「保身」の姿勢が失うもの

2012年05月16日 | 言葉 -

 保身にすぎれば 必ず 信を失う

今の日本社会の隅々まで 「 保 身 」 だらけの現象(人)ばかりだ。

たとえば、孔子は生涯を通し、世の中の乱れを正し、民を救うことを第一として
ただひたすらやっていたので、自分の保身について考えたことなどはない。
しかし、現在の日本には、意識しなくとも、まず口からついてくるのは、
保身の言葉というか、言い訳というか、“自分を守るための姑息な方法” が・・・
まず目を引くことが多い。


自らの「保身」のために、信頼を失ってしまうのは、いかがなものだろう。

昨年の大震災以来、ずっと「人と人との心のつながり」を大切にしようーという
気運があがっているからだろうか。
軽率な発言や、保身が前面にでる対応に関して、幻滅してしまうのは 当然だ。 

素直な気持ちで、心の底から 「やれることが第一」だけれど・・・
もしできないのであれば、そういう価値観を常に意識して、努力するところから
はじめて、優先順位を あらためてもらえると 何よりだと思う。

実際、「昔からのやり方がこうだから」と、自己の都合を掲げても、
社会や一般民衆は、理解してくれないだろうし、共感してくれないだろう。

自分の立場は大切だが、そのことが一番だと思っていることを見透かされてしまうのは、
人としては切なく、貧しく、信頼を欠く行為であると、しみじみ感じる日々である。

どうして、そんなに、自分中心の思考回路になってしまったのだろう・・・と、
単純な疑問が、湧いてくるぐらいだ。
 
(人によれば「バカやろ―」と言いたくなる!)