「生きる」という実感

2010年10月29日 | 自分 -


  人は、心から愛されて初めて、人を愛することができる人になる。
  そういう経験があってこその「愛」だと思う。


人は、他人から認められて初めて、心の中に余裕がもてるようになる。
ゆったりとした「ゆとり」のようなものは、簡単に手にすることは厳しい世の中だ。



              



私は、この揺れ動く「心の荒波」とともに、一生涯生きていかなければならない。
おそらく、誰もがそうだろう。

親子や夫婦、親友であったとしても、たとえどんなに親しい間柄であったとしても、
相手を知り尽くすことは不可能だ。
また、同じ言葉でも、其々に、個々の受け取るニュアンスは違うものだし、
他人と自分は、常に同じ感覚を抱いているとは限らない。
だから、確認が必要になってくるのかもしれない。
そして、その先には、相手の考えや感覚を理解して、受け容れる「ゆとり」のような
あたたかい気持ちが必要になってくる。
自分の知らない横顔や、ひた隠しにしていた世界に触れることもまた、あるだろう。
そういうときの自分こそが、相手にとっての自分そのものなのだ。



穏やかで、丁寧な日々を、和やかに過ごすためには、
「もっともっと努力が必要なのかもしれない」と、自分を客観的に判断して、そう思う。

自然と笑顔があふれて、自然と相手を受け止められるような包容力がほしい。

今の私は、「目にみえないモノ」に・・・・
とてつもないモノに操作されているのかもしれないと・・・感じる時がある。
それは、心地の良い境地ではない。

それに、大きな「不安」を感じていることも、冷静に自覚している。


ただ、昔と違うことは、胸の高鳴りのようなドキドキ感が取り戻せそうな予感がすること!
「生きている実感」というのは、「心の豊かさ」と一緒だが・・・・
「胸の鼓動を感じていられること」も、とても大切なことのような印象がしている。