方ではなかろうか?

 何はともあれ、『世界の平和のために上手くいけばいいな』と思っている。

 

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衛藤さんの記事の中の私

2018-06-06 10:02:53 | カワサキ単車の昔話

★先日ご紹介した衛藤誠さんの『二輪車新聞社便り』に『カワサキ販売網づくりの今昔』という記事があるというので読んでみた。

 懐かしい『カワサキ特約店制度』の取り組みは、私は未だ38歳の頃で、それを二輪車新聞のトップ記事に大々的に発表して貰ったことが、即成功に繋がった大きな要因だと今でもそう思っている。

 そのまま転記させてもらっている。

 

 

HOME > 二輪車新聞社便り > 編集部便り > カワサキ販売網づくりの今昔(1) 構想発表で大目玉

二輪車新聞社便り

 

2017-10-02

カワサキ販売網づくりの今昔(1) 構想発表で大目玉

カワサキモータースジャパン(KMJ/寺西猛社長)は現在、新しい全国販売網政策に基づく「カワサキ・プラザネットワーク」づくりに取り組んでいる。思えばカワサキは今から46年前の1971年(昭和46年)、現行の「カワサキ特約店」制度の基盤ともいえる全国販売店の組織化が胎動の気配を見せていた

 これは、これまでの“実用車のカワサキ”から脱皮し、“中・大型スポーツ車”を中心とする販売展開を目指すため、新しい販売方式を模索しての動きであり、特に東京・大阪・名古屋など大都市市場で見られてきた。既にこの前年、70年(昭和45年)には東京で、中・大型機種の販売を指向する販売店約50店による「東京カワサキ会」(正式な名称は違うかも?)が結成された。

これに触発された大阪でも、カワサキオートバイ販売(カワ販=現KMJの前身/田中誠社長)大阪母店(近畿地区を統括)大阪営業所が1月、府下の主力20店を和歌山の勝浦温泉に招待して新年会。この席上、古谷錬太郎所長(大阪母店長も兼任)が“中・大型機種を指向する販売店の組織化”を相談したところ、出席者の大半が賛成し「早急に準備を進めてほしい」ということになったという。

この直後、古谷氏から私に声がかかり、古谷氏が考える新しい全国の“カワサキ販売店組織化構想”を示し「この早急な実施を図りたい」との話。そこで私も「この構想を二輪車新聞に掲載していいのか」と問いかけると、「是非大きく書いて」ということになり、本社でも“面白い”ということで、2月5日付で、1面トップで大きく扱ってくれた。

ところがカワ販でこの記事が大問題となり、私と古谷氏が明石のカワ販本社に呼びつけられ、当時の苧野豊秋専務から“大目玉”。

苧野専務曰く「現在、全国にカワサキ車を販売してくれている販売店は1000店以上ある。この販売店は、何の前触れもなくこの記事がいきなり舞い込んできたら何とする。販売店の今後の経営方針にも大きく影響するばかりか、カワサキの今後の営業活動にも大きく支障が出る」というような主旨のお叱りの言葉を約3時間。私は苧野専務のお叱りは“ごもっとも”と思い、大いに反省させられた。

ところが一方の古谷氏も、その場では“ハイ、ハイ”と平身低頭していたが、後々、古谷氏の言葉から、これは“確信犯”だと感じさせられた。

「難問題にチャレンジするには、まず、事を公に発表してから進める。当然リスクはあるだろうが、そのくらいのことは最初から覚悟している。私は物事を半年刻みに考えており、半年で出来ないものは、10年経っても出来る保証はない。これは私の信念であり、今度のことでは、衛藤さんには迷惑をかけたが、“事を急ぐため”の常套手段であり、物事の実現には大きな“追い風”になります。もちろん、これには多くの人たちを納得させる正当性がある限りです」とのこと。全く恐れいりました。

二輪車新聞 大阪支社顧問 衛藤誠

 

★衛藤さんはこのように書かれているが、この販売網政策については、実はもう1年以上も前にカワ販の本社企画が立案をして役員会でも決裁・承認されていたのだが、第1線の現場が一向に動かないのである。現場の長にしてみると結構なリスクがあるし、本社案は総論は書いているが、実戦をどう進めるかなどは全く触れていないのである。

 私はこの時営業の現場責任者を初めて担当したのだが、会社が決めた方針が実際に動かないのは問題だと思って、私なりの方法でその実行を試みただけのことである。

 従って『この政策を実施すること自体』を苧野専務が怒られることは全くなくて、専務が怒られたのは『二輪車新聞に大々的に、本社の許可も得ずに大阪営業所が勝手に発表した』ということに対しての注意なのだが、こんなことを本社に相談などしていたら、それだけで何ヶ月も掛かってしまうのは間違いないのである。

