病気と闘う心境

2010年10月05日 | 雑感 -

介護される立場と、介護する立場。
双方に、ある複雑な感情が芽生えてしまっている家族がいる。
それは、決して明るく気持ちの良い感情ではなくて、亀裂が入ってしまったような・・・
また様々な条件が 込み入った上で派生した“辛く悲しい感情”である。
おそらく、そのような関係は、いろいろなケースにあてはまってくるだろうし、
似たような状態の家族は、全国にたくさんあると思われる。

私は、家族がいても、血の繋がりがない「要介護者」を知っていて、その人のことを
今は非常に心配している。
息子さんしかいないが、かなり手厳しい言葉をかけられ、金銭的な理由から生活にも
わびしい状況が(今後)訪れそうな予想がしてくるぐらい、現実的な話となっている。
複雑な親子関係と、その生活内容は、かなり切実なもののようである。

家族間のシリアスな人間関係に、他人が口出しはできないが・・・・
稼ぎがしらだった「要介護者」である親を、むげに扱うようなことは・・・心が痛む。
たとえ、義理だったとしても・・・・それは、育ててもらった以上に、現在も、変わらず
「要介護者」の収入に たよっている息子さん(収入源なし)にしてみれば、きちんと
ある最低限度のケアをしていくのが、「責務」であるように、私は感じてしまう。
でなければ、親の金銭をあてにせず、自分で働けばよいのだと・・・そう感じるのだ。
親の収入を、現在も 管理し、自由に操作し、 自分の生活資金にしているということは、
(要介護者の収入をあてにして、その資金にパラサイトしているのだから・・・・)
それなりの生活援助を息子さん自身が己に課すことは「已む無し」と、私は感じてしまう。
選択肢は、いくつでもあるはずだが、自分は楽をして、介護もケアもしないというのは、
あまりにも人間的に納得できる行為ではない。 たとえ言葉がけ一つだったとしてでも、
重篤な病気と闘っている要介護者にとっては、気分が楽になる手段だと思う。
しかし、実際は・・・今も、二人の間には、口喧嘩が耐えないような印象である。
本当に、心が痛む・・・。




病気は、人の「性格」に少なからず影響を与える。
成長過程の年代であれば尚更、大きな要因となることだろう。

また、病気は、人の「考え方」に少なからず影響を与える。
ねたましがったり、屈折したり・・・・素直な気持ちで、人の言葉を理解できず、
人付き合いにも変化がでてきてしまう。
もし、自分を卑下するような気持ちが少しでもあれば余計に、その度合いは大きく、
その人の人生にも影響を与えてしまうだろう。

強靭な気持ちと、信念があれば・・・克服はできるが・・・・
病気は・・・病気の質によっては、その前向きな思考回路さえも、封じ込めてしまう。

一般的に、ねじれてしまった心は、相手に素直に伝えることが難しいように思う。
言いたいことを言って喧嘩しても、そのケアが大切であり、関係の質が問題なければ、
私たち周囲の人間が気にやむこともない。
すべて、“真意”がどのようなものであるのか・・・が、重要なカギとなるのだろう。




親との関係に焦点をあててみると、私個人の心残りとしてあるのは・・・
母と父が元気な時に、それも私が20代後半ぐらいの大人になった頃あたりに、
もっと両親と(いろいろなことについて)話しておくべきだったということである。
人としての本質に迫るような内容について、話しておきたかったと、今更ながら感じる。
しかし、当時の私は、まだまだ子供で・・・自分のことで精一杯で、相手を慮る気持ちが
ほとんどなかったように思う。 両親の歴史も、想いも、受け止める度量などなかった。
だから、無理だったのだろう。 
実際、今、心残りだと思っていることにもトライしなかったし、心の片隅に微塵も・・・・
こんな考えは無かったので、実行しなかったのは当然のことだ。
ただ、自分で稼いだお金を使って、「10日間北海道家族旅行」「日光の旅」など幾つかの
旅行を(定期的に)計画して、両親を招待するぐらいの孝行しかしていない。
それ自体は喜んでもらえたが、本来はもっとのんびりして、もっと濃密な時間を過ごせる
旅を計画すれば良かったのに・・・・・と、今は思ったりもしている。
ただ、お金を使って旅行に招待し、観光するだけなんて・・・今となっては、なんという
浅い「係わり合い」だったのだろうか・・・という印象がしている。




病人は、いつも不安を抱えているものだ。
病気と闘わなければならない状況は、フツーでは考えられない厳しいものだと想像する。
だが、周囲の人が、少しでも手助けできる社会環境があると、何よりもよいのに・・・と、
心からそう感じる。
血のつながりや、家族の枠を飛び越えて、「援助」ができ、「助け」を求められるような
夢のようなコミュニティが・・・・日本のどこかに あるだろうか。
単に愚痴を聴くというだけでなく、あらゆることもそうだが・・・・・社会構造的にも、
病気と闘っている人の「不安」や「重荷」を、少しでも軽減することができると良いのに!

問題を少しでもクリアにできる「相互扶助の精神」をもった人々が集っているような街。
そんな場所に、私は住みたいと、心から思う・・・。