今日は朝からゆっくり。
何故なら、昨日の夜に気づいたのだが、今日は祝日でお休み。
ディパバリと言うヒンズー教徒のお祭りの日。
多民族国家のシンガポールでは、国の人口を構成する主要な民族にとって重要な日を祝日と定めている。
ディパバリ以外にも、お釈迦様の誕生日を祝うべサック・デイ、キリスト教徒には12月25日のクリスマスと3-4月頃のグッド・フライデイ(キリストの復活を祝う祭り)、イスラム教徒にはハリラヤ・プアサ(断食明けを祝う)とハリラヤ・ハジ(メッカへの巡礼完了を祝う)、そして旧暦の正月を祝う人達のためにルナ・ニュー・イヤー・ホリデイがある。
祝日の日付は、1月1日の正月や12月25日のクリスマスを除いては、其々の関連する暦を使って確定されるので、日程は毎年変わり固定されていないるのである。
この地に暮らせばギリギリになって翌日が祝日と判る場合が多々ある。
と言うことで、今日は余裕で昼間から原稿をブログにアップさせようとPCの前で鎮座してシコシコとキーボードをたたいている。
今回の地味シリーズも一応最終回としたい。
もちろん長いこと聴いていなかった数多くのレコードがまだまだ自宅に眠っているのではあるが、アップする際に使う自前の新しい画像が品切れになってしまったので、アルバムの写真などを撮り溜めていつかの機会に続編をと言う事で。
最終回はこのアルバム!
ドゥビー・ブラザーズのトム・ジョンストンの1979年のソロ・アルバム、Everything You Hear Is Trueである。
あんたが聞いたことは本当さ、そう俺は復帰するぜ!って感じかな?
1975年に出たアルバム、Stampedeはスティ―リー・ンのギタリストだったジェフ・バクスターも加入し3本のギター・サウンドが炸裂、さらにはゲスト出演のライ・クーダーのボトルネック・ギターも聴けるというドゥビー節満開であった。
ところが、1976年の次作アルバム、Takin’ It To The Streetでは、トム・ジョンストンはチョロっとボーカルとっただけで、このアルバムにはあまり貢献していないことが判り怪しい雲行きに。
そうキーボード奏者としてマイク・マクドナルドが加入してから、サウンドは一変してしまった。
個人的には、彼の特徴であるフワフワした感じのファルセットが鼻に抜けたようなボーカルは好みではなかった。
1977年のLivin’ On The Fault Lineにはトム・ジョンストンの写真がアルバムに見受けられたものの、レコーディングに加わったような痕跡がまったく見受けられないスティルス参加となり、1978年に出たアルバム、Minute By Minuteはドゥビー最大のヒットとはなったが、彼のクレジットはアルバムから消滅した。
そのため当時個人的にはこのアルバムにそれほど思い入れは無く、なんとなくラジオでシングルのWhat A Fool Believeがよくかかっているなと感じる程度だった。
と思っていた矢先、Minute By Minuteに対する回答と言うべきトム・ジョンストンのソロが出たのであった。
これ、これ、これだよ!ドゥビーはこうでなくっちゃと久々にトム・ジョンストンのドゥビー節を楽しんだ。
しかしよくよく考えてみると何かが足りない。
ドゥビーにとってはダブル・ドラムスとベースのリズム・セクションも売りの一つではあるが、トム・ジョンストンには無い魅力を持つパトリック・シモンズの作る曲も含めて初めてドゥビー・サウンドだと判った。
その後オリジナル・メンバーを中心にドゥビー・ブラザーズが再結成されたときは、嬉しくてすぐにCD屋に走った記憶がある。
何度もメンバー・チェンジをしながらも今でも歌っている。
Woh Wu Oh~ Listen To The Music
Woh Wu Oh~ Listen To The Music
All The Time~♫
あぁ~祝日ってやっぱりいいな!
アメリカン・ロックにはハーレーが似合う、だけど今時上半身裸の上に、前がはだけた皮?のベストを羽織っている人っていね~だろね。しかもノーヘルで...
