私は、仕事をしながら、今、自分の体調管理に神経を遣い、
完全治癒を目指して、病院通いをしている。
自分自身の 「健康的な黄金期(最盛期)」 を思い起こすと、
どうしても 頭から離れないことがある。
この現在の日本の「社会」は、健康な若者が働く場所がなく、
資産もたまらず、モチベーションも 失くしかけている。
頑張って働いても、良いことがあるとは思っていなくて、給料にも
明確に影響が出て、大幅に上がったりすることはないと感じている。
実際、そうであるし・・・、企業が急に大きく成長することはない。
頑張って働いても、それに即したリターンが少ない(or ない )と
思いこんでいるのだ。
決して、そうではないはずなのに・・・。
それに、人生のメリットは「お金」だけでは計れるものではない。
今は、若者どころか・・・その次の世代が・・・
親の年金をあてにして、親と同居している40代層男性も多いらしい。
彼らにとっても、若干の甘えはあるだろうが、「働く場所がない」と
いう理由もあるかもしれないし・・・
経済的自立だけでなくて、「結婚」する環境も得られないというのが、
同居の大きな要因にもなっているようだ。
すでに団塊の世代は、仕事の第一線から引退しつつあるが、
高度経済成長期の恩恵を経験した世代は、「働くこと」の意味と
原動力を手にしてきた世代である。
羨ましい限りだ。
日本の財政問題は、団塊の世代が中心となって解決してもらい、
若者の負担は 最小限にしてほしいものである。
これからの日本を担う若者たちの世代が、「希望」と「夢」を
失ってしまうような社会にしてはならない・・・。

今年は、ロンドンオリンピックだけれども・・・
東京オリンピックで銅メダルを獲得したマラソンランナーの
円谷選手は、次のような言葉を残して、自らの命を絶ってしまった。
「 幸吉は、疲れ果てて、もう走れません
お許しください 」
彼もまた、 “未来を担うはずの若者” で、
“明るい将来を生きることができた” はずの アスリートだった。

コンプレックスや過剰反応によって、自分の未来を(勝手に)決め込まず、
また、自分の基準だけによって思い込むことも辞めて、自分の周囲の人と
常にコミュニケーションをはかりながら、常に「夢」を語れる人でいてほしい。
語らずとも、思い描くだけでパワーをもらえるのが、「夢」や「希望」である。
私の世代でも、私の次の世代でも、あるいは、
引退した団塊の世代にも、まだまだ大きなチャンスはあるはずであり、
それは「仕事」だけではなく、同時に、「人生の挑戦」であり、
大きな意味では「自分自身に対して “挑むこと” 」でもあるように思う。
若者と、まだ社会に出てきていない子供たちの未来が、必ず明るいもので
ありますようにと、心から願う・・・。