 それに、私を大阪営業所に指名されたのは田中誠社長で、当時の大阪市場は全国でも最弱市場だったので『それを何とかするように』との指示を仙台から異動する前から聞いていたので『私流にやって大丈夫』と思っていたのである。

 

 

 2017-10-09

カワサキ販売網づくりの今昔(2) 現在も過去も狙いは同じ

古谷氏の狙い通り、事はトントン拍子に進み、「半年あれば物事はある程度の現実をみる」とおっしゃる通り、この年の5月には大阪府下の主要な販売店25店が参加して「大阪カワサキ共栄会」の結成総会にこぎつけ、カワサキオートバイ販売から田中誠社長の出席もみた。

名称の「大阪カワサキ共栄会」は、その文字通り“カワサキとその販売店が共に栄える”という願いを込めたもの。また、その会長には船場モータース(現・船場)の岡田博社長が就任した。さらに5カ月後の10月には、同共栄会の2回目の会合が開かれ、東京カワサキ会から北多摩モータース、城東カワサキの両社の社長さんも来賓で出席し、東京の組織活動などの情報を話し、相互に意見交換を行った。

このあと、カワ販大阪営業所は、カワサキ共栄会メンバーを軸とした販売強化策を展開して、府下の販売店のうち約500店もの販売店との取引中止を実施した。同時に「カワサキ特約店制度の基本構想」の検討にも着手した。これにはカワ販本社の田中社長も大阪の展開に強い関心を示し、その取り組みを側面から支援したこともテンポを早める要因になったようである。

おりしもカワサキは、この年(71年)、“二輪車事業10周年” を記念して、全国的な「二輪車事業10周年記念セール」を展開し、このセール成約の優良店100店を“KMC&米国市場視察旅行”に招待することにした。

このセールの主催は全国カワサキ会(小野寺和夫会長)。この会は、全国のカワサキ代理店(ディストリビューター)組織で、カワ販の各地区母店もこのメンバーに含まれており、大阪母店長の古谷氏は同会の副会長に就任していた。

「米国視察旅行」は、72年(昭和47年)1月8日から15日までの7泊8日で、KMC(カリフォルニア)とサンフランシスコなど西海岸の旅で、参加した100店のうち、約50店は東京地区、残る50店が大阪をはじめとする関西と、名古屋地区の販売店であった。この帰国直後には、京都カワサキ共栄会も結成をみた。

このあと、4月にはカワサキ本社に東京・大阪・名古屋地区を統括する直営部が社長直轄として設けられ、直営部長に大阪母店長から古谷錬太郎氏が赴いた。前年から検討されていた「カワサキ特約店制度」の構想も急ピッチで進み、8月中にはその概要がまとまり、二輪車新聞の8月31日付けに掲載。9月8日、大阪の厚生年金会館で、この正式な発表説明会を開いた。まずは直営部管内の東京・大阪・名古屋地区で先行することにして、正式なスタートは72年10月1日からだった。

契約第1号は、説明会を行った翌日の9月9日、大阪の船場モータースで、しかも船場モータースの岡田博社長は自店の契約だけでなく、東・名・阪各地で契約促進をバックアップした。さらに翌年の73年9月からは、この「カワサキ特約店制度」を全国的に導入することになり、首都圏全域や広島、福岡などで積極的な活動が展開された。

これには、東京・大阪・名古屋地区で特約店契約を結んでいた販売店も積極的な協力を行ったという。また、当時のカワサキは“ZⅡ”をはじめとする中・大型車の販売が好調で、これも特約店契約促進の追い風になったようである。

カワサキが現在取り組んでいる新しい販売網政策の「カワサキ・ネットワーク」と、46年前に取り組んだ「カワサキ特約店制度」は、新しい販売網を構築しようという狙いは共通している。しかし、唯一異なる点を挙げると、現在進めている制度は、寺西猛社長、清水泰博取締役を中心に、本社で綿密な計画を練り、これを全国展開している点と、46年前の制度は、販売店の声などを汲み入れる形で地域の営業所長などが考え、これを可能な地域から全国的に拡大しようとした点だと思われる。

この差異は、混沌とした46年前の二輪車市場と、すでに成熟しきっている現在の二輪車市場という、全く異なる時代的な背景がもたらすものだと思う。

なお、カワサキ・プラザネットワークは、15年11月に計画が発表され、16年4月に内容の説明会、16年12月8日、大阪にモデル店第1号がグランドオープン。17年4月から正式スタートし、17年中には全国で25店前後のカワサキ・プラザネットワークをみる予定。そうして当面の目標である20年4月までには全国で120店のカワサキ・プラザネットワークを実現させたいとしている。

