★ 何日か前だったが、テレビで『乳頭温泉郷』を取り上げていた。
「一度は行きたい乳頭温泉郷」とあるが、何回行ったか解らぬほど行っている。
昭和42年(1967)から4年間、仙台で東北6県を担当したのだが、
当時はクルマでの移動で、東北6県を走り回っていた。
二輪の営業は代理店は勿論、地域の販売店を訪問するので、
極端に言えば、東北の殆どの道を走ったと言ってもいい。
乳頭温泉は盛岡から秋田への通り道にあるので、
その移動の時の宿泊所だったのである。
乳頭温泉と検索するとこんな写真がいっぱい並ぶが、
当時は今よりは温泉と言うより『湯治場』と言った方がいい『ひなびた温泉』で湯治客でいっぱいだった。
当時の東北の温泉は、市内のホテルより安く泊まれたので、
乳頭温泉に限らず、東北6県の温泉は殆どと言っていいほど知っている。
秋田だけでもこんなにいっぱい温泉があって、
あちこちの温泉を泊まり歩いていた。
★ 東北には4年間、そのあと近畿・中部なども含め全国を担当したので、
全国各地の温泉によく泊まったし、
spa直入建設当時は、直入は勿論、大分・熊本の温泉郷などにもよく泊まったものである。
北海道も2度担当したので、
北海道の温泉も殆ど知っていると言ってもいい。
現役時代の40年は、今の二輪営業のスタイルとは全く違って、
各社とも地域代理店とその下にある販売店網の時代だったから、
そこへの訪問が営業活動の主体だった、
ホントに恵まれた環境の中で過ごしたのである。
代理店の販売店会議なども『新年会』など温泉地で開催されることが多かったので、熱海や白浜など有名温泉地に行くことも多かった恵まれた現役生活だったのである。
そう言う意味ではいい時代を過ごせて『運がよかった』と言っていいのだろう。