干からびた荒野に咲く一厘の黒いバラ。
なんとなく、不吉なイメージのジャケットではあるが中身は結構いけてる。
デビッド・ゲフィン率いるアセイラム・レコードから、1971年にソロ・アルバムを出すも不発。
その後ゲフィンから、元バーズのクリス・ヒルマンと元ポコのリッチー・フューレイのトリオでバンドを結成することを進められ、1974年ウエスト・コーストにザ・サウザー・ヒルマン・フューレイ・バンドなるスーパー・グループが誕生。
このデビュー・アルバムを一刻も早く手に入れようとレコード屋に走ったのを思い出す。
ゴールド・アルバム認定を受け中ヒットはしたものの、内容は各人が作った曲を持ち寄り順番にボーカルをとる構成で、バンドとしてのコラボレーションがまったく感じられなかった。
案の定、翌年の二枚目のアルバム、Trouble In Paradiseはまったく注目もされず、バンドは解散に至った。
それでもゲフィンはサウザーの実力を相当買っていたようで、1976年にアセイラム・レーベルから発売されたのがBlack Rose。
今回はジェームス・テイラーやリンダ・ロンシュタットのアルバムをプロデュースし成功を収めたピーター・アッシャーをプロデューサーに付け梃入れし、更に彼の人脈から豪華なセッション・メンバーも起用し万全の体制を採ったものの、アルバムは全米85位に留まりずっこけてしまった。
従来のフォークロック路線やバラッド、トロピカル物やジャズなど色々バラエティーに富んだ収録曲は、上述したように個人的には結構いけていたのだが。
やっぱりシングルヒットになる曲がなかったのが原因かな~
ゲフィンの目利きはやっぱり確かだったようで、イーグルスに共作として提供したNew Kid in Town やHeartache Tonightそれに1979年の自身のアルバムYou’re Only Lonelyなどによってようやく連続した成功を手にした。
ところがこのお方、結構マイペースで次のアルバムは忘れられた頃の1984年に出し、その後はシンガーとしての活動はほとんど聞こえて来る事は無く、2000年も8年ほど過ぎてから、急に思いついたかの如くジャズ調のボーカル・アルバムを数枚ほど出した。
普通流行歌を歌って食っていくならば、たとえマンネリ気味でも連続して畳み掛けるように作品を出し続けないとあっという間に忘れ去られる。
ただ天邪鬼な私は、自身が欲したときにのみ行動に移すという、彼の流行に媚びないマイペースな姿勢に結構惹かれるのである。
もし彼にインタビューする機会があれば、“当時何故アルバムを長期に渡って出さなかったの?”かと聞いてみたい。
もし、“単なるネタ切れっ~”と回答があれば。“正直でよろし~”とまたまた惹かれてしまうのである。
ジャケ裏のドラキュラ伯爵かはたまた手品師かという出で立ちもなかなかよろし~