二輪車新聞 大阪支社顧問 衛藤誠


昭和47年8月31日付の二輪車新聞より。


昭和46年2月4日付の二輪車新聞1面。

 

★衛藤さんの記事はホントに正確で懐かしい。 

ただ、現在進められている『カワサキの販売網政策』とは、基本コンセプトの段階で差異があるようにも思うのである。

基本コンセプトに共感する仲間たちと一緒に創ったので、全国展開には3年程掛かったが県単位では1回の『特約店説明会』毎に完成していったのである。その説明を大阪の船場モータースの岡田博社長が、現地まで出向いて手伝ってくれたのである。

私の30代後半からの数年の大仕事であった。

この特約店制度の完成を見て、私は約10年の『カワ販出向』を終わり発動機事業本部企画室企画課に課長として復帰するのである。

 

もう50年も前の話だが、この特約店制度を一緒に進めた仲間たちは、いまもFacebooKのトモダチで繋がっているのである。 

平井稔男・柏原久・関初太郎・吉田純一・吉川健一・山本隆・加藤さん(八尾カワサキ)などなど、そのスタートの時期に、みんなカワサキにいた人たちなのである。

 

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水俣病を語り継ぐTシャツ

2018-06-06 06:12:01 | 発想$感想

 ★朝、ちょっと早い時間ですが『おはよう日本』で『熊本・水俣病語り継ぐTシャツ』という番組を見ました。

 

   

 

 『水俣病』ずっと昔のことだったぐらいにしか覚えていないのですが、改めていろいろと解りました。

水俣病(みなまたびょう)は、1956年(昭和31年)5月1日に熊本県水俣市にて公式発見され、1957年(昭和32年)に発生地の名称から命名された。1942年頃から、水俣病らしき症例が見られたとされる。1952年頃には水俣湾周辺の漁村地区を中心に、猫・カラスなどの不審死が多数発生し、同時に特異な神経症状を呈して死亡する住民がみられるようになった(このころは「猫踊り病」と呼ばれていた)という。

  • 1946年:日本窒素がアセトアルデヒド、酢酸工場の排水を無処理で水俣湾へ排出。
  • 1949年頃:水俣湾でタイ、エビ、イワシ、タコなどが獲れなくなる。
  • 1952年:熊本県水俣で最も早期の認定胎児性患者が出生。ただし認定は20年後。
  • 1953年:熊本県水俣湾で魚が浮上し、ネコの狂死が相次ぐ。以後、急増。
  • 1954年:8月1日付熊本日日新聞で、ネコの狂死を初報道。

 

  ★ そんな水俣病を忘れないようにと、いろいろな活動が行われているようで、 その中の活動の一つとしてこんなTシャツが創られ、販売されているようです。     

     

      

 

 

     

 

 https://gaiaminamata.shop-pro.jp/?pid=121170163  の中でこのように説明されている。

水俣病事件の史実のひとつ、猫400号実験をモチーフにしたTシャツです。
水俣で暮らす夫婦創作ユニット「HUNKA」のおふたりに、制作を依頼しました。

 

   


「水俣をちゃんと伝える。そしてそこには愛やユーモアを添えたい」と願う気持ちを、このTシャツいっぱいに表現しています。

I died here.(わたしはここでしんだ)
I was here.(わたしはここにいた)
I am here.(わたしはここにいる)

 

猫400号ってなあに?

猫400号は、チッソ水俣工場付属病院の院長だった故・細川一先生が、
水俣病発生の原因が工場排水にあるのかどうかを確かめるべく行った通称「猫実験」の、400番目の猫です。白黒ぶちの、メス猫でした。

しかしながら、この猫400号の存在をチッソが公表することは、ありませんでした。
細川先生は、科学者であり医師でありながら、会社に属するひとりの人間でもありました

 

なぜ今「猫400号Tシャツ」?

1956年の水俣病公式確認から60年以上を経た現在も、水俣病は終わっていません。
たくさんの命が犠牲になって、現在の水俣があります。
その命に、少しでも想いを馳せたい。感謝の気持ちを伝えたい。
「あなたを忘れない」と言い続けたい。

そんな私の意思表明のひとつのかたちが、この猫400号Tシャツです。
お手にとって(着て歩いて)いただけると、嬉しいです。

― ガイアみなまた 高倉鼓子 ―

 

    

★戦後の日本を象徴する事件だったように思います。

私が社会に出た今から60年前のことですが、私も初めてその詳細を知りましたので、ブログに残しておきたいと思ってアップしました。

 

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年金生活  雑感

2018-06-05 05:28:37 | 発想$感想

★私は今『年金生活』である。 収入と言えばちょっとだけある川崎重工の配当金以外は、年金だけでの生活である。

この『年金生活』はホントにいい。贅沢さえしなければ十分生きて行けるし、何もしなくても、何をしていても、必ずちゃんと支給がある。

これは『人間の生き方としては最高』だと思っているのだが、こんな記事に出会った。

 

   http://president.jp/articles/-/25227

 

