自律型人間になること

2012年05月08日 | 自分 -

GWの目標を決めて、規則的に過ごしたら、
自然と起床するようになった。

今日もまた、朝陽の美しい姿を見せて頂いた。
曇りの空から、少しだけ姿を見せていて、
その姿をずっと根気強く待っていたら、
全様を見せて下さった。
「なんとまぁ美しいこと!」
携帯とデジカメで、今日も撮影を試みるものの、
なかなかベストショットは難しい・・・。



今日の朝陽を見ながら、感じたことは・・・

自分の中に、「核」となるものがあれば、
他人の意思に引きずられることはない―という
非常にシンプルなこと。
人間として、非常に単純なセオリーである。


不安に付け込んで、意思を操作して 影響を与え、
刷り込みのように 心の作用をコントロールする事件が、
後を絶たないが、それは「自分が確立していない」からで、
ひどく違和感のある(信頼できない)行為だと思う。



最近の思考の基軸となっている「お金」もまた、
納得して金額を話し合うことと、納得して支払うこと、
そして、決して依存しないこと。
どんな時も、「お金」には、綺麗な自分でいたい。


全てにおいて、自分の中で線をひくこと。



人は、自信がないから誰かに相談したくなったりもするし、
恋しいから、友達に(用もないのに)連絡をしたりするが、
その「自分の行為の原点」を大雑把に把握して、
自分が確認していれば、“ぶれることはない”。


昨日も、隣に座った高齢の女性の足もとが心もとなく、
連休明けのためだろうか、(名古屋の息子さんが帰ったばかりで)
一人ぐらしの「自分の境遇」の心配話を私につらつらと話し始めた。

誰とも和やかに接する私が、ふらついた彼女に手を差し出して、
席に座らせて差し上げたのが きっかけだったが・・・・
多くの人が、何かについて 話したがっているのは感じる。
誰かに 話を 聴いてもらいたいのだ。
それは、「不安に感じている日常」についてなのだと思う。
自宅の近くで、濃厚なネットワークが構築できていると
いいのだけれど、なんとも難しいことなのだろうか。
元気な世代が率先して、ボランティアでもいいから、
してあげるといいのに・・・。 
実際は余裕などないのだろうか。



私も、将来は、毅然とした「自律型高齢者」になりたいものだ。

楽しい日々を過ごすためには、やはり「健康」を手にしなければ
何も始まらない。
そんなことを感じながら、朝陽にお願いこと・・・・。


「 私を、生涯にわたって、
  完全無欠ではなくても、
  そこそこの健康な状態で
  いさせてくださいませ・・・」

「 あっ、そうそう・・・
  逝く時は、ぽっくりで、
  お願いいたします・・・・」