1968年1月、ビートルズは自身の会社Apple Corps.を設立。
数多くのライブ活動で叙情に実力を付けてきたアイビーズのマネージャーはアップル・レーベルが新人アーティストの発掘をスタートさせたと聞き付け、すぐにデモ・テープをアップルのマネージメントに手渡すことに。
ピート・ハム作のThey’re Knocking Down Our Homeをポールが絶賛、さらにジョージとジョンも気に入った事から5年間の契約をバンドと結ぶことに。
トニー・ヴィスコンティがプロデュースを引き受けデビュー・アルバム、Maybe Tomorrowが1969年に完成するも、なぜかアップルのマネージメントが英・米での発売を取りやめた。原因は多分先行シングルのMaybe TomorrowとThey’re Knocking Down Our Homeをカップリングしたシングルを出したもののヨーロッパ大陸ではそこそこ受け入れられたものの、肝心のイギリスでは空振りだったのがその理由だと推測される。
(みんな若々しくていい顔している。因みに左端のロン・グリフィスはこのアルバムのあとバンドから脱退することに)
そのためアルバムはイタリア、ドイツと日本のみで発売され、希望に満ち溢れれた彼らにとっては散々なスタートとなり、さらにアップルはバンド名を変えて再出発する事を示唆。
翌年バッドフィンガーとして再デビュー、リンゴ主演の映画のサントラ・アルバム、Magic Christian Musicを発売することに。その内容は前作から再録7曲とポールがテコ入れのために作ったCome And Get Itなど7曲の新曲が加えられ、シングルのCome And Get Itが英・米でそれぞれ4位・7位とヒット、アルバムもアメリカでチャート55位まで上り詰めた。
バンド名を改名させられる屈辱を味わった彼らであったが、オイラとしてはアイビーズのデビュー・アルバムは初々しくて好感が持てたし、バッドフィンガー名義のMagic Christian Musicにはデビュー・アルバムから7曲も収録されている事から彼らのソングライティングの技量には問題がなく、むしろアップルの彼らを売り出すマーケティングのスキルがイマイチだったと思っている。
Apple Corpsが誕生して、ビートルズが先頭を切りHey Jude、Get Backなどのシングルや、ホワイト・アルバム、アビー・ロードとレット・イット・ビーのアルバムで世界的大ヒットを連発させ巨額の利益を生み出したものの、ビジネス・センスのないはちゃめちゃなマネージメントによる多角経営は1974年頃までには崩壊し、結局残ったのはビートルズの曲の管理のみとなった。
短命だったバッドフィンガーもその犠牲者だったと思う。
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