
1970年グループ名と同一タイトルのアルバムを出してデビュー。翌年2作目のアルバム、タルカスの制作終了後ツアーに出たところ、そのライブ演奏が 海賊盤として発表され大変人気を呼んだことから、レコード・メーカーは海賊盤対策として同様の内容のライブ盤をオフィシャルで同年の後半に3作目として出しました。
それが、この展覧会の絵というアルバムです。
プログレッシブ・ロックなどの分野はほとんどラジオでオン・エヤーされなかったため、音楽雑誌などを通じてある程度レコードの中身の情報を持っていない場合は、アルバムの購入には踏み切れませんでした。またこの分野の楽曲は、長尺であったりマニア以外一般受けしないないようなアレンジの曲が多いため、LPレコードからシングル・カットされることはほとんどなかったのです。
今では大人買いができるようになり、ジャケ買いをし、もし中身がそれほど期待にそぐわなかった場合でも、それほど沈んだ気分に陥ることはほとんどありませんが、 当時は最悪のケースを避けるため、多くの時間をかけ慎重に購入の選択をしてたものです。そしてもし買ったレコードが自分の想像通りで気に入ったものであれば、本当にヤッターというような気分になった事をよく覚えています。残念ながら今ではそのような感覚はもう味合うことは余りないと思います。
幸運なことに、このアルバムからナット・ロッカーという曲がシングル・カットされたので、シングル盤を試しにと購入してみました。そしてそのシングルのA面とB面から大まかにこのアルバムとELPの音楽性のイメージは掴み取ることができ、後日ようやくELPのアルバムを購入する決断が出来たわけです。
写真は1976年再発の展覧会の絵と記念すべき1972年発売のナット・ロッカーのシングル盤です。

それから、展覧会の絵について書くと、どうしても忘れてはならない日本の偉大なアーチストがいます。それが富田勲氏で、テレビドラマ、アニメ、ドキュメンタリーなどの音楽を数多く手がけられた、著名な作曲家かつシンセサイザー奏者であります。
1975年にシンセサイザーで展覧会の絵を発表され、これはアメリカのビルボード・クラッシック・チャートで第1位を取った作品です。写真は2007年再発の国内盤CDのジャケットです。


それが、この展覧会の絵というアルバムです。
プログレッシブ・ロックなどの分野はほとんどラジオでオン・エヤーされなかったため、音楽雑誌などを通じてある程度レコードの中身の情報を持っていない場合は、アルバムの購入には踏み切れませんでした。またこの分野の楽曲は、長尺であったりマニア以外一般受けしないないようなアレンジの曲が多いため、LPレコードからシングル・カットされることはほとんどなかったのです。
今では大人買いができるようになり、ジャケ買いをし、もし中身がそれほど期待にそぐわなかった場合でも、それほど沈んだ気分に陥ることはほとんどありませんが、 当時は最悪のケースを避けるため、多くの時間をかけ慎重に購入の選択をしてたものです。そしてもし買ったレコードが自分の想像通りで気に入ったものであれば、本当にヤッターというような気分になった事をよく覚えています。残念ながら今ではそのような感覚はもう味合うことは余りないと思います。
幸運なことに、このアルバムからナット・ロッカーという曲がシングル・カットされたので、シングル盤を試しにと購入してみました。そしてそのシングルのA面とB面から大まかにこのアルバムとELPの音楽性のイメージは掴み取ることができ、後日ようやくELPのアルバムを購入する決断が出来たわけです。
写真は1976年再発の展覧会の絵と記念すべき1972年発売のナット・ロッカーのシングル盤です。

それから、展覧会の絵について書くと、どうしても忘れてはならない日本の偉大なアーチストがいます。それが富田勲氏で、テレビドラマ、アニメ、ドキュメンタリーなどの音楽を数多く手がけられた、著名な作曲家かつシンセサイザー奏者であります。
1975年にシンセサイザーで展覧会の絵を発表され、これはアメリカのビルボード・クラッシック・チャートで第1位を取った作品です。写真は2007年再発の国内盤CDのジャケットです。


ELPの演奏を初めて観たのはNHKの放送でした。
映像はモノクロだったように思います。
キーボードをグラグラ揺らしながら
「くるみ割り人形の行進曲」を
演奏している姿に驚きました。
あれからいろんなクラシックアレンジにハマっています。
ELPは数年前に「展覧会の絵」を買い、
再びナットロッカーと再会しました。
何を書いたのか完全に忘れていますね。
元ロック女子アンラジ様に敬意を表して、ELP関連で新しい記事アップしてみました。