すぐに職質かけられちゃうね~
デビュー当時から気になっていたバンドもしくは歌手が中ヒットを出し始め、サウンドもノンストップでどんどんと進化して大ブレークの前夜辺りに達する頃が一番美味しい。
そうなると俺の目利きも大したものだと、まあ他人からみればあまり大したことは無いのだが、誇らしく思う。
しかし大ブレークしてしまうと、バンドや歌手の取り巻く環境は今までとまったく変わってしまうのが常である。
例えばヒット・シングルはあちらこちらでオン・エヤーされ聴き過ぎてすぐに飽きられちゃうてのもあるし、また大ブレークするとアーティスト側はどうしてもそのポジションを維持したいがため、次作はどうしても保守的となり、大衆受けを狙って無難なものとなる可能性が高い。
かといって、ブレーク後に出すアルバムは冒険しすぎると、よっぽどのメジャーなスターで無い限り、レコード会社からダメだしを食らってしまう。
1978年に出たこのホール・アンド・オーツのアルバム、Along The Red LedgeではプロデューサーをAOR系のデビッド・フォスターに変え、またライブで起用していた元エルトン・ジョン・バンドのキャレブ・クェイ(ギター)、ケニー・パサレリ(ベース)とロジャー・ポープ(ドラムス)をスタジオ録音に参加させることで、今後の足場固めが行われた。
既にシングルでヒットがコンスタントに出せるようになっていた時期で、翌年のデビッド・フォスター・プロデュースのアルバム、X-Staticを挟んで、1980年のアルバム、Voicesでついに大ブレークを果たす。
しかしながら私としては何故かAlong The Red LedgeやX-Staticの頃が今でも一番よかったのでないかと思っている。
Voicesとそれ以降のアルバムは確かに大ヒットしたが、ちょっとワンパターンで革新性はそれほど感じられなかった。
オォ~! Along The Red Ledge(邦題は赤い断層)と付いたこのアルバム、今更ながら気がついたことが。
それは、この赤い断層って赤身のことね。
Voices以降はトロ身でたしかに美味しいが、脂濃くてずっと食べ続けられない。
すなわち、通はトロよりあっさりした赤身を好むってことで、ブレーク前のAlong The Red Ledgeを一押としたい。
オーツさん、赤身を掴んでいます。
オーツ:これだけ長い赤身だから、全長1Mの鉄火のデッカ巻き出来そう。
ホール:俺はトロ食いたいから、今赤身は遠慮しとくよ。
そうなると俺の目利きも大したものだと、まあ他人からみればあまり大したことは無いのだが、誇らしく思う。
しかし大ブレークしてしまうと、バンドや歌手の取り巻く環境は今までとまったく変わってしまうのが常である。
例えばヒット・シングルはあちらこちらでオン・エヤーされ聴き過ぎてすぐに飽きられちゃうてのもあるし、また大ブレークするとアーティスト側はどうしてもそのポジションを維持したいがため、次作はどうしても保守的となり、大衆受けを狙って無難なものとなる可能性が高い。
かといって、ブレーク後に出すアルバムは冒険しすぎると、よっぽどのメジャーなスターで無い限り、レコード会社からダメだしを食らってしまう。
1978年に出たこのホール・アンド・オーツのアルバム、Along The Red LedgeではプロデューサーをAOR系のデビッド・フォスターに変え、またライブで起用していた元エルトン・ジョン・バンドのキャレブ・クェイ(ギター)、ケニー・パサレリ(ベース)とロジャー・ポープ(ドラムス)をスタジオ録音に参加させることで、今後の足場固めが行われた。
既にシングルでヒットがコンスタントに出せるようになっていた時期で、翌年のデビッド・フォスター・プロデュースのアルバム、X-Staticを挟んで、1980年のアルバム、Voicesでついに大ブレークを果たす。
しかしながら私としては何故かAlong The Red LedgeやX-Staticの頃が今でも一番よかったのでないかと思っている。
Voicesとそれ以降のアルバムは確かに大ヒットしたが、ちょっとワンパターンで革新性はそれほど感じられなかった。
オォ~! Along The Red Ledge(邦題は赤い断層)と付いたこのアルバム、今更ながら気がついたことが。
それは、この赤い断層って赤身のことね。
Voices以降はトロ身でたしかに美味しいが、脂濃くてずっと食べ続けられない。
すなわち、通はトロよりあっさりした赤身を好むってことで、ブレーク前のAlong The Red Ledgeを一押としたい。
オーツさん、赤身を掴んでいます。
オーツ:これだけ長い赤身だから、全長1Mの鉄火のデッカ巻き出来そう。
ホール:俺はトロ食いたいから、今赤身は遠慮しとくよ。