今朝は、18代目勘三郎氏のニュースと、ご子息二人の取材が、
のきなみ並んでいる。
テレビでも、ずっと放送が繰り返されている。
歌舞伎界だけではなく、様々な世界に飛び込んで、とにかく
人気のある歌舞伎俳優だったから、当然のことだ。
TVでは「10月半ばが最後の交流だった(会話が最後)」 と
二人の息子さんが語り、父が逝った晩も「たまたま帰宅した」 と
不思議な出来事を披露していた。
偶然が引き起こしたことだったとは、思えないぐらいの偶然!
これは、必然だ。
ご長男は31歳。
「勘九郎襲名公演」ということで、二人はまた京都へ・・・・。
“親の死に目にも会えない” のが “役者の世界” だけれど、
二人は、偶然のことで看取ることができたようだ。
ご長男:勘九郎さんのしっかりとした口上に、囲み取材の笑顔は、
とても素敵な光景だった。
勘三郎さんは、本当に「いい家族をつくった」と思った。
歌舞伎界の世界で、ちゃんと男の子を二人も産んでくれた妻。
明るく、かわいい女の子の話をしても、おおらかな心で受け止め、
仕方ないわねぇ的に笑っている “腰の据わった人” だったのだろう。
奥様も、子供の頃から「歌舞伎界」で育ったので、何よりも
「歌舞伎」というものを知っていたからこそのサポート。
奥様:好江さんの存在は、大きかったと思う。
家の柱となって、支えていたのだ。
共通の目的を持ち、お互いを必要としていた夫婦だったのだと思う。
現在の市川団十郎さんのように、芸を教わる前に父が逝くことも
あるけれど、勘三郎さんは二人の息子に たくさんの経験をさせ、
中村家を守っていく自然な繋がりをつくってきた。
荒れた親に育てられると、荒れることが多いが・・・
中村勘三郎さんは常に明るく、芸を追求する生き方だったから、
何よりも二人の息子さんは「父の気概」を感じとってきたと・・・
そう思う。
父の偉大さに反抗するかのうように「勘三郎襲名」を拒否してきた
18代目勘三郎さんが、襲名したことそのものが “ 心の雪解け ”を
意味していたのではないかと 今更ながら思う。
そのことも、二人の息子さんは、すぐ傍で 見てきた。
海外公演も一緒に行ったし、トラブルがあっても 父は矢面に立ち、
中村家を(誠意を持って) 守り通した。
舞台に生きた印象が強いけれど、人間的な魅力で、歌舞伎界に
新風をまきこんで、新しいファンを開拓した。
演劇界の垣根も、ひょいと飛び越えて、舞台に精力を注いだ。
なかなかできることではない・・・。
日本中どこでも興行に行くのが歌舞伎界の役者さんだけれど・・・
自分から新しい繋がりと企画にも取り組んでいたし・・・
そういう意味では、全てが精力的だった。
パワフルだった。
人間のもつエンジンがあるとしたら、それを短い時間で使い果たし、
人々に記憶を植えつけた・・・という印象だ。
私にとっては、18代目勘三郎は、やはり「勘九郎」のイメージが
強いけれど、あとはご長男が引き継いでくれる。
そんな気がする。