  

 

 このような書き出しで始まっている。

 

公的年金なんてどうせ払い損だ――。そう感じている現役世代は多いと思いますが、この考え方は3つの点で間違っています。

写真=iStock.com/paylessimages

1つ目は、公的年金のありがたさは実際にリタイアしてみないと実感できないことです。国の社会保障制度は、元気なときにはほとんど恩恵がありません。病気やケガをしたり、働けなくなったりしたときに機能するものです。年金もそのひとつです。元気に働いている間は、保険料を支払っているだけで何も受け取れず不満感が出ます。

 

 私は、何故か不思議なほど『お金』に関心がなくて、現役の頃もどれくらいの年金額が毎月引かれていたのか全く分からないのだが、当時は給料総額の相当分が税金や年金控除で引かれていて『手取り金額』は相当に減ってしまっていたと思う。でも、考えてみると税金は戻ってこないが『年金は戻って来る』し、多分今では払った額よりは多くいただいているのかも知れないのである。

 

2つ目は公的年金を損得のロジックで考えること自体が間違っていることです。「あなたが支払った保険料の額をここまでの支給額が超えましたので、年金支給をストップします」。90歳まで長生きしたときに、こんな通知が届いたらどうでしょうか。そういうことはありません。生きている間はずっと受け取れるのが年金のメリットです。

ホントにその通りで、生きている限り毎月定額が入る安心感は何物にも代えがたいのである。

 

一方で「国の年金制度はいずれ破たんするから支払いたくない」と考えている人もいるかもしれません。これが3つ目の間違いです。一時期ずいぶん年金破たん論が世間をにぎわせました。しかし、公的年金制度は保険料収入と給付のバランスを調整する仕組みを採用しており、破たんする可能性はほとんどありません。また、アベノミクスの結果として、年金積立金は200兆円程度まで確保することができました。これほど公的年金の財源を持っている国は、世界中を見回しても日本と米国くらいしかありません。日本の年金制度が破たんすることはもはやありえないのです。

 この辺りのことは、ムツカシ過ぎてホントかどうかは解らないのだが、『年金制度が破たんする』とは 考え難いのである。

 

★まあ、私の時代までは間違いなく大丈夫で『年金生活』を楽しんでいるのだが、果たして子供達や孫たちはどうかな?

 息子は、日本の大企業に勤めてるから、私と同じで会社でちゃんと年金が引かれているからいいのだが、娘家族はアメリカの生活で、『年金関係』がどうなっているのかがよく解らない。

 孫たちを見ていると、どうも大企業に勤めるような節は無くて、自分で『何かをやりたい』のが揃っているのだが、そんな場合は年金は自分で選択して掛けなくてはならないのだろう。

 私の場合は、若し自由業などやってたら、『年金をちゃんと払っていたかどうか』は疑わしいのである。

 この記事のように1億円も貰えるとは思わないが、今でも既に相当な金額になってるし、これだけの金額の貯金をするのは大変なことは間違いない。

 世の中の制度は、何となく『よくできている』のが普通だから、あまり疑わずに従っておくほうがいいのだろう。

 

 

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オールスター 松坂トップ!!

2018-06-04 16:49:23 | 発想$感想

★こんなニュースが流れた。

 ホントかな?

 でも、トップはオモシロい。 巨人の菅野では、当たり前で夢がない。

 

    

 

    #松坂大輔をオールスターファン投票1位にしよう hashtag on Twitter

   https://twitter.com/hashtag/%E6%9D%BE%E5%9D%82%E5%A4%A7%E8%BC%94%E3%82%92%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%B3%E6%8A%95%E7%A5%A81%E4%BD%8D%E3%81%AB%E3%81%97%E3%82%88%E3%81%86

 

 面白そうだから応援することにする。

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私たちが入社した頃 と カワサキ

2018-06-04 06:38:38 | カワサキ単車の昔話

★私は当時の川崎航空機に昭和32年に入社した。1957年のことだから、今から60年も前である。

 どんな時代だったと言ってもなかなかお解りにならないのかも知れないが、川崎航空機工業は戦前からの会社だが、明石工場はエンジン・岐阜工場は機体工場だったのである。そんな軍事工場なるがゆえに戦時中は爆撃にもあったし、終戦後は昭和27年まで、会社は再開されなかったのである。

