1980年に出た前作のスタジオ・アルバム、Chicago XIVがほとんど注目されないまま人気も下降。
バンドの将来が危ぶまれる様な事を避けるためにも、心機一転のテコ入れが行われた。
翌年の1981年には繋ぎとして2枚目のベスト・アルバム、Chicago 15 Greatest Hits Vol.2が企画された。
そして1982年はいよいよ勝負の年、テリーが抜けた穴に、サウンドに厚みとバラエティーを持たせるため新メンバーとしてビル・チャンプリンをボーカルとキーボードの担当として正式メンバーとして加入させた。
さらに、70年代の旧態ロックサウンドに別れを告げ80年代を生き残るため、プロデューサーにAOR系のミュージシャン、デビッド・フォスターを迎え完成したのが、1982年のChicago 16。
(レーベルもCBSからワーナー系のFull Moonへ)
発売されるや否や大ヒットをもたらし、シカゴ復活となる。
ブラスサウンドは健在であったが、かってのジャズ・ロックの面影は全く見当たらなく、1980年にデビッド・フォスターがジェイ・グレイドンとトミー・ファンダーバーグらと組んだバンド、エヤプレイが唯一出した 80年代のAORのお手本ともなるアルバム、Airplayと同系統なポップなサウンドに仕上がった。
(AORが大好きなお宅に是非一枚)
70年代ロックに変わって登場したパンクやディスコもいつのまにか屍と化してしまい、80年代は大きく分けてメロディアスなAOR路線とハード・ロックをさらに尖らせたメタルロックの2極化へと向かった。
シカゴもこの新しい路線で80年代を乗り切っていく事となり、私のような70年代のロック・ファンは敢え無く滅んでいく運命に….
80年代若き日の博士:AORはちょいと苦手じゃ! これからはフュージョン・サウンドだべな。
80年代若き日の助手:ハハ〜、お仰せの通りに。それでは早速、ハービー・ハンコック、スパイロ・ジャイラ、リー・リトナー、ウェザー・レポート、それにカシオペアなぞを仕入れてまいります。
しばらくのお待ちを〜
てな事で、私も方向転換を図る事となった。