★つい先日のことだが、直入町にお住いの森田一平さんから、
Facebook でこんなメッセージを頂いた。
「突然の申請失礼いたします。ブログ拝見致しました。直入町に生まれ37年。趣味は旧車を眺めること。
直入の歴史を調べていたら古谷さんに行き着きました。父は芹川にてジェットスキーに乗っていました。宜しくお願いします(;>_<;)」
『直入の歴史』を調べていたら私に行きついたと書かれている。
こんな現在のSPA直入の写真と
これは1990年4月15日のSPA直入のオープン当日の写真なのだろうが、
出来れば1枚1枚が見てみたい懐かしい写真なのである。
その中の1枚には私の姿も写っている。
SPA直入が自らのバイクでサーキットを走ろうと集まった、ユーザーたちで埋まって、
開会式に列席された当時の直入町長(お名前を失念したが)は、『有史以来最高の人数が直入町に集まった』とそのご挨拶の中で述べられたのである。
当時日本では一般ユーザーはサーキットを走れなかったので、
『一般ライダーが走れるサーキット』を創ろうと、
1988年3月に想い経って、2年の歳月を経て、オープンに漕ぎつけたのである。
そんなことで、『サーキットを自分のバイクで走ってみたい一般のライダーたち』が数千人もの規模で集まったのである。
そのオープンの走行には、歳森・清原・宗和などのカワサキライダーのほかに、
当時はヤマハのライダーだった金谷秀夫も声を掛けたら来てくれて、錚々たるライダーたちによる開幕初走だったのである。
当日のことは私は今でもよく覚えている。
★私は現役時代カワサキの二輪を担当して、いろいろな新しいことを手掛けたが、
今残っているのはユーザークラブKAZEとこのSPA直入ぐらいなのである。
とりわけ『SPA直入』は一番思い入れのあったプロジェクトだったと言ってもいい。
これがどんな経緯で実現したのかと言うと、
1970年当時に、カワサキは中大型のスポーツバイクの開発のためのテストサーキットを創ろうと大分県直入町に広大な土地を購入したのだが、
その後の二輪事業が赤字続きで、とてもテストサーキットの建設などは出来ない時代が続いて、直入の広大な土地はそのまま放置され続けていたのである。
1962年に鈴鹿サーキットがオープンし、その後日本各地にサーキットはオープンしたのだが、それらはすべてレースマシン以外は走れなかったのである。
世の中はスポーツ・バイク時代全盛期で、一般ライダーは走れる場所を求めて、各地の峠に集まり『峠族』などと呼ばれたりしていたのである。
私は、広いコースで一方通行で信号もないサーキットは、一般ライダーにとっても、そんなに危ない環境ではないという想いで、
『一般のライダーが市販車で走れるサーキット』を創ろうと思いたったのである。
★そんなことで、1988年3月にこのプロジェクトは、
私の後のファクトリーチームのマネージャーだった岩崎茂樹とたった二人でこのサーキット計画に挑戦したのである。
資金的にも余裕のなかった時代だったので、そんなに大規模なものは造れないのだが、
『一般ユーザーが走れるサーキット』と言うコンセプトで、長さは1.4kmと短いのだが、
コース幅は鈴鹿サーキットと同じにしてセーフテイーゾーンも広く取り、安全第一に仕上げたのである。
建設会社もサーキット建設など経験がなかったので、
カーブのR設定などその基本コンセプトは岩崎茂樹と私の発想によるものなのである。
これはずっと後、田崎雅元さんが送ってくれた写真だが、SPA直入での3人なのである。
この3人、考えてみるとまだ若い時代から密接に繋がっていて、
岩崎茂樹と田崎さんコンビの時代もあたし、
私と田崎さんコンビも、私と岩崎コンビ時代もあったのである。
岩崎茂樹は兎に角、物知りで勉強家でSPA直入も彼の産物と言ってもいい。
コース設計の大要はすべて岩崎のアイデイアなのである。
『SPA直入』の名付け親も岩崎で、勿論直入温泉のSPAでもあるのだが、
ベルギーが誇る世界屈指のサーキット、スパ・フランコルシャンとも懸けている命名なのである。
★SPA直入建設当時に同じく建設中だったオートポリスもご縁があって、今ではカワサキのサーキットになっているのだが、
関東に是非カワサキのサーキットをといろいろ奔走したのだが、
それが実現しなかったのは、私の定年が来てしまったからだと言っていい。
いまでも是非『実現したかったな』と思っているのは
群馬県の松井田町の軽井沢からの峠の横に造ろうとしていた
『松井田サーキット』で、これは若しもう2年の歳月があれば実現出来たであろうプロジェクトだった。
これは政治家の山本一太さんの父・参議院議員の山本富雄さんの紹介のプロジェクトだったので、時間さえあれば実現したと思っている。
そんなきっかけになったのが『SPA直入』なのである。
これは
大自然の真ん中にあって、日本で一番美しいサーキットだと自認している。
あの岩城滉一がSPA直入がお気に入りで、
直入町の宿坊翡翠の荘にもよくお世話になったりしていたのである。
いまでもこんなにいろいろなイベントが開催されていて、
当初の基本コンセプトが生きている。
森田一平さん、いろいろSPA直入のことを想いださせて頂いて有難うございました。
大分県直入町、私の第2の故郷だと想っています。