そんな中断もあっての再開だったので、従業員はみんな若かったし、なかなか新しい柔軟な発想をする企業だったと思う。

 上の方が少なかったこともあって、入社早々の若い新人の頃から、結構任された仕事が出来たのである。私が取り組んだのは、IBMによる財産の償却計算システムを、岐阜も本社も巻き込んで創り上げたりしたのだが、そんな機械化のお蔭で、償却計算する人手が要らなくなって、新しく出来た単車営業に異動になったのである。IBMが日本に入ってくる10年も前のことである。

 

 田崎さんは、勿論川重の社長もされた『エライ人』だが、私とは若い頃はカワサキのレースチームの仲間だし、1980年代のカワサキの二輪事業の危機の時期は、ちょうどアメリカのKMCの社長をしていて、私が明石で企画室長などしていた『経営再建コンビ』だったので、今でも特別な関係が続いているのである。

田崎さんもある意味 昭和の昔気質』で、いろんな意味で『1年先輩の私』を立ててくれるのは有難い。

 

★昨日は、こんなメールと共に何枚かの写真を送ってくれたのである。

 

懐かしい話

古谷さん  昭和33年4月に、川崎航空機に入社、 神戸製作所 ジェットエンジンオーバーホール工場に配置されました。 資格は見習い、初任給は12、000円/月 でした。当時は、小型飛行機もよく飛来し、ベルヘリコプターの製造もやっていました。 品質管理、特に非破壊検査が主務で、いろいろな製品に係りました。

労働組合の常任幹事もやりました。あなたが最初に私に会い、何にでも口をはさむ奴だ、と認識した場面です。「組合は民需優先の旗を揚げるべきだ」と主張したのを覚えています。   懐かしい写真を見つけましたので添付します。昭和33年組は、60人という多数の入社で、技術屋は面接のみで無試験という売り手市場、かなり高姿勢でした。

3研ビル正面で 新入社員の記念写真、砂野さん、塚本さんも若いですね!

 

 

 当時の初任給は、私も月給が12000円だったから、このころ入社した人は、退職するころは給料は、初任給の100倍以上になったそんな時代なのである。

月給が10万円に届いたのは、入社15年目ごろだったがその5年後には30万円になったりした。

 

   

 

 今でも思い出すが、当時はこんな安い初任給だったが、皮靴は5000円もしたし、腕時計は1万円もして大変だった。60年経って一番安くなったのは、『靴と時計』かなと思たりしている。

 当時川崎航空機は、アメリカ空軍の東洋で唯一の『ジェットエンジンのオーバーホール工場』を持っていて、アメリカ空軍がいたし、ジェットエンジンの生産管理は、当時からIBM管理されていて、日本では最先端の『管理ノウハウ』があったのである。

 

  

 田崎さん、流石に若いな。

 

 明石工場の中には、滑走路もあったし、ヘリコプターのベルを生産していたりして、文字通り川崎航空機工業に相応しい、事業はやっていたのだが、損益的には非常に苦しくて、営業収入が不足する時は、戦前からあった膨大な機械の売り食いなどで、辻褄を合わせていたのである。

 

  

 

 二輪車のエンジンは単体で作っていて、『メイハツ工業』にエンジンを供給していたのだが、昭和35年(1960年)ごろから単車の一貫生産工場を造ろうということになって、事務屋は本社や神戸製作所から、技術屋はその殆どがジェットエンジン部門から異動してきたのである。

 私が営業部門に異動になったのは昭和36年の末なのだが、未だその当時は田崎さんはジェット部門で、私は営業部門の常任幹事、田崎さんはジェット部門の常任幹事で、会議に出てきたらどんな議題にも『雄弁に口を出すので』てっきり事務屋だと思っていたら技術屋だと聞いてびっくりしたのが、田崎さんとの最初の出会いなのである

 

 

 

 

これが昭和33年に入社した60名だが、この写真の中に、後川重の社長をされた、砂野仁・四本潔・田崎雅元さんの3人がおられるのも懐かしいし、後単車の事業本部長をおやりになった岩城良三さんや塚本碩春さんもおられる貴重な写真である。

 この中には、後Z1のエンジン開発に携わった稲村暁一さんもおられるはずである。

 

 

★そんな若かった田崎さんも、川重の社長になられてからは『カワサキワールド』を作ったり、今回話題を提供した『ヴィッセル神戸』のスポンサーになるなど、重工業だがなかなか『ソフト面』での対策もできていて、『カワサキのブランドイメージの向上』に尽くされているのは流石である。

 

    

  

  この写真などは『Kawasaki』が世界中を駆け巡ったし、

 

   

 

   三木谷さんとの談笑の写真なども送って頂いた。

     

        

   ヴィッセル神戸 とのスポンサー契約、2003年というから、もう15年も経っているのである。

 

       

 

   

 

   これはいつ頃かな? 未だ田崎さんも若い。

 

    

 

