アイルトン・セナ

2010年10月26日 | 人物 -


あの “高潔な魂” は、一体 ・・・・・ どこから来ていたのだろう。


~「アイルトン・セナ」~
彼は、「孤高のドライバー」であり、人々から注目される「F1」の世界に籍をおきつつ、
他の誰よりも「限界まで追い詰めていく勇気(意志力)」に、いつも人々は熱狂した。
セナは、自分の意見や考えはもちろんのこと、感情やキャリア、「生」と「死」までも、
観衆と共有していた。 
そう、彼は「公然としたレースの場」で、常に厳しい「現実」と向き合っていたのだ。


プロフェッショナルとして、常に“極めていった生き様”は、とてもドラマチックだった。

「アイルトン・セナ」は、伝説の人である。




ずっと観たかったドキュメンタリー映画―「アイルトン・セナ 音速の彼方へ」。
なぜ、今まで露出されなかったのかと疑問にも思ったが、家族の反対があったらしく、
納得のいく経緯もある。
事実が、きちんと事実として伝えられるかどうか・・・・、セナ・ファミリーにとっては、
大切なポイントになってくるからだ。
なぜなら、セナは、故国「ブラジル」の「英雄」であり、「希望の星」だった。
当時のブラジルは、社会問題や貧困問題が深刻化しており、今では考えられないぐらい
貧しさが漂う国だった。 
貧富の差も凄く、人々はセナを応援することで、自分自身を鼓舞していたのかもしれない。

ブラジルの国旗を常に振り続け、世界中から母国にメッセージを送り続けていたセナは、
やはりブラジルの「ヒーロー」だったのだ。
  「頑張れ~!ブラジル!」 
  「希望を捨てるな!ブラジルの人々よ!」
おそらく、その“偉業”と、彼の残した鮮烈なイメージは、今も変わらないことだろう。

セナ自身にも、突然の“物乞い”が多々続いたようだが・・・・セナはもっと深く考え、
貧困問題を解決するために、常に心を砕いて、子供たちのために活動をしていたようだ。



映画は、個人的なホームビデオや放送された映像などを中心にして編集されており、
CGだの3Dだのと~騒ぎ立てるこのご時勢に、画質の悪い映像で終始つなぎ通していた。
それでも、全く違和感はなく、かえって時代の雰囲気を味わうことができたように思う。
セナの全盛時代は、深夜に放送されるレースのテレビ中継しか知らなかったけれども、
今回の映画ではオフやレース前の「素顔のセナの表情」が、たくさん観られた。
家族優先で、セナ財団中心の目線での制作だったが、非常に貴重な映像もあったと思う。


―「アイルトン・セナ 音速の彼方へ」。
当時の映像と、当時の現実を、ただ単に 駆け足で追いかけていくような記録映画だが、
私自身は、それはまさに “セナの人生そのもの” であるように感じた。

アイルトン・セナ本人が、結局は 「生き急いだ印象を持ってしまう人も多い」 だろう。


しかし、このドキュメンタリー映画を観て・・・
アイルトン、セナは・・・・本当の「プロフェッショナルなレーサー」だったのだと、
改めて、深く、感じ入った。
決して「逃げない姿勢」や、「レースに全てを捧げた人生」は、尋常ではないし・・・
業界を牽引していた「繊細な技術力」は、完璧主義的な性質を物語っているし、
それを表している逸話は、いくつも存在しているらしい。
常に高みを目指しながら、勝負にもこだわり、甘えることなく自分とも闘い続けていた。
ある意味で、「天才」だと言われるだけのことはある!


彼の言葉には、胸にささるものが幾つもあったが・・・普通の人から出るものではなく、
ある境界線を越えなければ経験できないような世界観を、言葉にしており・・・・
それは、アイルトン・セナの魅力でもあり、生き様からくる“境地”だったのだと思う。
彼の言葉を聴いていると、真っ向から「レース」や「命」に向き合っていることが判る。



しかし・・・正直な感想で言えば・・・・
肝心の“知りたい部分”に、映画では触れられていないのが、残念な部分でもあった。
彼が信頼をなくしていた事故のマシンと、コースについても、詳しく言及されず・・・
FIの世界には「常に政治色と経済的背景(お金)があった」ということは、つくづく
感じさせられた映画ではあったが、そういう複雑で、理不尽な現実にも切り込んでいない。
そんな巨大化したモンスターと戦い続けていたのが、世界王者「セナ」だったのに・・・。


カートレースに興じていたピュアだった青年が、F1の頂点に駆け上がっていくと同時に、
驚くべき“向かい風”と対峙することになる。
本田宗一郎さんも、もうこの世の人ではないけれど、いつか時間がたって・・・
セナ・ファミリー(セナ財団)の傷が癒えた頃に、是非とも「証言者」を集めて、
より丁寧で、克明な“人間的なセナ像”を(制約のない状況で)描いて欲しいものである。
違った視点で、厳しくて、より豊かな「アイルトン・セナ」と、出逢ってみたい。

おそらく、まだまだ露出していない「真実」が埋もれていることが予想される世界だ。





1994年――私は、彼の「死のクラッシュ」を、リアルタイムで、テレビ観戦していた。
深夜の出来事は、強い衝撃とともに、誰にも電話ができない時間帯だったがために、
ヘリコプターで搬送されてからも、ずっとチャンネルに釘付けだったのを覚えてる。
(F1好きの友達もいなかったし・・・・)
フジテレビの三宅アナウンサーが、泣きながら「セナが~! 頼む、生きていてくれ!」と
実況していたのを、「ただごとではない胸騒ぎ」を感じながら、私は観ていた。
あの気持ちを共有していたと言っても過言ではない。 
本当に、全く信じられないことだった。

そして、しばらく時間が経過してから・・・・ 三宅アナウンサーを真ん中にして、
解説の人や、レポーターの人とともに、三人の涙の「死亡報告」を・・・ 観た・・・。
(※このシーンは、短く編集されて、映画でも使われている)
それを観ながら、心が、そして、私自身が、冷たく固まっていくのを感じた。


34歳という若さで、逝ってしまった「アイルトン・セナ」の事故現場は、壮絶だった。
映画では、さらっと映像を流してくれたので、耐えられたが・・・・
当時は、刻々と処置が施されるセナの姿を見守るのは、非常に耐え難い時間だったものだ。
映画を観ながら、そのときの衝動が思い出されて、ずっと涙が止まらなかった・・・。


セナは、 (今でいうならば) とても「イケメン」で、魅力にあふれた男性。
ハンサムで、スマートな対応をしていたので、女性にもファンが多かった。それに・・・
日本(HONDA&CX 他)と縁が深かったので、他国よりファンが多かったと思う。
実際、オフシーズンのセナは、日本のバラエティ番組などにも、気さくに出演していた。

今夜も、映画館に飾られたポスターの前では、シャメしている男性があふれていた。