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デビューから、軽やかなカントリーあるいはフォーク・ロックのサウンドにコーラスのからむと言うイメージがあったイーグルスも、このアルバムではNEW KID IN TOWNとランディー・メイズナーが歌うカントリー系の曲のみにその名残が残った。
3作目のON THE BORDERというアルバムから、オリジナル・メンバーの一人、バーニー・リードンがバンドに引き入れ、部分的にそのアルバムに参加し正式メンバーとなったロック系ギタリストのドン・フェルダーや、そのバーニーがONE OF THESE NIGHTS制作後に脱退し、新しく加入したこれまたロック系ギタリスト、ジョー・ウォルシュらによって、作り出された音は変わった。
LIFE IN THE FAST LANEやVICTIM OF LOVEなどのファンキーでハードなサウンドの登場、バラードに於ける分厚いアレンジの採用などにより以前のカラッとしたサウンドから相対的にしっとりとしたものとなった。
1976年、イーグルス5枚目のスタジオ・アルバム、HOTEL CARIFORNIAが発売された。全米1位となりアメリカの累計のセールスだけで1600万枚とメガヒットとなり、イーグルスをアメリカのトップ・バンドから世界的なバンドへとならしめたアルバムとなった。
HOTEL CARIFORNIAは、バンドの固定ファン以外に、それまでイーグルスにそれほど関心を持たなかった多くの音楽ファンに購入させるだけのインパクトを持ったアルバムとなったのだが。このようなメガ・ヒットを飛ばすと、次のアルバムの制作がキツくなる。何しろ、少なくとも同程度のレベルの作品を次作として作らなければならないプレッシャーがあるためだ。
新規のファンをつなぎとめるにはさらなる進化が必要で、そのアイデアを練り上げるには時間がかかり、毎年一枚のペースで制作していたのが、次作は1979年と3年にインターバルを置くことになった。その次作、LONG RUNは大ヒットしたのだが(アメリカの累計のセールスは700万枚)、HOTEL CARIFORNIAが与えたインパクトのレベルには及ばなかった。
同様の例として、PINK FLOYDの1973年作THE DARK SIDE OF THE MOONは、アメリカの累計のセールス1500万枚で、2年のインターバルを置いた1975年の次作、WISH YOU WERE HERE は600万枚だった 。また FLEETWOOD MACの1977年作RUMOURSは2000万枚で、2年のインターバルを置いた1979年のTUSKは200万枚に終わった。
とは言え、この業界では例え一曲でも世界的メガ・ヒットを出すことができれば、それで一生何とか食べていくことができるのである。
博士:オー、これぞロックにおけるメガ・ヒット後の法則じゃ。
助手:メガ・ヒットのアルバムを出せば、次作は複数年後に発売され、そして前作の売り上げを超えることはない、ということですね。
博士:よし、わしらもメガ・ヒットでも出して、その後長期休暇でも取ろうじゃないか!
景気付けに、メガ尽くしと行こう!
メガ・ドンキでメガ・シャキを飲んで、その後、メガ盛り牛丼を食ってから、オメガは予算がないので無理じゃが、メガネ市場でグラサンを買うというのはどうじゃ?
助手:メガ尽くしをしたところで、作曲出来ないんじゃ、あまり意味はないかと…
Eagles - 'New Kid In Town'
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