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ミシェル・ポルナレフの巻

2015年05月01日 | EURO ROCK
この2月に、発作的に当ブログを立ち上げたのですが、昨日ふと気付いたのですが、100回記事をアップしたと解りました。個人的な駄文の備忘録とは言え、ネットで文章をアップする以上、やっぱり誰かが覗いてくれると分かれば嬉しいものです。 これからもよろしく。

と言うことで、101回目はフレンチ・ポップスのミシェル・ポルナレフについて書いてみます。

1944年、将来何らかの芸術家になるかのような遺伝子を持って、ウクライナ人である音楽家の父とフランス人でダンサーだった母の間に生まれたました。そしてその通りに、親から受け継いだ感性もあり、彼はフランスでポップ・スターとなります。

1966年にシングルの“ノンノン人形”や“愛の願い”をフランスでヒットさせました。興味深いことに、その年のアルバムやシングルの製作に、ツェペリン結成前のジョン・ポール・ジョーンズやジミー・ペイジらが録音参加していたと言われています。

その後はご存知の通り、1971年に“シェリーに口づけ”が 、1972年には“愛の休日(HOLIDAYS)”が日本では大ヒットしました。彼が作るメロディアスな曲は日本人の感性にすごく合っていたのですね。特に“愛の休日”は深夜のラジオでよく聴いたものです。フランス語は鼻に抜ける発音が多いので、英語の歌より柔らかく聞こえて幻想的なイメージが浮かび、深夜に一人ぼっちで聴くには本当に適した歌でした。しかし、“シェリーに口づけ”や “愛の休日”の訳詞を読んでみると、シェリーに口づけするところは出てこず、何が愛の休日なのかもよく解らない。まあ、よくある日本人向けのメロディーの雰囲気から付けられた邦題でしょう。

ウエーブのかかった長髪で、四角い特徴のあるサングラス、引き締まった体、そして少し女性ぽい感じの衣装など、当時の日本人じゃ誰も真似できないユニークでかっこよかったですね。 強いて言えば、当時の沢田研二が同じような感じでしたっけ。

Tout, Tout Pour Ma Cherie シェリーに口づけ ミッシェル・ポルナレフ


Holidays 愛の休日 ミッシェル・ポルナレフ




ポルナレフ曰く、“シェリーに口づけ”はフランスではシングルカットされなかったように、日本でヒットした曲とフランスのそれらとでは必ずしも同じでないのが興味深いとのことです。
1974年に発売したアルバムポルナレフ革命のジャケットを見ても、日本とあちらでは感性が異なります。(左が日本のキンキラキンのデザインで右が海外のシックなデザインです。)


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