    歴代川重社長の中で、ジェットスキーに乗ったり、サーキットをバイクで走れるのは、田崎さんの秘かな自慢なのである。

    現役社長の頃に『川崎柔工業』を目指したのは、単車出身の田崎雅元さんの面目躍如なのである。

 

 

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アメリカに日本の風呂の文化を

2018-06-03 11:10:22 | ネット、Twitter & Facebook、Instagram

★ 私のツイッター https://twitter.com/rfuruya1  は現在61万人のフォロワーがいて、結構な情報発信力はある。

 私自身は、毎日このブログをアップして紹介しているだけなのだが、ツイッターをご覧になるとお解りのように、大谷翔平選手のこんな写真を『私の名前』で紹介しているのだが、なぜ『そんなことが出来るのか?』

 

 確かに私の名前でこんな日本文でも、

 

   

 

   英語でもアップしているのだが、

   

 

   実はこれは私がアップしているのではなくて、アメリカにいる娘婿が、どちらかというと自分のためにアップしているのである。

 

     

  

 このツイッターは、 Ui Int となっているが、これが娘婿が持っているグループ名で、『Ui』とは お湯を愛する・You&I・友愛 などの意味を含めてのネーミングで、アメリカで『日本の風呂の文化』を広めようという活動をしているのである。

 そんなこともあって、『私のツイッター』を上手に利用しているのだが、どのようにすればそんなことが出来るのかは、私はよく解っていないのである。

 

   

 

これは日本の『ノーリツ』の瞬間湯沸かし器だが、アメリカの風呂は各家庭に大きな湯を貯めるタンクを持っていて、そこから風呂に湯を注ぐシステムなので、日本の風呂スタイルを『Tankless Water Heater』と称しているのである。

 『ノーリツ』や日本の風呂メーカーはこのような『Tankless Water Heater』は、販売しているのだが、『日本式の風呂桶』そのモノをセットに販売しているのは、娘婿が手伝っている、『AT House』という小さな企業が唯一あるだけなのである。

 

 

 

  

 

   

 

 

★Ui Int も、 AT House も NPO The Good Times の会員さんだから、その公式ツイッターでもある『私のツイッター』で、殆ど毎日発信しているのである。

 

   

 

   

 

 

私のフォロワーは間違いなく日本人が圧倒的に多いのだが、アメリカの人たちも結構沢山いて、実際に具体的な効果が出ているとか言っていた。

 ネットもこのように使える世の中である。『AT House がアメリカで日本の風呂一式を打ってるらしいよ』といろんな人が知ることが、『ブランドイメージ創造』に繋がるのである。

 ネットの世界だから、毎日このように発信していても『1円の費用』も発生しないところがいい。

 いろんな想いのある人たちが繋がって、こんなヨコ展開をすることが

 『異種・異質・異地域をみんな繋いでいい時を過ごそう』という基本コンセプトに基づいた活動なのである。

 

  

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ナイジェリア 出張

2018-06-03 05:38:06 | カワサキ単車の昔話

★先日、どこかのテレビで『ナイジェリア』を特集していた。

 

  

 

ナイジェリアはアフリカのこんなところに位置し、その人口と経済規模から「アフリカの巨人」と称されることが多い。

人口はおよそ1億8400万人でアフリカでは最大である。

 海外に行かれる方も昨今は多いのだが、ナイジェリアなどに行かれた方は少ないのでは?

 

★私は1976年から78年当時、カワサキの開発途上国関係を担当していて、当時のイランにもナイジェリアにも行ったことがある。

 イランは未だ王政時代で二輪各社も進出していたし、カワサキも工場を持っていて、そこに一人で出向していたのが佐伯達彦元川重副社長で、テヘランには日商と一緒に事務所があって岩崎茂樹くんが行っていたのである。

イランの数字が1,2、3、4ではなくて独特のペルシャ数字だったのも、回教文化にもビックリしたが、ナイジェリアもびっくりした。

  

これらの国に比べるとタイやインドネシアは日本人が行ってもそんなに驚かされるようなことのない国なのである。

 

★当時アフリカのナイジェリアに手を出しかけたのはカワサキだけだったかも知れない。

なぜそんなことになったのかは、よく覚えていないのだが、駐在員を一人置いて、イギリスのリバプールに本社のある英国企業との合弁で進めるべく、私はリバプールにも行ったし、そのあとナイジェリアのラゴスも訪れたのである。イランのようなCKDではなく二輪の輸出が出来たような気もする。

その辺の記憶の不確かさは、なぜだろう? 曲がりなりにも当時の私は開発途上国の担当責任者であったのだが・・・

多分カワサキの方でも、カワサキがナイジェリアに進出を図ったことなど、ご存知の方は少ないだろうし、ナイジェリアに足を踏み入れたのは確か私を含めて4人だけだと思うのである。

