CLASSIC ROCKを聴こう! PLUS

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ヘイ~ ジュ~道 一直線

2015年08月23日 | BEATLES-BADFINGER関連
1970年2月にマジカル・ミステリー・ツアーに続いてアメリカ・キャピトル・レコードよりコンピ盤として発売されたのが、HEY JUDEだった。(全米2位)

このアルバムについて、思い浮かぶことをまとめてみよう。

1. 1969年当時ビートルズは、ポールに対して残りのメンバー3人の構図で、内輪もめしていた時期で、その間隙をついてスルスルと入り込んできたアランク・レインなる人物が、ブライアン・エプスタインの後任のマネージャーの任命に関して、 ジョン、ジョージとリンゴの3名の後押しを得てその任を勝ち取った。

アランク・レインは、ABKCO(ALLEN & BETTY KLEIN AND COMPANY)をアメリカで経営し、ストーンズ、ハーマン・ハーミッツ、アニマルズなどの英国アーチストや、米国アーチスト、サム・クックらのアメリカにおける版権管理やレコード制作など行っていた。その実績からマネジメント権を託されたのだろうか? 

しかしミック・ジャガーは、ABKCOのマネジメントに不満を持っていたようなので、契約するのはやめておいたほうがよいとビートルズにアドバイスをしたそうな。その後、ストーンズは、LET IT BLEED を最後に契約を更新せずに自身のストーンズ・レーベルを立ち上げた。

ABBEY ROADの発売後、頓挫したGET BACK SESSIONの企画が一向に商品化されない空白の時期があり、美味しい契約を手に入れたABKCOは、そのオリジナル・アルバムが発売されない期間に於いて利益を出そうと企画したのが、過去の作品からなるコンピ盤のHEY JUDEであった。

その後、ABKCOはアップルとレコード販売権の契約をかわし、映画のサントラとしてLET IT BEをUNITED ARTISTの販売網でアメリカ発売した。例のレコード番号R-34001で赤いリンゴのロゴとゲート・フォールド・ジャケットのレコードである。

AN ABKCO MANAGED COMPANYと記載されています。

初回のプレスが売り切れ、キャピトル・レコードがUNITED ARTISTから、A HARD DAY’S NIGHTSとLET IT BEの版権を買い取りキャピトルから再発されるまでの1973-74年にかけて、LET IT BEの質の悪い海賊盤がアメリカで数多く出回った。恥ずかしながら、それを1枚所有している。

海賊盤の赤りんごレーベル、レコードのマトリックスやプレスした責任者の名前がなどの情報が記載された、レーベル外側のリム部分で本物かどうかを見分ける。

2. HEY JUDEに収録されたのは、キャピトル盤のアルバムに収録されなかった 曲やシングルのみで発売された曲で構成されていて、RAIN、 LADY MADONNNA、 HEY JUDE、 REVOLUTIONが初のステレオとミックスであるのが売り。

3. 当初は、THE BEATLES AGAINのタイトルで売り出す予定が、いまいちインパクトに欠けアルバム・セールスには貢献しないだろうと考えられ、急遽 ヒット・シングルのタイトル、HEY JUDEに変更。そのため、すでにプレスされてしまったレコードのレーベルにはアルバム・タイトル、THE BEATLES AGAINと記載され、HEY JUDE のアルバムジャケットに封入したまま発売された。

4. レコードのA面の収録時間が16分弱、B面が17分弱の編集のため、もし、そのフォーマットでカセット・テープに録音された場合、A面を聞き終えた後約1分のテープの空白の時間が出てくる。そのため北米マーケットでは、カセット・テープの収録に置いてでは、 B面の楽曲をテープのサイド1に収録し、A面の楽曲をその裏に収録。カセット・テープのサイド1を聴き、裏返してセットすればサイド2がすぐに始まるようになっていた。

しかしチャンネルを切り替える際、瞬時の頭出しが命の8トラ・カセットでは悲惨なことになっていた。
PROGRAM 1: CAN’T BUY ME LOVE、I SHOULD HAVE KNOWN BETTER、OLD BROWN SHOW
PROGRAM 2: PAPERBACK WRITER、DON’T LET ME DOWN,、LADY MADONNA
PROGRAM 3: HEY JUDE、RAIN(PART 1)
PROGRAM 4: RAIN(CONT)、REVOLUTION、BALLAD OF JOHN & YOKO
なんと、RAINがぶつ切りされていて、全てのPROGRAMの収録時間が大体同じ程度になるように再編集されている。

5. BALLAD OF JOHN & YOKOはスペイン盤では、収録されなかった。
YOU CAN GET MARRIED IN GIBRATAR NEAR SPAINと歌ったのが、当時スペインのフランコ政権が、ジブラルタルは英領ではなくスペイン領であるという主張に反したからかなのか? それともCHRIST, YOU KNOW IT AIN’T EASYとカジュアルにロック・サウンドに乗せて歌ったのが、スペイン・カソリック教会の逆鱗に触れたのか?

6. ヘイ~ ジュ~道 一直線 
このフレーズを今でも覚えている。友人の一人が、HEY JUDOを歌うと見せかけ、当時テレビでなんと2年ほど続くという大ヒットとなった30分物のスポ根ドラマ“柔道一直線”の主題歌の結びを引っ付けた、一発芸である。当時巷でこれが流行っていたかは記憶にない。

柔道一直線といえば、桜木健一扮する一条直也が柔道を通して成長していく姿を描いているのだが、出てくる技が半端ではない、一条直也の二段投げ、車周作の地獄車、城山大作の大噴火投げなど、柔道のそれではなくプロレスの必殺技である。また、近藤正臣が扮する結城真吾が、足でピアノの鍵盤を踏んで曲を演奏する名場面も印象に残っている。

一条直也のことを”イッチジョー”とイにアクセントを置いた発音をする外国人の武闘家がドラマに登場してきた頃ぐらいから、番組を見なくなったのではあるが、今思えば、大リーグで大活躍しているイチロー選手のことを、アメリカ人が”イッチロー”と発音するのと同じだと気がついた。

あれから45年も経つのに、この手のことはどうゆう訳か妙に覚えているものである。


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