疲弊した気持ち

2010年10月04日 | 雑感 -

「老い」というのは、確実に、身体に偏重をきたすものだ。

田舎の父の弟である、おじさん宅に電話した。
おばさんがすぐにおじさんに代わってくれたが、ちゃんとした会話が成り立たない。
一ヶ月近く前には、フツーに話せていたのに・・・・・
おばさん曰く「耳鼻科に通っていたけれど、もうやめてしまって・・・」。
それからは、話し言葉は聞こえなくなって、外的接触もなくなってきた・・・・とのこと。
散歩もしなくなったし、耳が聞こえないので、人と話すこともなくなったらしい。

私は、最初、「認知症」が出たのかと思ったぐらいだ。
おじさんは、私が大きな声で叫んでも「う~」「あ?」とかの繰り返しで、無反応だ。
おばさんも、気分が落ち込んでいるようだ。

助けていただいた分、私にできることは“やってあげたい”と思っても、まだこうして
都会にとどまり、田舎の皆さんに挨拶もできないでいる。
それが、とても辛いことのように感じてしまう。
何ができる・・・というわけではないが「フェイス to フェイス」で話すことの重要性を
とても感じている。
それができない今、具体的な情報だけを伝授しても、それ以上にはならない。
おばさんの心配の種、おじさんの気落ちした状態を、少しでも楽にできないものだろうか。
たとえ一時でも、隣で見守り、やるせない気持ちを 一緒にいて 吐き出させてあげたい。
それを受け止めてあげたい・・・と思う・・・。




帰りたいのに、帰れない!
母の法要も、まだ執り行えていない。
夏前からずっと念頭においてきた帰省は、まだ実現できていない。

都会にとどまらなければならない理由・・・
夏からずっと辟易している私のスケジュールについては、説明する言葉がない。
周囲の都合は、さまざまで・・・それを総合的に統制していく必要が、私にはあり・・・
私の立場は、とても複雑な位置にいる。


自分の都合だけを、いつも押し付けてくる人もいるし・・・
勝手に予定を変更しても、何も悪いと思っていない人もたくさんいる。
仕方がないことも多くあるが、確実に(周囲に)振り回されているのも事実である。
その無神経さや、傲慢な態度が、私の気持ちを余計に疲弊(ひへい)させているようだ。



今年の疲れも癒せぬまま・・・時間の経過にあわせて 自分を押し殺すときもあり、
切迫した「自分の心」を感じている。

無理しているようだ。 
私は、気がつかないうちに、たくさんのことを我慢しているようだ。
プライベートでの住空間の環境や条件などもそうだし、溜りたまったストレスもあるし、
仕事では、すきでもないことや、やりたくもないスケジュールに、振り回されてもいる。

常に、全身全霊、前向きに考えを転換させているけれども・・・・
いつまで自分をコントロールできるのかが、当面の問題のように感じている。
今はタイミングを計りつつ、少しでもリカバリーできるように努力していくしかない。