 

★私も、結構無頓着にいろんなことを経験するのだが、この出張が現役時代でも一番大変だったのを思い出すのである。

● 出張した当時は課長ではあったが、単独行動だった。

● リバプールの英国企業本社も一人で訪れたが、『リバプールなまりの英語』が解らずに、半分筆談になった。

● ロンドンに戻って、ラゴス行きの飛行機を探したが、そんなフライトがないのである。ロンドン市内にはヒースロー空港のほかにガトウイック空港があることなど全く知らなくて、タクシーを飛ばしてやっと間に合ったのである。ロンドンに5つも空港があることなどご存じだろうか? 多分殆どの方がご存じなのはヒースロー空港だけだと思う。

ラゴスの空港からは、名前を失念してしまったが駐在員の方との一緒の行動だったから何の問題もなかったが、ナイジェリアならではの経験をいっぱいしたのである。

 

   

今でもマラニア蚊がいて、ナイジェリアに行くには日本でマラニアの予防注射が必要である。

先日のテレビの方も言っていたが今は予防注射のほかに毎日薬も飲むそうである。

どんな国か?と思われるだろうが、首都ラゴスは結構な大都会で、私もテニスコートのついているような立派なホテルに泊めて頂いたので蚊などはいなかったが、何となく気持ちが悪かった。

 

   

 これは今のラゴスだが、当時も結構立派な大都会である。

 ホテルで駐在員の方とテニスを楽しんだが、ボールボーイ付きのテニスをしたのは最初で最後だった。

 食事も立派だったし、ラゴスでは何の問題もなかったのである。

 

  

 

ただ、当時から大渋滞で、車は日によって走れる車は偶数か奇数かのどちらかのナンバーなので、毎日乗るには2台の車が当時も必要だった。

地方にも出かけたが一歩ラゴスを出るとまさにナイジェリアで、様相は一変するのである。

 

   

 

    

 

 兎に角、人が多いし子供が多いのである

英語は通じるので『何歳か?』『結婚してるか?』『こどもは何人か?』と聞くので『二人』と答えると『なぜ二人だ???』と不思議そうに仰るのである。

今はどうか解らぬが、当時は『避妊の方法』など全く解っていないようで『こどもが二人』などは想像外のことのようだった。ホントに子どもいっぱいなのである。

  

 

 ★ 世界は広くていろんな人がいる。

 日本人は常に自分の方からの目線で、日本と違う風習などに出会うと直ぐに『おかしい』とか『変だ』と言ったりするのだが、日本人は世界で1億人だし、ナイジェリアだけでも日本人の倍ほどいるのだし、回教徒に至っては25億人もいるのだから、先方から見ると、日本人の発想の方がおかしいと思うのかも知れないのである。

 昔々の懐かしいナイジェリアをテレビ放送で思い出したのである。

 

 

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カワサキバイクマガジン と 株忍者  雑感

2018-06-02 07:00:04 | 発想$感想

★6月になって カワサキバイクマガジン が送られてきた。

 毎号送って頂けるので、今のカワサキの状況など この雑誌からいろんな情報を頂いている。

 

         

 

  今月号はこんな内容である。

 

        

 

 

  そんなカワサキバイクマガジンだが、今月号には、大阪堺の株・忍者のこんな記事が載っていた。

 

          

          

 

忍者の伊藤彰さんにつては、ごく最近このブログにもアップしたが、

カワサキバイクマガジンに大きく取り上げられるほど立派になったものである。

 株・忍者とは、今はこんなお店だが   http://www2.bbweb-arena.com/k-ninja/

 

    

      

 

★私が初めて伊藤彰さんにお会いしたのは昭和46年(1971)のことで、今のお店と場所は全く同じなのだが、こんな『伊藤モータース』だったのである。

 このあと昭和48年にカワサキの『特約店制』がこの大阪南地区からスタートして、その頃からの仲間・同志なのである。

 

   

 

  今はこんな『オリジナル・マシン』を本格的に創っているが、『カワサキ一筋』50年のお付き合いなのである。

 

  

 

 

★二輪業界も50年も経つといろいろと変わるもので、カワサキバイクマガジンのスタートも、私が現役を卒業してからである。

 今月号のカワサキバイクマガジンも『ニューモデル・イベント・カスタム各シーン』や『Z2に乗る40歳現役ボクサー』などなど、その内容の主体になっているのは、新車よりはZやかってのNinjya の旧車だし、登場する人たちも旧いバイクも含めた、二輪愛好者が中心になっている。

 各メーカーはそんな時代の変化に関係なく、相変わらず『新車を売る』ことに熱心なのだが、もう少し末端の変化に目を向けて、『新車だけを売るメーカー』から脱皮し『二輪業界トータルを育てる事業形態』へ事業自体の構造転換を図ることが必要かなと思う昨今なのである。

時あたかも日大アメフト部の問題で、日本の運動部の持つ旧い構造・体質が問題になっていて、二輪業界も50年前とほとんど変わらぬ『正規販売店システム』は???と思わぬところが問題である。

今どきの販売の主流は、まさに『ネット時代』で『店舗』が時代遅れになっている時期に、未だに店舗に拘った政策はそこに使われる『資金』は無駄な費用のような気がしてならないのである。

なぜ通販がメインの今の時代に『二輪の新車だけがネットを使わないのだろう???』

今『カワサキバイクマガジン』でも大きな比率になっている旧型車の取引が、どのような形で行われているのか? そこには正規販売店は勿論、販売店も通さずに いろんな形での流通形態になっていることを、ひょっとしたらご存じないのかなと思ってしまったりするのである。

マーケッテングとは、まさに末端の消費者に視点を合わさないと、日大アメフト部のような『上意下達』では通用しないのである。時代遅れのシステムが、二輪業界の新車販売も、ひいては二輪業界も小さくしてしまっている最大の要因ではなかろうか?特に国内市場の販売網政策では、常に業界をリードしてきたカワサキは、是非、二輪業界の健全な発展を『時代に即した新しいシステム』で考えて欲しいなと思っている。

 カワサキバイクマガジンの今月号を見ての率直な雑感 である。

 

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ワールドカップ日本代表 雑感

2018-06-01 06:55:09 | スポーツ

★いよいよ6月になった。

いよいよワールドカップ開催である。

昨日は4時からその代表メンバーを西野監督から発表され、NHKが実況中継した。

 

  

 

 本大会に出場する23名はこんなメンバーに決定した。

 

    

   

ハリルホジッチ監督が選ぼうとしたメンバーからは、少しは変わったかなという感じだが、サッカー専門家たちはどんな評価を下すのだろうか?

 西野朗監督から選手1人1人の名前が読み上げられ、MF本田圭佑(パチューカ)、香川真司(ドルトムント)、DF長友佑都(ガラタサライ)らが順当に選出されたが、ガーナ戦のメンバー26人からはMF井手口陽介(クルトゥラル・レオネサ)、MF三竿健斗(鹿島)、FW浅野拓磨(ハノーバー)の3人が漏れたのだが、個人的には浅野は入れて欲しかったなと思っている。

 

本番直前の監督交代だったので、いろんな意見があるのだろうが、果たしてワールドカップではどんな結果を残すのだろうか?

 30日に行われたガーナとの西野監督第1戦は2-0の完敗で7万人の観客からブーイングがあったようだが、現在のワールドランキング  http://fifaranking.net/ranking/  から言えば、日本は60位に対してガーナは50位だからその結果は順当かも知れないのである。

ただ、サッカーは『紙一重』の運みたいなところもあるし、先日のガーナ戦でも2失点は防げて当然とも思えたし、もう一歩で日本も得点出来たチャンスもあったようにも思うのである。

 

日本代表』がこれからワールドカップまでに対戦する相手は、こんな日程でこんな国々なのだが、トルクメニスタン(128位)以外はみんな格上なのである。

 スイス(6位)・パラグアイ(32位)が練習試合だが、その順位から見ると、本番までに西野ジャパンは『3連敗』でワールドカップに突入する可能性もあり、そんなことになると本番での期待も薄れてしまうので、是非健闘して欲しいものである。

 

    

 

本番のコロンビア(16位)・セネガル(28位)・ポーランド(10位)と強豪揃いだから、そんなに簡単に勝てる相手ではないのである。

 

 ★ところで、今回選ばれた日本代表は、そんなに目新しいメンバーだというわけでもなくて、それなりに知名度も実績もある選手たちであることは間違いない。日本のサッカーのレベルもすそ野が広がったから、仮にもう1チーム別のメンバーで日本代表を作っても、そんなに実力の変わらないチームが出来るのでは、と思っている。

それだけに、またいろいろな違った意見も出るだろうし、サッカーにはいろいろな形があって、監督の戦い方というか『監督の腕』の見せ所だと思うので、西野監督に頑張って欲しいと思っている。ラジルに勝ったこともある、そんな『いい運』をお持ちだから、ひょっとしてベスト16にでも残れば、万々歳である。 西野朗監督は「1試合1試合ポイント(勝ち点)をとって、グループステージは抜けたい」とベスト16進出を目標に掲げていて、リーグ戦の戦い方は『負けないこと』と思っているようである。

 何はともあれ、6月はサッカーもあるし、米朝会談もありそうだし賑やかで『いい6月』であって欲しいものである。

  

 

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